夜に走る

「即時の武装解除など受け入れられるわけもない」


 スシリナーアの都であるネト。その王城の一室で机を挟んで向かい合うのは、スシリナーア王妃カベッレ・レクリディとスーマ軍と共にやってきた文官たち。交渉役の代表、副代表の2名が顔を見合わせる。


「他国の脅威にはスーマが対応致しましょうと申しているのです。そうなればスシリナーア独自の軍事力は必要ありますまい」


「兵とは国を維持する力。それを放棄せよということは我が国を存続させるつもりがないと受け取るがよいか」


「そのような……」


 本音を言うわけにはいかない、という言葉をぎりぎりで飲み込んだ文官の代表は次ぐ言葉を考える。

 旧王国の再統一という大義名分があったマリハ半島での戦争とは異なり、スシリナーアへの侵攻に大義名分はない。故に庇護を求められ了承するという建前がスーマには必要なのだ。一方的な属国化という事実が誰の目にも明らかなのはさておき。


「もう少し兵同士の親睦を深める必要がありそうだな?一度納めた剣を抜くのは本意ではないのだがな」


 初戦である平原の戦いで撤退した-と言えば聞こえはいいが、ギリギリ無秩序な潰走にはならなかったというところ-スシリナーア軍の中核はまだ王都に戻らず潜伏している。その兵力をちらつかせて主導権を握ろうというのだ。無論、スーマ側がなんらかの理由で決着を急いでいることは掴んでいる。


 ターペ王には警戒していたが、内政に徹してきた王妃の手管を知らずにいた文官代表は、この後もタフな交渉を強いられたのだった。



 最終的な停戦条件は以下のようなものである。


 ・スシリナーア軍は非能力者兵力を戦前の三分の一とする。


 ・スシリナーア国内の能力者の一覧をスーマに報告する。


 ・スーマ軍のネトへの駐留を認める。


 ・スシリナーア国民の命と財産は安堵する。


 ・別途定める賠償金を即時支払うと共に、防衛協力費を毎年スーマに納める。


 ・王女ニーファを5年間、シサムに留学させる。


 最後の条件には王妃が難色を示したと言われるが、最終的には合意に至った。これについては王女本人の強い希望があったと噂されている。王族の子女を戦勝国に留学させる、早い話が人質を送るというのは良くある条件で殊更厳しいものではない。戦闘の結果からすれば、随分とスシリナーアに有利な条件が結ばれたと見るのが妥当だろう。

 これは完全に戦勝国であるスーマが足元を見られたためである。そうしてまでもスーマには時間が欲しかった。



 停戦交渉が行われているネトの都。その城壁の外に構えた陣地で一夜の休息をとった俺たちはスーマ、正確にはその首都シサムへ向かっていた。


 一足先に傷病者を移送するにあたり、護衛として俺と瞳が選ばれた。そう軽い役目でもないのに軍に入ったばかりの俺たち二人だけでいいのかとも思うが、単純に人手が足りないのだろう。ルトクベ、ルソンテからかき集めた能力者10名のうち4名を失い、指揮官と転移者1名が重傷。ネトに残るスシリナーア軍と民衆に抑えを効かせるにはギリギリと言ったところか。


 出発して2日のうちに国境を越えた。隊の規模が小さいため往路より行軍が速い。


 国境近くの街で休息を取る。パウロは昨日から発熱している。感染症だ。現代の地球の医療レベルから見れば感染症も傷そのものも、軽くはないがすぐに命に関わるほどではない。しかしそれはあくまで地球のなら、という話だ。




「絶対まずいよね、これ」


 パウロが横になっている馬車の幌から出てきた俺に話しかけてきたのは瞳だ。


「まずいね。護衛して連れて帰ってもこれじゃ……」


 言いかけて口をつぐむ。俺も余裕がないみたいだ。余計なことを言いそうになった。


「公表されていないだけでアーロンが消毒用のアルコールを持っていると思うんだ。シサムに着いたら頼んでみるしかない」


 現代医学の知識を持つ元アメリカ陸軍士官なら蒸留器を作るぐらいのことはやろうとするだろうし、あいつならやれる。


「でも、たぶん、いまさら焼け石に水だ。敗血症を起こしかけてると思う。抗菌薬と輸液が必要だよ」


 輸液代わりに塩水を飲ませてはいるが気休めにもなっていない。医者じゃないから現時点でどれくらい深刻な状態なのかはわからないが、確実に危険な領域に近づいているように思えた。


 気がかりなのは指揮官であるルルーシャ・マスレーエンも同じく発熱しているということだ。パウロより重傷を負った彼女が発症するのは驚くことではない。むしろ受けた刀傷だけで命に関わるものだ。


 さて、取り得る手は全て実行しておこう。諦めるのはその後でいい。


「ちょっとシサムに行ってくる。一人なら数時間で往復できると思う。朝までに戻らなかったら待たずに出発して」


「今から?消毒薬をもらいに?」


「それもあるけどもう一つ、ほぼ賭けみたいなものなんだけど」


 瞳の頭上にクエスチョンマークが浮かんでいたが、詳しい説明は省略してシサムへと走った。残された時間がどれくらいあるのかわからない上、有効な手が見つかったとしてもそれを実行するのにかかる時間が読めない。今は急ぐしかない。



 宿場を出て月明かりだけを頼りに全速力で走った。整備された街道は思ったより速度が出せる。

 道ゆく人間はいない。時折ネズミのような動物がウロチョロしているぐらいだ。


 思えばこの世界に来て監視もなく一人でいるのは初めてだ。今なら逃げてしまうこともできる。夜に紛れて街道沿いの村で食料をくすね、そのまま他国へ渡ることはきっと可能だ。



 元の世界に帰るのが最優先事項。その道筋は未だ全く見えない。ただ俺の直感は、たぶん彼女の近くにいることが一番の近道だと言っている。


 あと、それとは別に俺の胸に燻る……ちょっと聞こえが悪いので漂う、ぐらいにしておこう。そう、俺の胸には別の想いが漂っている。

 一言で言えば嬉しい。会いに行く理由ができたことを喜んでいる。わざわざ誰かに言うことはなくても、自分の中では認めてしまうことにした。なぜ?という疑問はこの際置いておく。いいんだ、それで。今決めた。



 俺はこのままシサムへ向かう。同じ世界から来た同胞の命を救うというもっともらしい名目で。このまま逃げるよりよっぽど心が躍るよ。



 ……もちろん仲間の命は大事に思ってるからね。

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