王女ニーファ

 スーマによる攻撃が本格的に始まってしばらく経った頃、ネトの城壁正門の守備隊は本来あるはずのない来客に戸惑っていた。


「外のようすはどうなっていますか?」


 まだ10歳にもならない少女、それもこの国の王女であるニーファが、護衛も侍従すらも連れずに現れたのである。


「我が軍の兵士は勇敢に戦っております。未だ目立った損害はなく、敵の攻撃をよく防いでいます」


 尋ねられた守備隊の隊長が端的に状況を説明する。少女の父がまさに今、単身敵陣に切り込もうとしていることは伏せておいた。


「姫様、ここは危険です。侍従を呼びますからお下がりください」


「敵のこうげきは防いでいるのでしょう?ならばここにいても危険ではないでしょう」


「ここは戦況がいつ変わるやも知れぬ戦場いくさばなのです。そしてここは私たちの仕事場です。姫様の為すべきはここにいることではありません」


 静かな言葉には信念があった。祖国を守らねばならぬ。そして命を賭して使命を果たさんとする主君の想いに報いねばならぬ。そして目の前の少女もまた守るべき者なのである。


 一瞬体を震わせ気圧されたかに見えた王女だが、その目にもまた確かな意志があった。


「わたしがなすべきことはここにあります」


 歩き出したニーファはまっすぐ門に向かう。10歳にも満たぬ子供が身に纏う威風が人々の動きを止め、道を開ける。彼女もまた王の資質を持つ者なのだ。


 ニーファは門扉の前に立つと、おもむろに閂に手を触れた。そしてそのまま、まるで積み木を持ち上げるかのごとく持ち上げ、さらに跳ね上げて外してしまった。


 その様子を目の当たりにした守備隊員たちが息を飲む。一瞬の静寂の後、いち早く我に帰った隊長がややうわずった声で言葉をかけた。


「姫様、その力は、いつから……」


「ひと月ぐらいまえです。お父さまとお母さまには人に見せてはいけないといわれていました」


 ニーファは振り返り律儀に質問に答える。

 王族が、しかも常よりずっと早いならば余計に、能力者としての覚醒を隠しておくことは珍しくない。王の身近に強力な護衛が生まれることになるし、それが幼ければ他国の諜報活動の有力なターゲットになりうる。王と王妃もまたそれを憂慮して娘の覚醒は側近にのみ伝えていたのだった。


 再び門扉に向き直ったニーファは両手で扉の持ち手を握り、勢いよく開いた。


「姫様!いけません!」


 次の扉にかかる閂に手を伸ばした時、意図を理解した隊長が叫んだ。しかし聞こえているはずの少女は手を止めることなく横木を抜き去った。


「門を開ければ敵軍が街の中に入ってきます!そうなれば我が国は負けてしまうのですよ!」


 できるだけ平易な言葉で訴えるも少女は止まらない。


「父君、母君が守ろうとするこの国を、姫様が敵に渡してしまうのですか。それが姫様の望みなのですか!」


 間違いなくスーマの策謀が働いている。間者を使って降伏すればスシリナーア国民の命が助かるとでも吹き込んだのだろう。そんな保証はないし、死なずとも失われるものがいかに多いか、幼い王女は思いが至らぬのだろう。


 幼い少女とはいえ、能力者を力づくで制止することことなどできない。必死の訴えにも耳を貸さず扉を開こうとする少女に、隊長は言わずにおこうとしていた言葉を発することを決断した。


「城壁の外で父君がひとり、戦っておられるのです!国のため、民のために命を懸ける父君の覚悟を無駄にするのですか!?」


 ニーファの動きが一瞬止まったように見えたが、すぐに先ほどよりさらに強い勢いで二つ目の扉も開け放たれた。



「やっぱり急がないといけないみたい」




 父も母も、国民のため自分を捧げられる人だった。そしてそれを王族としての義務だと思っているようだった。国民の声に耳を傾け、自らが汗を流して人々の生活のために働く。娘から見ても良い王、王妃に見え、民からも慕われていることは折々に感じられた。


 娘と過ごす約束をしていようと、急ぎ対応すべき事案が発生すれば政務を優先した。ニーファとしては寂しさを感じないわけではなかったが、我慢することも王族の務めとして納得はしている。


 気にかかったのはそれよりも、自らの心身の犠牲を厭わないこと。国の危機となれば命すらも投げ出してしまうのではないか。


 スシリナーアは平和だった。隣国との緊張は幼い王女にもわかるほどはっきりした脅威ではあった。それでも数十年の間、戦乱に巻き込まれたことはない。

 山麓に羊を追い、毛糸を編む。乳を絞り、チーズを作る。豊かとは言えずとも、古くから変わらぬ暮らしを送る民が飢えることはなかった。


 この国が好きだ。10年後か20年後か、いつか王位を継ぎ偉大な父母と同じように民と国を守っていくのだと思っていた。



 それでも考えてしまう。

 国を守って命を落とすことが王の役目なのか?民に幸せになる権利があるように、父と母も幸福に天寿を全うしてはいけないのか?

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