スクラップNo.38『錆と鉄塔』 ②
「―静かになったか?」
高所にあるマンションの一室で家探しをしていた時、ふと先輩が窓の外へ視線を投げた。言われてみて、自分も耳を澄ましてみると、先ほどまで囂々と響いていた水の唸りが嘘のように静まり返っていた。つまり、自分たちが必死に逃げ回っていた出所不明な水の流入が止んだことになる。背の低い先輩の背後から、おんなじように窓の向こうを覗き込む。しばらく眺め、いやと言うほど活発であった水位の変化が全く見止められないことが確認できた。
「……このパートは、一旦ここで終いってことか。まあ、落ち着いて探し物できそうやけど」
「なんというか、壮観ですね」
自分と先輩が立ち寄った一帯は、どういうわけかまだだいぶと建造物が無事な状態だった。砂漠化の進行も緩やかだったのか、コンクリートの壁の隙間から木々の根が露出していて、それだけでも目を瞠る光景だったのだけれど。―大抵の高層建築物の半分より下が、深い夜を溶かした水の中に埋もれている。
「都市が沈んでる」
「うぅん……しっかしこれでも終結する気配ないなァ……」
先輩はぶつくさ言いながらまた室内に散らかった残骸を漁り始めた。自分は暫く目の前の景色に釘付けになっていて、足を動かせずにいた。物語の中とは言え、人類が滅んだ後の世界を見せつけられているのだから、多少のセンチメンタルくらい許してほしい。―とかなんとか浸ってたら、ちょっと遠くの方から先輩の怒号が飛んでくる。
「ほら、観光来とンとちゃうんやぞ! 水止まったとはいえ手詰まりや、一時離脱するっていう方針は変えんからキリキリ情報収集せえ!」
にべもない。ついでに言えば風情もない。
「先輩、ちょっとくら浸らせてくださいよォ」
「―あんなァ、物語の中っちゅうんは大抵目ェ引くようになっとんねん。仕事の度に見入っとったら毎回残業やぞ」
「わかってますけど、そこはちょっと、新人の新鮮な反応を可愛がってくださいよ」
やかましいわ、という先輩の激励を背にかつて生きた人類の痕跡を検める。ボロボロにはなってるし、家財道具もほとんど残されてはいないが、戸棚やら机はどうにか残っている。―物語の中の世界では、作者が描写していないはずの場所にまで“世界観”に合わせた小物が生成される。この辺の理屈は説明されたような気もするし、理屈が分かっていないという説明を受けた気もする。まあ、少なくとも、ちょっと前に先輩が言った通り、物語に作者の意図が存在する以上はそういった自然生成される小物やらからも“世界観”を読み取ることはできる。それらの情報を継ぎ合わせて、物語の方向性を探りたいというわけだ。
「う~ん……」
机の上には3405年B-8月15日と書かれた新聞。日付の不明瞭さは世紀末と言う設定を考えれば納得できるものだが、しかしまあ本文の内容と言ったらどうだろう。最高品質のコールドスリープ用機材の紹介だとか、お買い得なワームホールの情報だとか、ヘルツ―この世界の統一通貨らしい―の具合がいいだとか―
「なんか、能天気だなァ」
この新聞を最後に世界が崩壊を迎えたのだとすると、当時の人びとは世界が崩壊する予兆を少なからず感じ取っているものではないだろうか。そういった不信感を抱きつつ、今度はキッチンらしき箇所の硝子戸をあけてみる。殆ど何も残されていないようで、あるものと言えば棚板の隅っこの方に溜まった埃くらいだ。
「オイ新人、なんかわかったか?」
「あ、先輩」
さっきよりもずっと近くで声がして、はっと振り返る。幾つかの資料を手にした先輩が、キッチンカウンターの向こう側からこちらを観察しているようだった。これ、ちょっとしたテストだったりするのか、と警戒しつつ口を開く。
「取り合えず、なんか変ですね」
「なんか変って、なにがや。それを言語化できひんと一時離脱後の報告書作られへんで」
「う~んと……」
こちらを試すような先輩のまなざしに、やっぱり実力を試されてるんだと自覚し、背筋をぐっと伸ばす。
「この物語の中の人類ってのは、あんまり世紀末が来るのを怖がってなかったのかな……? みたいな」
最初は世紀末を前に暢気なもんだと感じたけれど、たぶん、そうではない。そうではなくて、どこか根底に計画的なものを感じたのだ。
「もしかして、ここにいた人類って、本当はもっとずっと前に、この星を捨てたんじゃないかって、そんな感じがして」
「ふぅん、まあ合格点やな」
キッチンに入ってきた先輩から、ほら、と何かしらのリーフレットを手渡される。色褪せたその表面には、統一政府の刻印と“各地域ごとの移住先の通知”という文字が記されていた。
「この物語の人類は、故意に地球を放棄したみたいやな」
―そうなると、物語の方針に一個アタリがつけられる。と先輩が続ける。なんか饒舌だなと思わないでもないが、先輩の指導と言えばそうなので、持ち込んでいたメモ帳に先輩の言葉で特に気に入ったものを書きつけていく。
「要は、他所の星に移住した人類をメインにしたストーリーなら、ここに飛ばされるわけがないねんな。基本的に転送装置が飛ばすんは物語のメインになる場所やから―そうなると主人公はこの星におるはずや。まア、そいつがこの星で色々と頑張って、他所に移住したやつらのとこまでたどり着いてハッピーエンド……とかそんな感じかもな」
「へえ、こんな水に沈んだ都市で宇宙進出できるだけの文明を取り戻せるんですかね」
「その辺は適当かもな。終結せんかった物語って案外中身がこう……ふやけてることあるから」
それから先輩は斜め上の方をぼんやり眺めながら、何かしら思索に耽っているようだった。自分も自分で、先輩から与えられた情報と、これまでに自分が感じてきたことを照らし合わせながらいくつかの想像を重ねる。
「そうえいば、少なくとも自分たちが観測できる範囲に、主人公っぽい知的生命体っていませんでしたよね」
先輩の言う“転送装置は物語のメインとなる場所へ転送させる”という言葉を信じるのであれば、ここは物語の中心地のはずだし、そうであれば主人公やらその取り巻きやらがいるべきだし、仮にいなかったとしてもその人物たちの痕跡が残っているはずだ。
「あ、そうか、主人公のこと勘案しとらんかった……だからか―わかった……わかったけど、こんなん現場では処理できひんぞ」
帰るぞ。急に荒々しくそう吐き捨てた。状況が飲み込めない自分は、部屋の広いところで淡々と帰還ビーコンを組み立て始めた先輩に駆け寄る。
「ちょっと、ちゃんと説明してくださいよ!」
新人ですよ! と身分を大々的にひけらかし、情報開示を迫る。先輩はそのつんつんとした黒髪をがしがしと掻き毟った。
「…………現時点で、この物語は手に負えへん。理由はいくつかあるけど、一番デカい要因はこの物語に主人公がおらんっちゅうことや」
「……は?」
ビーコンの組み立てが終わり、その白くて丸い表面がぴかぴかと青く点滅する。
「察するに、この物語の作者は、先に主人公以外の―外的環境について描写して、そこで詰まったんやろ。主人公を決められへんかったから」
「え、じゃあそのせいで物語が終結しなくて、だからスクラップ対象になったってことですか」
「そうなるな。しかも、環境だけ先に決まって主人公が決まらんかったもんやから、状況がどんどん悪化してる。例えば怪獣は主人公が倒すはずやったとか、もっと遡って、都市の砂漠化は主人公が止めるはずやったとか―ここまで劣悪なる予定やなかった可能性は十分にある。……そら怪獣倒したとて終わるわけないわな……どのタイミングを主人公が動き出すタイミングー“始まり”とするかさえ決まってへんのやぞ、この世界」
「でも、これじゃあ終わらせようないですよ、無理じゃないですか」
「無理でもせなあかん。厄介なことに“世界観”は抜群のリアリティで出来上がっとる。これが現実社会に浸食したらエラいことなんぞ」
「そうですけど……」
そう、正しく終結しなかった物語は、ある日突然力を得、現実の人間社会へ浸食することがある。実際問題、砂漠化した都市が水に沈む、なんて世界が現実へ割り込んで来たらその被害は計り知れない。
「ただし、これを現場調査員だけでどうにかするんは無理がある」
ビーコンが発する無機質な音が室内にじんわりと滲んでいく。
「うぅん……なんというか、内務連中の仕事やな。物語の根幹を改変して、架空の主人公を挿し込むことになると思うし」
―俺らの仕事は、その手入れが済んだ後やな。
「せやから、帰る」
先輩がそう言い切ったあたりで転送が始まり、帰る、の声がぐわんぐわんとハウリングして、暗くなっていく視界いっぱいに広がっていった。こうして自分の初仕事は、一時離脱というなんとも締まらない結果に終わった。
一時離脱に係る報告書(一部抜粋)
●対象 保管記録No.038 仮称『錆と鉄塔』
●出現年月日 2024年7月18日
●出現場所 観測区間Δ
●状況 不良のため一時離脱
▲要因 “主人公”欠如のため
■対応 直ちに執筆機関にて改変をされたし。任意の“主人公”の挿入と“主人公の目標”を設定すべし。対応後、再度現地調査員を派遣する。
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