ミズイ攻防戦1

 クジーフィ王国の南の端、ミズイの街には赤銅騎士団(正確にはその分団)が駐留している。約200名の一般兵と3名の能力者。街の人口から見れば過大な戦力ではあるが、国境の防衛力としてはさして多くもない。


 クジーフィでは王の権力は非常に強い。名目上は各地の領主が土地を統治し、王はその領主たちの首領として君臨することになっているものの、実態は絶対王政である。領主たちは王に任命された役人としての性格が強い。ただし多くの場合その役は世襲であるが。政治もまた王を中心とし、実務を担う官僚機構が出来上がっている。それら官僚と地方領主が貴族層を形成し、国を動かしている。実態も名目上も部族連合であるスーマより国の権力基盤は強固であるし、政治システムとしてもずっと洗練されている。


 ミズイは王の直轄地だ。王の委任を受けた赤銅騎士団分団長が治めるのが慣例となっている。現在その役にあるのはクリヘンド・レーツロン。白髪混じりの赤髪と灰色の瞳、そして鍛えられた体には無数の傷。常に最前線で剣を振い続けてきた歴戦の騎士である。ここで特筆すべきは―—この世界全体で見れば特別なことではないのだが―— 彼は能力者ではない。剣技に優れ身体能力も高いが、あくまで一般人の範疇であり能力者と相対してどうにかできるような特別な力は持っていない。それでも優れた兵士、堅実な指揮官として評価され、分団長という平民としては限界に近い出世を成し遂げた。数少ない例外を除いて要職を能力者が占めるスーマではありえないことだ。


 クジーフィでは能力者も非能力者も平等に扱われる。無論能力者は稀有な才能を持つと看做れるが、優秀な非能力者もまた同様に高く評価される。官僚機構を維持するのに能力者だけでは人数が足りないし、そもそも実務に能力者の力は必要ないのだ。そういう意味では合理的な価値観と言えるが、その価値観が一方で貴族と平民というスーマにはない分断も生み出した。地球の歴史とさほど違うことなく、支配するものとされるものの軋轢はいかに名君が立とうとも完全に消えることはない。


 街のさらに南にそびえるノナシ山脈は暖かい南風を遮るだけでなく、スーマの軍事的脅威からクジーフィを守ってもきた。逆にこちらから大戦力で攻め入ることも難しく、長らく続けていた領土拡大の停滞を招いていた。


 国境に位置しながら、放牧とチーズ作りを生業とする人々の牧歌的な生活がそこにある。騎士団も、修繕が至らない箇所が多い街を囲む塀も、これまで一度として本来の役目を果たしたことはない。それが対応の遅れを招いたことは否定しようがない。突然の、それも予想外の方角からのスーマ軍の来襲をミズイ駐留赤銅騎士団はしばらく認識できなかった。数百人の武装した集団を見ても敵国の侵入だと考えることはなく、多くの者は自国のどこかの部隊が行軍訓練中に迷いでもしたのだろうと考えた。


 レーツロンは無能な指揮官ではない。分団の幹部は優秀な人材を揃えていたし、たとえ非常に低くても外敵の侵入の可能性は無視していなかった。そしてそれを麾下の団員にも徹底していたのだが、それでもこの状態である。




「教科書に載ってそうな正常性バイアスの実例だな」


 痩身に見合わぬ巨大な鉄棒を振り抜き、破城槌など使う必要もないとばかりに簡素な門を砕き壊したのはヤジン・トルサルデ。赤い髪がやや乱れたのに気付いて手で撫で付ける余裕がある。明確な攻撃を加えられて初めてクジーフィ側の動きが慌ただしくなった。


 それを見ていた自身の口から思わず出た言葉に苦笑する。他人事だが自分が同じ状況に置かれて真っ当な判断ができるかと言えば自信はない。どんなに気をつけていても人間の認知は簡単に騙されるものなのだ。


「正常性バイアス?」


 銀色の長髪と同じ色の鎧を纏った少女が聞きなれない言葉に反応した。


「ああ、人間は普段と違う場面に遭遇しても、なかなか異常だと認識できない傾向があるんだ。白昼にこれだけ目立つ俺たちが近づいてきたのに、警戒している様子がなかったでしょ?」


「ふうん、そういうものなんだ」


 俺の話は興味をそれほど引く内容ではなかったらしく、粉砕された門に視線を戻した。表情からは読み取りにくいが、この後の作戦の進行について思案しているのだろう。今回の作戦の要は彼女がどれだけ粘り強く指揮を執れるかにかかっている。俺は逆にいかに迅速に動けるかがポイントだ。


 行動開始まであと少し。タイミングを見計らわなくては。

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