親子
「悪い子にお仕置きをしに来たんだよ。あんな狭いところで延々穴掘りをさせやがって」
歩を進めながら悪態をつくが、言葉とは裏腹にその顔は喜色満面。
「仕事だよ仕事!しかも王直々の正式な命令だったでしょ。スーマ軍人なのに王命に不満があるっていうわけ?」
「お前は昔っから口だけは達者だな。そんな子に育てた覚えはないぞ。全く誰の影響だ!」
「へへーん、偉大なるお母様の教育の賜物ですよー」
達者なのは「口だけ」ではないだろうとその場の全員が思ったが、クレアの力を間近で見て知っているトルサルデも含め誰も口に出さない。
軽口を言い合う姿は凡そスーマ最強、いや世界最強の能力者たちとは思えない。仲の良い母娘が戯れ合っているだけである……会話だけを聞けば。
2人に血の繋がりがないことは一目でわかる。母は真っ黒な髪と褐色に近い肌、筋骨隆々の長身。かたや娘は銀髪に透き通る白い肌、背は平均より低いくらいだ。
それでもそのことを大っぴらに指摘する者はいない。
近しい者は2人の絆を知っているから。
信奉者は2人の強さに敬意を払うから。
敵対者は2人の力を恐れるから。
サヴァニリーシュがスーマに来て12年。クレアがその娘になって9年ほど。それぞれに意味は違えど、彼女らの存在はスーマの国と民にとって小さくない存在になっている。
今では『戦神』と畏れられるサヴァニリーシュは今にも倒れそうな、痩せた旅人の姿でスーマに現れた。スーマ人の祖先が住んでいたより遥か東、今は見る影もないかつての大帝国フィソロイフのさらに東。地球でいうところのヨーロッパであるスエインサの世界ではほとんど知る者がない国から来たという。彼の国とスエインサの間には、容赦ない日差しが照り付ける岩と砂の不毛の土地が広がっている。いかに能力者とは言え一人でどうやって抜けてきたのか。サヴァニリーシュに纏わる逸話の中でも有名なものの一つである。
「一旦シサムに戻るんだろう?」
「そうだね。1日だけならなんとかなるかな。母さんも帰りたいんでしょ?」
「そりゃそうさ。もう2週間もローハに会ってないんだ。このままじゃカラカラに干からびちまう!」
そう、親子だけでなく夫婦の中の良さも国中に知れ渡っているのである。数多の兵が、ことあるごとに惚気るサヴァニリーシュに辟易させられてきた。なにせ『戦神』に失礼があってはいけない。
とは言え、夫婦親子の仲の良さは概ね好意的に捉えられている。
夫の名はドルローハ・ディーハ。
文化的にはクジーフィその他の大国に遅れを取るスーマにおいて、数少ない知恵者である。古今の文献を誦じ、自国、他国の歴史と文化に通じる。川の流れ、星の動き、スエインサに暮らす鳥や獣、彼の知らぬものはスーマの誰もが知らぬと言われている。
そしてまた能力者たち―—スーマにおいてはほぼ特権階級と言い換えられる―—が夫婦を見るたび心に微かな波風を立てるのは、彼が非能力者であることだ。最強の能力者が非能力者、それも戦う術を持たない学究の徒を選ぶとは。
「またしばらく任務が続くんだから、その前に2人でゆっくりしたら?」
「あんたもおいで。たまにはローハに顔を見せに来なよ。すっかり家に寄り付かなくなって」
「ふふ、いいの?」
「あったりまえよ。娘の帰宅を喜ばない親がどこにいる」
3ヶ月ほど前、クレアは一家3人で暮らしていた家から王城の一室に移り住んだ。今回の軍事行動のために軍上層部と連絡を取りやすくするためというのが表向きの理由だったが、そもそも元の家も城から程近い場所にある。自分以上にシサムを離れることが多い母が、夫とできるだけ一緒に過ごせるようにというのが本当のところだ。それを理解しているのはごく親しいものだけだが。
「残念ですがシサムに戻る時間はありません」
多くの兵士の、そして自らの畏敬の対象である親子の会話に割り込む居心地の悪さを感じながら、トルサルデが口を開いた。
2人揃って無言で振り返るが、その顔は対照的だ。クレアは氷のように無表情、サヴァニリーシュは歪ませた眉から不愉快さが滲み出ている。目の前の2人の力を知るトルサルデはそれだけで小さくない体を震わせシャツの背中を濡らした。
「ジジ……スーガが何か言ってきたか?」
「いえ、トルハオレン王の命令です。クジーフィの警戒が強まっており、感付かれる恐れがあるとのことです」
心底嫌そうな顔をしたサヴァニリーシュが口を開く。
「それで?今日明日にでも作戦を始めろってことか?一般兵の配備も終わってないってのに」
「はい、正確には明日の昼です。現在動かせる部隊のみで侵攻せよとの王命です」
内心の動揺をなんとか隠しつつ答えたトルサルデに対し、黒髪の上官は大袈裟なため息を吐いてから返答した。
「王命に従い作戦を開始する。王には一般兵の展開を急ぐように要請しろ」
「了解しました」
サヴァニリーシュとその娘ルドサンクレアは王には逆らわない。どんな命令でも必ず従う。理由は本人たちにしかわからない。だが意に染まぬ命には表向きにも不満を隠すつもりがない。弱みを握られている、もしくはなんらかの負い目があるとも言われているが、王と彼女らの関係は悪くない。むしろ親愛の情すら感じられるほどなのだ。
「クレア、悪いがすぐに持ち場に戻る」
「そうするしかなさそうだね」
そう言って別れようとした親子だったが、徐ろに踵を返した娘が母を呼び止める。
「待って。ちょっとお願いがあるんだ」
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