期待してる
目が覚めたのはシサムのスーマ軍宿舎のベッドの上だった。眠っていたのは丸一日ほどらしい。窓の外は明るく、陽の高さから正午少し前だろうと思われた。
体を起こすと若干眩暈がする。体のあちこちが痛い。それでも大きな怪我はなさそうだし、疲労が溜まっているだけのようだ。
誰もいない部屋から外に出ると、廊下の向こうから瞳が歩いてくるところだった。
「起きたんだ。体調は大丈夫?」
「うん、もうなんともないよ」
本当はなんともなくはないんだけどね。
「よかった。パウロを助けるためだからって無理し過ぎだよ」
俺の目を見て微笑む瞳を見て心を揺さぶられない男は少数派だと思う。ただし俺はその少数派であるのは前に語った通りだ。
俺が日本人であることを差し引いても顔の造形には魅力を感じる。それに目の奥に灯る覚悟のようなもの——戦いの前には感じなかった——もまたそれに拍車をかける。でもそれらは俺にとって美しい風景と変わらない。
「でもありがとう。仲間が死んじゃうところだったのに私は何もできなかった。振一郎がいてくれてよかった」
そう言って目を潤ませた彼女を見て俺は気づいた。これはあれか、パウロを想って感極まったやつか。なるほど……いつの間にそんな関係になったのかはわからないが、そういうことなんだろう。瞳のためにもパウロが助かってよかった。
パウロはルルの手当てを始めてすぐにベッドごと運んできてもらい治療した。ものの5分で終了したよ。
「パウロは無事なんだね。よかったよ。後でお見舞いに行こうかな」
お互いに笑みを浮かべたこの暖かい空気が、まさかたった一言でぶち壊しになろうとはね。一体何を間違えたんだか。
「そうだ、ルルにも会いに行かないと。具合はどうなの?」
瞳の口元に起きた変化を見逃さなかった俺を誰か褒めてほしい。
一瞬、口角が一ミリにも満たない程度下り、また元に戻った。俺が感じ取ったのは不快さを抱きながらも相手-つまりは俺-にそれを見せまいとする心の動き。それはわかったけどなんで?和やかな雰囲気だったし、当たり障りのない言葉だったと思うんだが。
「……まだ部屋から出られるほどではないみたいだよ。面会はできるみたいだから後で行ってあげて」
結論を言うとルルは助かった。しばらくはベッドから動けないだろうし、兵士として前線に復帰できるかもわからないが、とにかく命は繋がった。
会いに行ったら少しだけ話はできた。相変わらず顔色は良くないが、治療前のように命の危険を感じるほどではない。傷の付近には再感染が起きていたようだったのでもう一度綺麗に殺菌しておいた。
「ありがとう、ございます」
「いいからもう休んで」
まともな会話はこれくらい。もちろんベッドから起き上がることもない。毛布をかけてあげてから部屋を出た。早く良くなるといいなあ。
自分の部屋に戻ると、ベッドの横にあるサイドボードみたいなものの上に、葉書ぐらいの大きさの木でできた薄いカードが置いてあった。
—―ありがとう。お礼は期待しておいて——
差出人の名前はない。しかし書かれている文字がラテンアルファベット、しかもフランス語という時点で俺が知っている人間では二人しか該当者がいない。ちなみに一人はアーロンだ。彼がフランス語を話すのを見たことはないが、まず間違いなく話せる。そして残る一人は……言うまでもない。
ルルが助かったことも嬉しいけど、それより彼女から感謝されることを喜んでしまう自分に内心苦笑した。
「期待してるよ、ほんとに」
こうして俺の初めての戦争は終わった。
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