スクラップNo.14『さがしもの』①

「……せ、先輩……?」


 動揺で声が震える。確かに、物語によっては自分たちの姿かたちがその世界観に倣ったものに代わることがある、とは聞いていた。歪んでしまった物語の世界では、こちらの持ち合わせている常識が通用しないということだ。それほどまでに物語の持つ力は危険であり、未知である。先輩はこちらに背を向けたまま、鬱陶しそうにその黒髪をがしがしと掻き毟る。と、同時に耳が揺れる。


「―前の現場があんまりやったから、新人でもやり易い現場回してもらったってわけや」


「その結果がこれですか……?」


 先輩のその仕草を見、己も変貌してしまっているのだろうかと、そっと頭頂部に触れる。やっぱり、と息を呑む。そこには、本来存在しないはずの器官が我が物顔で居座っている。少し意識すると、それは当たり前のように動かせてしまう。まるで別の生き物にでもなったかのように。


「先輩、この物語っていったい―」


 先輩は大袈裟な溜息を吐いて、ゆっくりとこちらを振り返る。


「絵本」


 その姿は、一部を除けばいつも通りだ。規定のツナギも、つんつんした黒髪も。


「えっ」


 自分が動揺を口にすれば、ぴこん、と先輩の頭から生えたうさぎの耳が小さく跳ねる。無意識にか、自分の頭に生えたうさぎの耳も呼応するようにぴこんと跳ねた。


「ほんでお前、ちょい、こっち来い、アレ見えるか?」


 最早貫禄すら感じる鷹揚さで、先輩は自分を呼びつける。うさぎの耳が生えている程度で効率を落とすわけがない、とでも言いたげな仕草だ。先輩のその姿に多少は感化され背筋を伸ばす。一息整えて、周囲をよく確認しつつ、先輩の隣へ並んだ。なるほど、絵本と聞いたうえで観察すれば、そういう風にできているというのがよくわかる。空は不自然なほどに明るい水色で、子供がクレヨンで描いたような大味な雲が浮かんでいる。だだっ広い草原もどこか現実味がなく、前回の現場と比べてみれば、より作り物めいていた。


「ほら、アレ」


 先輩が指ですっと示した方を見遣る。少し遠くに、これまた絵に描いたような一軒家が建っている。白い壁に赤い屋根、煉瓦の煙突。家の傍にはリンゴが生った大きな樹。向こうから拭いてくる風は、その果実の甘い匂いをわざとらしく孕んでいるように感ぜられた。


「家、ですか?」


「おう」


 先輩は手にしていた端末でちらちらと資料を繰っている。お目当てのデータを見つけたのか、先輩は手を止めた。自分も、と先輩の手元を覗き込んでみたが、何らかの機密に抵触するのか、そっと画面を閉じられてしまう。


「あそこに今回の物語の主人公がいはるらしいわ。えーっと……うさぎのウサ山さんやな」


「うさぎのウサ山さん!?」


 その突拍子のないネーミングセンスに、思わず素っ頓狂な声を出す。


「おう…まあ、取り合えず、聞きこみ行こか」


 どれほど穏やかな世界に見えても、上層部からのスクラップ指令がある以上、放置しているといずれ基底世界に害をなす物語ではあるのだろう。そうであるならば、物語を終結させねばならないし、そのためには迅速に作者の意図を解する必要がある。


「……そうですね。ていうか、凄いですね先輩、うさ耳生えても動揺しない」


 たとえ、自分がどんな格好をさせられていても―だ。


「そらァな……何年この仕事してると思ってんねん。もっと強烈なカッコしたこともあるからなァ」


「そっかあ……」


 自分のこれからを想像して、ちょっとげんなりしてみたり。しかしこれもお給料のためだ。あとついでに世界のためにもなってるらしいし。


「ほら、じめじめしとらんで、とっとと行くで」


「は~い……」




「そうなんです、すこし困ったことになっていましてね」


 分厚い木製の机を挟んだ向かい側。茶色い毛の、二足歩行するうさぎ―ウサ山さん―がそんな風に告げた。ウサ山さんは自分たちと同じくらいの体格で、クラシカルなピンク色のエプロンドレスを身につけている。ちなみに、机の上に置いてある人参ジュースは、突然の来訪者である我々のためにウサ山さんがお出ししてくれたものだが、物語内にある食料の飲食は禁じられている。折角お出しいただいているのに飲み食いしてはいけないとは、随分な苦行である。


「なにがあったんです?」

 

 先輩が存外柔らかい声で(しかも敬語で!)、ウサ山さんに話しかける。ウサ山さんは首を傾げつつ、そのもふもふとした手(前脚?)を頬に当てて話してくれた。


「裏庭でお野菜を育てているんですけどね、そのお野菜たちが脱走してしまったの」


「野菜が脱走」


 また素っ頓狂な声で鸚鵡返ししてしまう。前回は知的生命体が居なかったもんでエライ目に遭ったと思っていたが、今みたいに“その世界観に完全に浸っている知的生命体”と話すのもなかなかに難しいことなのかもしれない。そういう知的生命体たちは、こっちの知り得ない情報を前提として喋ってくるもんだから、多少なりとも面食らってしまう。


「そのお野菜っていうんは……今日中に必要なモンなんです?」


「はい、遠方からおばが遊びに来るもので……お夕飯には間に合わせたいの」


「ほォんなるほど……そら急ぐ話ですね……」


 先輩がこちらに目配せし、そこで黙りこくった。まあ、言わんとすることは想像がつく。確かに、前回と比べて今回はそこそこに易しめらしい。主人公はそこにいるし、すべきことも明確だ。つまり、ディナーを成功させろ、ということだろう。


「ウサ山さん! 自分たちが脱走したお野菜をばっちり捕まえちゃいますよ!」


 恐らくは自分がどう出るかを見たかったのであろう先輩に代わり、自分からそのように提案する。ウサ山さんは驚いたようにその丸い目を更に丸くさせ、それから控えめに答えた。


「……そんな、いまお会いしたばかりの人に、お願いしていいのかしら」


「任せてくださいよ! 自分たち人助けが趣味なんです!」


 自分で言っておきながら、うさぎ相手に人助けとは変な言葉だったかなあとか一瞬思う。しかしウサ山さんは取り立てて気にしていないようで、それでは、と席を立ち丁寧に頭を下げてくれた。


「お手数をおかけしますが、お願いします。きっと、川向こうの山の麓辺りに逃げ込んでいると思いますので」


 それから少し席を離れたウサ山さんは、何かしらを腕に抱えて戻ってきた。よくわからないけれど、野菜を捕縛するのに必要な道具などを持って来てくれたのだろうか。


「どうぞ、ウチでいつも使っている道具です。手入れはしてありますので不便はないかと思いますから……」


 ガン、と鈍い音が響く。やたらと大きく聞こえたその音に、頭に生えたうさぎの耳がぴんと突っぱねる。机の上に、投げ捨てるように、何丁かの拳銃が置かれた。


「へ?」


「この時期はちょっと気が立ってるみたいですけれど、こちらの麻酔銃で一発撃っていただいたら捕まえらますからね」


 からっ風が吹いたのか、窓がカタカタ細かく鳴った。暫くの無言の後、ああ、はい、と笑って頷くしかなかった。


 


「先輩」


 持たされた銃を、持たされたままに持って出て、だだっ広く続く草原を進む。


「なに」


 遠くに見える川を目指して、ただただ進む。


「この物語における野菜ってなんなんですかね」


 川を越えて、あののっぺりとした山の麓に辿り着いたら、どうやら麻酔銃を発砲せねばならないらしい。


「知らん……熊とか?」


 この物語は、終わらなかった絵本のはずだ。ウサ山さんはただ穏やかに暮らしているうさぎのキャラクターに見えたし、大体そんな感じで振舞っていた。


「―最初、たかだか絵本の物語を、どうして終結させないといけないんだろうと思ってたんですよ。実際、現実世界への害が一定以下の物語はスクラップ対象から外れるじゃないですか」


 また風が吹く。うさぎの耳が、なにやら低い呻き声をキャッチした―ような気がする。いや、気のせいかもしれない。うそ寒くなって、足取りが重くなる。


「やっぱりなァ、どんだけ穏やかな世界に見えても、スクラップ対象になってるからな。要は検閲機関が危険を察知してるってことや」


「そうですね……」


 やたらめったらリアルな肌触りの銃を持ち直す。勿論ホルダーなんかないし、手に持ってるしかないもんで。


「自分たち、野菜に勝てますかね……」


「勝たなアカンねん。そうせんとスクラップできひんのやから。―それにまあ、怪獣よりは弱いやろ」


「それもそうですね。……やるしかないか」


 こうなりゃ自棄だ。―オー! と気合を入れる掛け声をやってみたら、先輩にはやかましいと怒られたけど。

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