夜の王都で2

 可能性はいくつかある。


 一つ目。

 能力で原子の運動を制御し、直接温度を上げた。空気中の原子を加速して飛ばしたのだとしたら手を触れずに火を点けたことも説明できる。


ただこれは原理的には可能だが実際には不可能に思える。一個の原子に大きなエネルギーを与えても、それこそ光速近くまで加速したとしても目に見える大きさの芯なり油なりを300℃以上まで加熱することはできない。もっと多くの(アボガドロ数に近い程度の)原子を制御しなくてはならないのだ。


 二つ目。

 手、または手の付近から可視光でない電磁波を照射した。出力と波長にもよるが、一瞬で点火することは十分可能だ。問題は一つ目と同じで光子を発する原子一つにエネルギーを与えたところで火が点くほどの温度に熱するには至らないであろうことだ。


 どちらにしても問題はエネルギーを与える、つまりは運動を制御するものの数がとんでもない数になる、ということだ。人間が注意を向けられる対象についてちゃんと把握していないのは不勉強としか言いようがないが、おそらく普通は数個、最大でもせいぜい10か20ぐらいだろう。どう考えても10の23乗オーダーの原子を個別に制御して温度を上げるなんてことはできるわけがない。人間の脳の処理能力に限界はあるはずだ。たぶん。


 実は二つ目の派生で高エネルギーの光子を直接発生させた可能性も考えられるが、こちらはもっと問題だ。ただ運動を制御するだけではなくて光子を生成する、つまりは電磁場を制御できるということだ。そんなことができるというのか?能力者として、というよりは人間の認知の問題として。


 銀髪の少女は再び椅子に座り、頬杖をついている。前髪に少し隠れた菫色の双眸は俺の様子を窺っているように見えた。


 少しわかってきたことがある。クレアは俺にヒントを与え、考えさせることを好むらしい。与えられた情報から論理的に推測することができる結論を、そのまま教えるではなく俺自身に導かせる。


 意図を想像すれば若干癪に触るというか、むず痒いというか、あまり気持ちのいいものではない。ただ裏を返せばなんらかの興味を持ってくれているということだ。まずはそれで満足しておこう。



 考察に戻ろう。

 クレアが見せたヒントから導かれる仮説は……余りにも荒唐無稽というか、直感的には信じ難いものだ。


 簡単に言うと、能力者が望んだ結果が得られるように必要なエネルギーを対象に与えられるというもの。

 ランプに火を灯すため油の温度を上げたい。そう望めば、原子の一つ一つを意識することなく、すべての原子に必要なエネルギーが分配されるのだ。


 そもそも物体の運動を制御できる時点で気がつくべきだった。触れている物体を動かすにしても、一つの原子に力を加えたってその原子が吹っ飛んでいくだけだ。無意識のうちに物体全体、恐らく構成する全ての原子に均等に力が加わっている。それを可能にしているのがどんな仕組みなのかは今は置いておく。まだ証拠が少なく推測とも言えないレベルの話だし、内容もあまり愉快じゃない。


 この能力を使えば感染症の治療もできる可能性がある。仮説通りなら体内の細菌を破壊するイメージで力を込めればその通りになる。


 ここで疑問が浮かぶ。なぜクレアにはできないのか?


 さっきの会話からはやろうとはしているのにまだできないと受け取れた。感染症の原因が体内での細菌の増殖であることは当然アーロンから聞いているはずだから、できて当然だと思うんだが。


 クレアは原因と治療法を明確にイメージすることが必要だと言った。ただ細菌を破壊するというだけでなく、もっと具体的な、例えば細菌の細胞膜を引き裂くようなイメージが必要なのかもしれない。またはそもそも細菌という生物を理解しきれていないか。あるいはその両方か。


 何にしても仮説を検証する価値はある。正しければそのまま治療法になるのだ。しかも負傷に伴う細菌感染に限らずあらゆる病原体に効果がある可能性が高い。先のことを考えると気が重くなるが、今は二人の命を優先しよう。


「ありがとう」


 髪と同じ銀色の眉の端が微かに動いたように見えた。


「もう行かないと。うまくいくように祈っててよ」


 踵を返してドアの取っ手に手をかけた時、予想していなかった言葉をかけられた。


「ルルのこと、頼むね」


 その一言で鼓動のテンポが一段アップした。遅れて広がる甘い熱さ。顔が勝手に緩む。

 なんだよ、そんなことも言うのかよ。このタイミングでそれはズルいぞ。


「お任せあれ」


 なんとか表情筋に仕事をさせてて振り返り、素っ気なく答える。全力で抑制しないと声から、いや体から気持ちが漏れ出てしまう。

 というか抑えてるつもりでもクレアには伝わってそうだな?アーロンにはバレてるか?もうさっさと立ち去りたい。


 もう一度振り返って勢いよく部屋を飛び出した。そのままシサムの街の外まで走る。自分でもわかるぐらい熱くなった顔を秋の夜風が冷ましてくれる。来た時よりさらに力強く地を蹴る足は昨日までの疲労を忘れているようだ。国境の街まではあと何マイル?



 当初の目的だったエタノールを受け取っていないことに気づいたのは街から2,3マイルのところだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る