エンド・エンドレス・スクラッパー

むしやのこどくちゃん

スクラップNo.38『錆と鉄塔』 ①

 砂塵がごうごうと唸りを上げて空に巻き上げられていく。だだっ広く何もない砂漠一帯を吹く風は、肌を裂くように鋭く、夜に向かうにつれ冷たさを増していた。頽れた建造物の一部であろうコンクリートの欠片へと踏み込み、それを力いっぱい蹴り上げる。


「せんぱァい! この話、あの怪獣殺したら終わりだったんじゃないんですか!?」


 ―いわゆる世紀末として描かれたこの物語の世界では、都市は砂漠化し、人の気配はない。そして、どんな因果か、地上の重力は本来の10分の1ほどに設定されている。つまり、今地面を蹴り上げた身体は、想像よりもずっとはるかに、高く飛ぶ。風が全身を包む。夜が掛かり始めた空には、薄らと星も見えつつある。倒れたビルの一部へと飛び移り、自分の前を行く先輩に、もはや怒鳴っているかのような声量で問いかける。


「そら誰かて、こんな砂漠にデカい怪獣おったら。それが本丸や思うやろ!」


「はァ!? そういうのって事前に攻略法みたいなのが分かってるんじゃないんですか!」


 崩れかけたコンクリートを踏んで、それが完全に崩れてしまう前にまた次の建物へ飛び移る。先輩の向かう方を見れば、逃げ場となるような高い足場が残っている。この物語の舞台は、かつてはそこそこの都市だったのだろうか。


「ないわアホ! 最初にそう説明あったやろ!」


 先輩が少しこちらを振り返り、その釣り目を更に吊り上げた。


「……え、マジ?」


 自分が呆けて少し足を止めたとて、先輩は既に興味を失ったように先へ先へと進んでいく。すぐ後ろまで水の押し迫る音がして、自分も慌てて次の足場へと飛び上がった。先輩を見逃さぬように進みつつ、支給のウエストポーチをまさぐる。―これはペン、これは通信機……と手探りで目当ての品を取り出す。やたらと高級そうな革のカバーが掛けられた手帳―スクラップブックと呼ばれる代物。ここには就業に必要な説明やらなんやらが記載されている。ヘッドライトの明かりを頼りに中身にざっと目を通す。


「うわ……ほんとだ……」


 “物語の終結に関する情報は事前収集が極めて困難なため、現地に赴いた職員によってその終結手段を判断すること”そんな一文が、スクラップブックの最初の方に冷たく印字されていた。実入りが良いもンで始めたが、それ相応に危険の伴う仕事なのだと今更ながらに得心する。


「で!? 先輩はこっからどうやって終わらせるつもりなんです!?」


 しかしまあそんな暢気に浸っている場合でもない。そう、問題は自分と先輩で物語を終わらせなくてはいけないということだ。ホントにどっから降って湧いたのか、水の勢いが衰えることはない。


「ちょ、ちょい待ち、流石にすぐここまでは競り上がってこんやろ、一旦状況整理しよ」


 建造物から張り出したまあまあ細い鉄骨の上に、はたと先輩が立ち止まる。確かに水はだいぶ下方に見える。どれほどの勢いかはわからないが、水かさが急激に増えるということもない―はずだ。自分も先輩の隣で立ち止まる。


「とりあえず放り込まれた時点で、都市が滅んでたっぽくて、ンでそれが砂漠になってて……デケェ怪獣がいた」


「そうですね」


 思い返す。容赦なく放り込まれた物語の中、砂漠のど真ん中、遠くから聞こえる得体のしれない生物の嘶き―初任者が働くにしては些か劣悪すぎるスタートではないかとふと気が付いて、しかしまあここ以外に知らないから比較のしようもないしと疑念を抑え込む。


「仮にここがこの物語の終盤だって言うなら―やっぱり怪獣を倒すべきだって……先輩がそう言いましたよね……」


 遠方の崖より怪獣の姿を見止めたとき、先輩がそう判断を下した。―下したからこそ、手持ちの武器の大半を破損しつつその怪獣とやらを倒してやったというのに。慌てたように先輩がこちらを見遣る。


「アレはしゃあないって! 実際そう判断する以外にあのタイミングではあり得へんかった」


 ただ、と視線を眼下へ戻し、低い声で先輩が続ける。


「怪獣を倒した途端、どっからともなく大量の水が流入してきた―流石にあれに飲まれたら無事に帰還できひんからな、ともかくして逃げを第一に今の今まで行動してきた」


「……はい」


 先輩は結構真面目な風に話し始めたので、つられてこちらも畏まる。


「―少なくとも、現時点でこの物語をスクラップできてへんのやから、実際に起きてることと照らし合わせると―」


 先輩は不自然に言葉を切り、大袈裟に溜息を吐いた。


「この物語はたぶん、本来はココから始まる予定やった―あるいは、少なくともここを一つの分岐点としてまだしばらく続く予定やった……って考えるんが妥当やな……」


「え……!? 仮に起承転結の“転”の部分だったらまだいいですけど……ここが物語の序盤だとしたら……終わらせるのは至難の業じゃないですか?」


 この仕事では、物語の終結をもって終業とされる。そうすると、今いる地点が物語の結末から遠いほどに就業時間は延びていく。


「残業、嫌なんですけど……」


 先輩はそのつんつんとした黒髪を掻き毟り、アーとかウーとか暫く唸った。


「……悪いけどな、もうちょい付き合え」


「うう……流石に先輩命令には逆らえないんで……こっちも……」


「言うても、今回で物語のスクラップまでやるつもりはないで。新人がおるからっていうンもあるけどな、仮に自分一人でここに来てたとて、一時離脱は免れんやろうな」


 先輩は細い鉄骨の上で器用に屈伸を始めた。その動作でキシキシと撓む音がするのにひやりとしつつ、自分も動き回れるようにと軽く伸びをする。物語の中で飢えや渇きを感じないとはいえ、身体を動かした分の疲労感は残る。長期にわたる仕事の際には、寝袋等の睡眠を前提とした装備一式を持たされることもあるらしいし。


「ただ、情報収集はやっときたい。この物語の方針とか、終結に関わる情報が多少でも拾えたら僥倖やな」


「……でも、この物語の中には知的生命体がいるとは思えませんよ」


「とはいえ、少なくとも、かつては知的生命体がおった場所やろ。建物なんかを見る限りでも、ある一定水準の文明はあったはずや。“物語には作者の意図が残されてる”―これはちゃんと覚えとるか?」


「はい! 最初の方に聞いたんでまだ起きてました!」


「ああ……そう……」


 先輩は呆れたような顔でこちらを一瞥し、続ける。


「大抵の場合は、物語のキーマンとなる知的生命体が作者の意図を示唆することが多い。でも今回の場合は、まあ、見るからに知的生命体はおらへん。さりとて意図が全くない物語も存在しない」


 先輩は自分のナップザックを前へ持ち直し、その中身を漁り始めた。


「あったあった……これ、お前には支給されとらんやろ……見る限りウエストポーチしか持っとらへんもんな」


「そうですね。自分も先輩がナップザック背負ってるの見たときは驚きましたけど。新人だからって装備ケチるの良くないと思うんですよね」


「ちゃうわアホ、新人が持っても使いこなせんモンを渡したって無駄になるだけやろ。教育係がついてる間は持たれへんだけや」


 先輩は、ホレ、と確かに見たことのない機械をこちらへ見せびらかしてくる。スマートフォンを正方形にしたような見た目で、その側面にボタンやらスイッチやらが狭しと並んでいる。先輩はその内のひとつを押し込み、端末を起動させた。


「まあ……要するに物探し機みたいなモンやな」


 暗い画面にぼんやりと緑色の文字列やら数値やらが浮かぶ。先輩はそれを見ながらぶつくさ呟いて、カチカチとボタンを弄繰り回す。ふと、地上を溢れる水の様子が気にかかり目線を落とし、ぎょっとする。想像しているよりもずっと速いペースで、水が競り上がってきている。


「ちょ、先輩、ヤバいですよ! 水!」


「あァ……?」


 先輩は物探し機から目を離し、それから、うわ、と焦ったような声を上げた。


「チッ……とっとと行くで、逸れんなよ、お前」


「任せてください! 自分、入社試験の体力テスト一位でしたから!」


「はいはい……」


 先輩はナップザックを背負い直し、機械を再度睨みつけた。


「―取り合えず、文明の痕跡が強く残ってる方に向かう」


 そう言うと、先輩はこちらを振り返らずに鉄骨を踏み込み、ひょいと向かいの瓦礫の山へと飛び移っていった。その背を追いかけ、自分もさっと近くの鉄骨へと飛び移った。その時ふと見上げた空には、不気味な青い月が3つ、横に並んで浮かんでいた。

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