体力勝負

 一旦戻ってアーロンからエタノール入りの瓶——といってもガラスではなくて陶器だ——を受け取った俺は再び街道を走っていた。思っていたよりエタノールの備蓄は少ないらしく、ワインボトルほどのものを一本渡されただけだ。蒸留の効率が悪いのかもしれない。連続式の蒸留器はないだろうしな。まあそもそも必要なくなるかもしれないし。


 クレアのヒントから導き出した仮説が正しければ体内で増殖した細菌だけを破壊できるはずだ。敗血症になっていようが関係ない。放出された毒素も併せて破壊してしまえばいい。そんなことをイメージして発動するだけで思った通りの現象が起こるというのが能力の本質だ。まだ仮説だけど。


 スーマ軍先行隊が駐留する国境の街が見えてきた。遠征軍のほんの一部でしかないとはいえ、全員が宿に泊まれるほど大きな街ではない。怪我人とその世話をする者以外は野営だ。その怪我人たちに用がある俺は街で一番大きな宿屋に向かった。


 まずはルルだ。負った傷の酷さもさることながら、素人目に見ても全身状態が悪かった。敗血症になっていなければいいが。


「ルルを治療する。中に入れてくれ」


 スーマ語でそう伝えると、ドアの前に立つ護衛役の兵士は素直に通してくれた。戦場で敵能力者を無力化したことで能力者としてそれなりに評価されているらしく、親切に接してくれる者が多かった。どうもこの国では強さは敬意の対象となるようだ。そもそも逆らったところで非能力者にできることはないのだが。


 ベッドに寝かされたルルの顔色はいかにも悪かった。青を通り越して茶色い。呼吸は浅く、当然意識はない。いや思ったよりヤバいぞこれは。体にかけてある毛布?シーツ?とにかく厚手の布をめくると、手足に巻いた包帯はすでに真っ赤だ。一番まずそうなのが左の脇腹付近で、大きな染みがシーツにまで広がっている。感染症はなんとかできても内臓の損傷や大量出血には対処できないぞ。


 額に手を当てる。体温計なんてなくてもわかる。相当の高熱だ。手遅れになる前にできる限りのことをしよう。

 血に染まる包帯で包まれた左腕に触れる。創傷に巣食う細菌ひとつひとつに能力を作用させ引き裂くイメージ。仮説が正しければ細胞膜は破壊され、能力が及んだ範囲を悉く殺菌できる。


 クレアは原因と治す方法をイメージできればうまくいくと言った。地球の科学の知識がある俺はその両方ともクレアより正確に捉えている。俺でダメなら他の誰にも無理だ……いや待て、なんでアーロンにできない?


 これまでのアーロンの行動を思い出し、あらゆる点で自分と比較する。


 そうだ、イメージの問題だけじゃない。能力のコントロールも必要なんだ。アーロンは手で触れたものを自在に動かすことはできていなかった。あくまで筋力を補助する範囲だけ。重いものを手で持ち上げる、地を蹴り宙を舞う…あれでは自分の体から離れた範囲に能力を働かせられない。

 でも俺ならできる。手を触れた場所、それからその周囲、なんならルルの体全てだってなんとかなる。

 触れた手の周囲から力を広げていく。全身を覆い、青い髪の少女を苦しめる病原菌全ての細胞膜と細胞壁をまとめて切断する。


 能力が発動した感覚はある。感覚器はなんのシグナルも示していないが、それでもなぜかわかる。感じ取れる。大丈夫だ。上手くいっている。このまま力を注ぎ続ければじきに体内の細菌を全て死滅させられるはずだ。


 それから体感でせいぜい10分か20分の後、能力の作用が止まった。恐らく目的を達したのだと思う。仮説は恐らく正しかったし、それを実行する力が俺にはあったみたいだ。


 でもたぶん、これだけでは駄目だ。助からない。縫い合わされた皮膚の下で出血が続いている。今までなんとか生きていたということは太い動脈は無事なんだろうが、いくらなんでも傷が多すぎる。


 救う方法はある。問題は俺の体力が持つか、だ。だがやると決めた。クレアに約束しちゃったから。


 一度離した腕に再び触れる。能力を発動し、今度は全身の血管に意識を集中する。出血を止めなくちゃならないなら、能力で傷を塞いでしまえばいい。損傷が酷い箇所だけならそんなに数は多くないからなんとかなるだろう。


 問題は能力を止めたら塞いだ裂け目が開いてしまうということだ。だから血管できた開口の両側を引っ張って接触させ、そのまま治癒するまで待つ。どれくらい時間がかかるのか正確なところはわからないが、数時間では足りない。恐らく数日の間、能力を作用させ続けなければならない。つまり俺が寝るとルルが死ぬ。俺が力尽きて倒れる前に全部くっついてくれるといいんだけどな。


 今も無視できない量の出血が続いているのは脇腹の2箇所だけみたいだ。なんでそれを知覚できるのか、俺にもわからない。考えるのは後にする。今はそれどころではないから。


 目を閉じて力を込める。傍目にはただそれだけ。


 止血は成功した。あとは待つだけだ。ああ、パウロもこの部屋に連れてきてもらわないと治療できないな。彼の出血はさほど酷くなかったから、感染症をなんとかすれば大丈夫だろう。あと食事はともかくトイレはどうしよう。桶でも用意してもらえばいいか。今更俺の羞恥心なんぞに価値を見出す必要もない。




 俺が倒れたのはそれから4日後。ルルが目を覚ましたのとほとんど同時だった。

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