第4話 無限とゼロの限界

 未来に対してのタイムリープを考えたことがあった。

 それは、普通に今から飛ぶということよりも、

「過去からやってきた人」

 というのを思い描く方がいいのではないかと感じたのだ。

 もちろん、この場合は、

「タイムスリップ」

 であり、タイムマシンなどを使うのではなく。ワームホールなどによって、偶発的に、

「未来にきてしあった」

 ということからの発想が一番自然であった。

 SF小説を見ているようなので、確かにそれが、自然だといえるだろう。

 過去からやってくる人というのは、これから未来がどうなっているかということを知る由もないので、基本的には、

「未知の世界が、未来だ」

 ということになるのだ。

 タイムスリップのやり方は、

「ワームホール」

 ではあるが、理屈の話になると、

「タイムマシン」

 を使う方がいいだろう。

 過去から未来に飛ぶということは、その間を、

「一瞬で駆け抜ける」

 ということだ。

 そして、タイムマシンの中にいる人は、それを、一瞬だと感じている」

  ということを示している。

 当たり前のことであるが、科学を考える場合、まずは、

「当たり前のことを、当たり前だ」

 として理解する必要があるということになるであろう。

 それは、タイムマシンに乗って、移動先を、

「五分後」

 ということにすれば、分かるということである。

 表から見ている人は、

「5分前に消えた人間が、5分後に、いきなり現れる」

 ということになるので。これが、

「タイムマシンだ」」

 ということを理解していなければ、まず、

「何が起こったのか分からない」

 ということになるだろう。

 何しろ、目の前に現れた人間は、間違いなく目の前から消えたわけで、最初は、

「人間消失だ」

 と考える。

 その感覚が頭の中に媚りつぃいて。まさか、

「時間を飛び越えている」

 という発想にはならないだろう。

「どこに行ったのか?」

 と探していると、5分後きっかりに、その場所に現れる。

 これを、

「タイムトラベルだ」

 と理解できていれば、

「現れた」

 というよりも、

「戻ってきた」

 ということだと理解するだろう。

 しかし、実際には、理解できるまでには、時間がかかる。それだけ、

「タイムトラベル」

 というものを、日ごとから考えている人ほど、

「信じられない」

 と思うに違いないからだ。

 というのも、

「タイムトラベル」

 ということの裏側に、

「タイムパラドックス」

 が潜んでいて、それを解決しない限り、

「タイムマシン」

 というものを開発することはできないのだということになる。

 それは、ロボット開発にも言えることだ。

 ロボット開発においては、

「タイムマシン」

 も物理的な発想よりも、

「自分たちの身の安全」

 という、リアルな問題が潜んでいることが問題だったのだ。

「ロボット開発」

 という問題ということになると、まず問題になるのが、

「フランケンシュタイン症候群」

 というものである。

 これはどういうことかというと、

「昔、SF、あるいは、ホラーの類となるのか、フランケンシュタインという話があった。この話は、フランケンシュタインという博士は、理想の人間を作ろうとして、怪物を作ってしまったという話であり、そのために、人間のいうことを聞かないどころか、人間に危害を加えるということになれば、それは、本末転倒なことであるということであった」

 だから、そんなロボットを作らないようにということで、今から半世紀ほど前のアメリカ在住の、SF作家の人が、自分の、

「小説のネタ」

 として、

「ロボット工学三原則」

 というものを提唱したのだ。

 これは、一種の今でいう、

「人工知能に埋め込むべき。チップのようなものだ」

 三原則を、ロボットの生存理由ということで組み込んでおいて。

「絶対にそれに違反しないように、プログラミングしておく」

 という考え方である。

 その三原則というのは、

「人間に危害を加えない。もし、人間が危険に陥った時は、身を挺して、人間を助ける」

 ということ。

 二つ目は、

「人間のいうことには必ず従う」

 ということ。

 そして三つ目は、

「自分の身は自分で守らなければならない」

 ということである。

 そして、この三つの原則は、最初の項目から優先順位が高いものとしてプログラミングされなければいけない。

 なぜなら、

「どちらを優先すべきか?」

 ということで悩んだ時、そのすべてを、人間のためになることでなければならないという理屈であった。

 たとえば、

「いくら人間の命令を聞かなければいけないといっても、その命令が、誰かを殺せということであれば、人を傷つけることになるわけで、そうなると、殺人ロボットができることになり、それこそ、フランケンシュタイン症候群になってしまう」

 ということだ。

 だから、三原則を提唱し、組み込んだうえで、

「いかに、その優先順位を遵守できるか?」

 ということが問題となるのだ。

 それを考えると、

「これが、三つであるだけに、三すくみになりはしないか?」

 と考える人がいても無理もないことだが、今のところ、そのことへの問題はなさそうだ。

 ただ。まだ、ロボット開発ができていないのには、もっと他に、

「致命的な問題」

 というものが潜んでいるのではないか?

 ということになるであろう。

 まさしく、その通りで、その問題というのが、

「フレーム問題」

 というものだ。

 この問題にかかわってくることとして、

「無限」

 というものに、

「可能性」

 というものがかかわってくることで、ロボット開発は、

「リアルなところで、頓挫しているのだ」

 ということになるのだった。

 というのも、

 ロボットの人工知能というのは、明らかに、

「生身の人間の脳」

 とは違っているのだろう。

 たとえば、

「何か命令を受けて、次に自分がすることを、普通であれば、考えて行動するであろう」

 というのも、

「最初にどっちの足から踏み出すか?」

 などということを言われるだろう。

 つまり、

「何かの行動をする時、必ず、その一瞬一瞬で、判断を必要とする」

 ということである。

 そして、その判断材料として存在しているのは、

「考えられるべき可能性」

 ということになる。

 ロボットも、その可能性を人間なみに考えられるとすれば、問題は、その可能性を、

「いかにして絞ることができるか」

 ということである。

 つまり、どういうことかというと、

「人間であれば、可能性というのは、無限にある」

 ということを理解しているだろう。

 そして、実際に考えられる可能性はたくさんある。人間に限らずであるが、生き抜くには、その可能性というものを、

「間違えない」

 という必要があるということになるだろう。

 間違えてしまうと、

「自分が危険に晒されたり、自分が誰かを危険な目に陥れるようなことになるに違いない」

 人を傷つけてしまうと、

「自分が、裁かれる」

 ということも分かっている。

 だから、

「人を殺めてはいけない」

 ということや、

「人を傷つけてはいけない」

 と考えるのだ。

 もちろん、

「罪になるから」

 というだけで人を傷つけないだけではない。

「人間としての、倫理であったり、道徳のようなもの」

 あるいは、

「人間としての、情」

 というもの。

 それらのことが、影響しているのだろう。

 しかし、ロボットには、倫理や道徳というものを組み込んでも、実際に理解できるかどうか、少なくとも、人間社会で生活をしたことがなければ、分かるはずのないことだ。

 それは、

「人間の情」

 というのにも言えることで、人間は、それを生活しながら、自然と覚えていく。

 つまりは、少なくとも、ロボットの人工知能というものは、

「自分で学習をする」

 という機能が備わっていないといけないことになる。

 しかも、人間が生まれてから徐々にはぐくんできたものを、いきなり備えているということがあり得るのかどうか、その問題がかなり大きいといってもいいだろう。

 ロボットの、人工知能で、まず考えることとして、

「無限の可能性を、有限にする必要がある」

 ということで、少なくとも、

「考えることができる土壌を作ってあげなければいけない」

 ということになるのだ。

 そのための発想として考えられるのが、

「フレームに当てはめる」

 という発想である。

「たくさんある可能性を、いくつかのグループに分け、そのパターンに沿ったものを割りさすことで、少しずつ、可能性を絞っていこうという考え方

 であった。

 しかし、この可能性というものがある意味、

「不可能だ」

 ということは、

「数学」

 という公式に当てはめると分かってくることであった。

 というのは、

「そもそもが、無限というものである」

 ということは、

「無限から何かを割る。つまりパターンで分ける」

 ということになるわけだが、

 これは、元が無限であるということになると、不可能であることに気づくことになる。

 というのは、

「無限からは、何で割ったとしても、求められる答えは、無限でしかない」

 ということであった。

 それでは、

「限りなく無限に近いものだ」

 と考えれば、

「フレーム問題」

 というものには、抵触しないのではないだろうか?

 ということだ。

 世の中には。

「限りなく、無限に近い」

 あるいは、

「限りなくゼロに近い」

 というものがたくさん存在し、

「無限だ」

 あるいは。

「ゼロだ」

 と思っているものは、本当に存在しないものではないだろうか?

 と考えれば、

「フレーム問題」

 というものは、解決するということになるだろう。

「限りなくゼロに近い」

 というものは、いくつか考えられる。

 これは、

「無限」

 という発想に、大いにかかわっているものであり、その発想として、

「合わせ鏡」

 というものであったり、

「マトリョシカ人形」

 というものが考えられえるのだ。

「合わせ鏡」

 というのは、

「自分を真ん中において、その左右、あるいは前後に自分を映し出す鏡というものを置くのだ」

 というものである。

 分かりやすくするために、

「鏡を前後に置く」

 ということにしておくが、

 そうなると、どうなるのかというと、

「前に映っている鏡だけを見ていると、まず、目の前に自分がこちらを向いてこちらを見ている自分が見えるだろう」

 そして、

「その鏡に映った後ろに、鏡が写っていて、その鏡には、自分の後姿が写っている。そして。その向こうにはまた鏡があって……」

 というように、

「どんどん小さくなっていく」

 という現象であるが、そのまま、無限に続いていくかのように、見えているのだ。

 しかし、これも理屈で考えると、

「絶対に、ゼロになる」

 ということはないといえるだろう。

 ここも、数学の数式になるのだが、

「数学において、除算つまり、割り算の答えが、ゼロになるということはありえない」

 という考えである。

 どんどん小さくなっていたとしても、それは、ゼロになるわけではないということで、これは数式でなくとも、一般的な理屈ということにしても、普通にあり得ることである。

「それを証明してみろ」

 ということであれば、さすがに数学者でもなければできないだろう。ただ、それでも、理屈が分かっているということなので、人間が、

「フレーム問題」

 というものに、陥らないというのは、この理屈があるからに違いない。

 ということは、

「フレーム問題の解決」

 というものには、

「ゼロ」

 あるいは、

「無限」

 というものの抹消。

 あるいは、

「それらのものを、それぞれの問題から隔離して考える」

 ということで解決できるものなのかも知れない。

 と考えられるのではないだろうか?

 かなり乱暴な考えであるし、

「今までいろいろな学者が考えてきたことを否定するかのようで、後ろめたい思いもあるが、これも、一つの考え方ということでありなのだろう」

 と思うのだった。

「マトリョシカ人形」

 というのも、

「人形の中に人形を入れて、さらにその中に人形を入れる」

 という発想なので、こちらも、

「無限に、どんどん小さくなっていく」

 という発想であった。

 それを考えると、こちらも、

「無限」

 というものと、

「限りなくゼロに近い」

 という発想であるということが分かるというものだ。

 それらが、

「ひょっとすると、フレーム問題というものの解決に一役買っている」

 といえるのではないだろうか?

 タイムマシンの発想として、一つ考えることとして、

「タイムマシンは、本当に、時間だけしか超えることができないものなのだろうか?」

 という発想である。

 少なくとも、

「5分先に飛び出す」

 という発想では、

「目の前にあるものが、一瞬にして消えて、5分後に、その場所に忽然と現れる」

 というのが、タイムマシンというものを、現象化させたものだということになるのではないだろうか?

 というのも、

「消えてなくなったものが、その後現れる」

 ということであれば、

「時間の世界に入っていた」

 ということにしてしまうと、

「理屈に合う」

 といってもいいだろう。

 もっと言えば、

「理屈というものだけで考えるとすると、アインシュタインの相対性理論というものが絡んでくるのではないか?」

 ということであった。

 というのは、

「物体は、光速を超えると、時間の進み方が変わってくる」

 という発想であり、

「光速を超えると、普通のスピードに比べて、時間の進み方が、ゆっくりになる」

 という発想である。

 これが、ある意味、

「タイムマシン」

 というものの発想としての、原点だといってもいいのではないだろうか?

 さらに、おとぎ話なので、

「浦島太郎」

 のような、

「竜宮城から帰ってくると、数百年経っていた」

 という発想である。

 浦島太郎の感じ方としては、

「2,3日だったはずなのに」

 ということであろう。

 人間が、どんなに楽しい日々を送れたとしても、それは、数日間でしかない」

 という発想が、その考えをつかさどっているのだろう。

 だから、

「そもそも、竜宮城での時間が、おかしかったのだ」

 という発想は誰からも出てこないではないか。

 そのように、ミスリードするように、描かれている話なのかも知れないが。その発想は、誰もが持っていても不思議がないのに、どういうことなのだろうか?

 だが、浦島太郎は、陸に帰ると、

「自分が知っている人、そして自分を知っている人がいない」

 ということに落胆し、乙姫からもらった玉手箱を、

「なぜか」

 開けてしまうのだった。

「開けてはいけない」

 と言われていたのにである。

 それこそ、

「見るなのタブー」

 の違反であり、人間が自暴自棄に陥ると、想像もしていないことをしてしまうということの証明ではないだろうか。

 それを考えると、

「浦島太郎」

 の話には、辻褄が合わないところが多いのだが、それはあくまでも、

「相対性理論」

 というものに対しての伏線だと考えれば、おかしな感覚が吹っ飛ぶのではないかとも思えるのだった。

 浦島太郎の話は、普通に伝わっている話であれば、

「大いなる矛盾がある」

 と言われることだろう。

 というのも、そそもそが、

「カメを助けた浦島太郎が、玉手箱を開けて、おじいさんになってしまう」

 ということであれば、普通に考えれば、

「理不尽ではないか?」

 と言われるであろう、

 というのは、

「本来であれば、おとぎ話というのは、教訓であるから、いいことをすれば、報われて、悪いことをすれば、罰を受ける」

 ということにならなければいけないはずだ。

 しかし、

「カメを助けたといういいことをした浦島太郎が、玉手箱を開けておじいさんになってしまう」

 ということは、理不尽でしかないだろうということである。

 だが、この発想がそもそも、

「間違っている」

 ということであって。

「突っ込みどころはそこではない」

 といってもいいだろう。

 というのは。

「浦島太郎が竜宮城から帰ってきた時、誰も知らない世界になっていた」

 ということが、そもそもの悲劇ではないか。

 誰もが、

「玉手箱の件」

 を、

「気の毒だ」

 と表現するが、そうではないといえるのではないか。

 もし、

「数百年経っていたというのが、仕方のないことだ」

 とおうのであれば、それは、

「おじいさんになるのも、仕方のないことだ」

 といえるのではないだろうか。

 というのも、

「自分が知っている人が誰もいない世界」

 ということがどういうことなのか?

 ということを考えないのだろう。

 その状況に陥った時、

「あなたなら、どう感じますか?」

 ということである。

 つまりは、究極の問題として、

「愛する人、かかわりのあった人が一人もいない世界」

 で、一人生きていくということになるのだが、その時に感じることとして、

「死んだ方がましだ」

 と考えるのが普通ではないだろうか?

 キリスト教などでは、

「自分で自分の命を絶つということは許されない」

 と言われているが、

「死ぬことよりも、恐ろしい世界において、生き続けなければいけないことは、まるで、何かの罰のようではないだろうか」

 それにしても、それが、どこから与えられた罰なのか分からないわけで、だったら、

「老人になって、すぐに寿命で死ぬ」

 ということの方が、一番いいことなのではないか?

 という考え方だとすれば、

 逆に、

「死というものと向き合った時の発想」

 というころであれば、この話は、

「おじいさんになtった」

 というところで終わらせるのが、一番いい教訓なのかも知れない。

 ただ、これは、

「いろいろ経験を重ねた大人が見るものだ」

 とすれば、分かることだが、

「子供が見るおとぎ話」

 ということであれば、難しすぎるといえるのではないだろうか?


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