父と娘の幸せ

 父王は怒っているようにも困っているようにも見える。その胸の内を正しく知ることは娘であるニーファにもできない。


 あからさまに戦闘態勢を解いたルルを見て振り返った父と娘の間に穏やかな空気はない。



 命を賭して国を守らんと――正確に言えばできる限り有利な停戦を引き出すべく――敵陣に飛び込んだ王。


 その思いを理解しながら父の命を救うべく国を敵の軍勢に晒す道を選んだ娘。


 父はその誇りにかけて、娘もまた自らの心に従い則りなすべきことをした。




 道は違えた。

 お互いに怒りも恨みもない。だが自らが引くこともない。


 レクリディはルルをちらりと見やってから身を屈め、跳躍し、砂煙とともに門の前に着地した。


「門の内に下がれ、ニーファ」


「できません」


 これまで聴いたことのない強い語気で命じられても躊躇なく撥ねつけた。


 無数の傷から血を流す父の体を見回す。これが王としての務めなのだろうか。民はこれを望んでいるのだろうか。


「お父さまこそ、もうたたかいはおわりにしませんか」


 語尾が少し震えていたのは恐れからではなかった。


「ならぬ。これは王としての務め。私が退けばこの国は滅びるのだ」


「ひとりで、これだけたくさんの人たちにかてますか?こうふくしても同じではないのですか?」


 一瞬の間を置き、城壁を見上た王。その内にある人々とその暮らしを思い、今、ここに立っている。


「同じではない。どうしてもこの国のため、民のためになさねばならない仕事なのだ」


「だからって」


 すでに濡れた瞳から頬を伝う一筋。そうして叫んだのが父への最後の言葉となった。


「生きてしあわせになってはいけないのですか!?」


 受け取った父はすぐには答えず踵を返し、再び姿勢を低くした。


「……幸せにはなった。今が一番な」


 直後、レクリディの体は宙空へと跳ねた。



 先ほどまで打ち合った敵将の前へと降り立った。痛む全身の切り傷はますます体力を消耗させていく。痩せ我慢もそろそろ限界に達し、これまでのように余裕の表情を見せることはできていない。


「もう邪魔は入るまいよ。再開といこう」


「よろしいのですか?王女殿下の願いを無碍にして」


「貴官としては都合が悪かったろうな?だが、都合はこちらにもあるのだ」


 スーマとしては、若くして王族としての責任に目覚めた王女に国民の命を守るという役目を負わせ、長期の篭城を防ぐつもりだった。しかし彼女はスーマ側の、というよりルルの意図とは少し違う考えで動いているように見えた。

 ただ、それをあえて言う必要もない。どんな想いで行動しようとも、結果は同じだったから。




 血を流す同胞を前に、振一郎はできる限りの手を打っていた。


 レクリディの大振りの剣で斬られたパウロの傷はさほど深くはなかった。パウロが鎧の下に着込んでいた服を破り圧迫止血を行なっているところだ。出血は概ね止まりつつあるようなので次の処置に移りたいところだったが……


「瞳、傷口を縫う道具は?アーロンが言っていたステイプラーみたいなものがあるはずだろ?」


「そのはずなんだけど!衛生兵が見当たらないの!」


 辺りを見回しながら答える瞳。負傷者がいるのだから向こうから駆け寄ってきてくれても良さそうなものなのに、その気配は未だ無い。


「もう!早く来てよ!」


 気は焦るが状況を変える方法が思いつかない。周囲の兵たちも手助けはしてくれず、二人だけでの対処を余儀なくされている。


「ちょっとここ、押さえてて」


「え、ちょっと待って」


 止血を瞳に任せて立ち上がった振一郎は大きく息を吸い込むと、声帯に能力を行使して勢いよく大気を震わせた。


「傷を縫う道具、持ってこい!」


 大音量の叫び声に周りを囲む兵士の多くが目を見張る。

 しかし瞳はそれとは違う驚きを隠せない。


 程なくして人垣をかき分けながら衛生兵と思われる2人組が現れた。手には待ち望んだ器具を持っている。

 振一郎は処置を二人に任せ、瞳の隣に並んで見守った。


「今のってもしかしてスーマ語?」


「ああ、うん」


 発音はやや拙いが、スーマ人なら誰もが理解できるスーマ語だった。


 この世界の言語は地球の言語学の基準に照らせば一種類しかないと言っていい。それでもスエインサ―—地球で言うところのヨーロッパ―—全体に広がった人々の言葉は地域ごとに少しずつ違う方言に分かれていた。「スーマ語」とは元々のスーマの領土であるマリハ半島北部を中心に話される方言を指している。


「あなた、こっちに来てからまだ一週間でしょ?なんで話せるの!?」


「いやまあ、アーロンから辞書は貰ったから。あとは周りが話しているのを聞いて覚えた」


「だからっていくらなんでも……」


 瞳の言葉には答えず、振一郎は静かに目を閉じて思考を巡らせた。

 状況はあまり良くないのだ。しかし確実に切り抜けられる手段が思いつかない。


「パウロの怪我は見た目ほど深刻じゃない。出血は派手だったけどすぐに止まったからね。でも」


 目を開き、パウロの処置を見ながら続ける。


「ほぼ間違いなく感染症が問題になる。汚れた剣で受けた傷なのに消毒薬が使えない。当然、抗菌薬の類もあるとは思えない」


 瞳も状況に気付きはっとする。この世界の医療のレベルを詳しくは知らないが、地球なら当たり前の医薬品が手に入らないことはすぐに想像できた。


「ウイスキーとかブランデーで消毒はできない?」


「こっちに蒸留酒はないんじゃないかな。あったとしても消毒薬として使えるほど安いものじゃないと思う」


 振一郎がこちらに来た日の夕食、あの時の豪華な食事でもワインしか出なかった。ワインはふんだんに振る舞われていたというのに。他の科学技術のレベルから見ても蒸溜の技術が一般的に利用されているとは考えづらい。


「後はもうパウロの体力に期待するしかないかな」


 瞳は真一郎の顔を見、黙って頷く。

 戦争では致命傷でなくとも死ぬ。不衛生な環境で傷を負い、十分な消毒も薬もなければ普通のこと。それが当たり前でなくなったのは近代のことだ。


 実際、この世界の戦争でも感染症で命を落とすも者は多い。この世界を訪れるようになった転移者によって衛生の概念は認識されつつあるものの、抗菌薬はおろか消毒薬の使用すらも一部の国の極秘扱いに留まる。スーマでも試験的に使われ始めている状態であった。


 果たして次の日からパウロは細菌感染に伴う発熱の症状が出始めることになる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る