娘1

 時を遡ること一週間。


 少女が毎日の日課である朝の散歩をしていると、見覚えのない顔の侍従が庭木の下で自分を見つめていることに気づいた。


 スシリナーア王宮は国の大きさと同様、クジーフィやスーマ―こちらはこちらで国の規模に比して質素すぎるが―のそれとは比べるべくもない控えめなものである。それ故会ったことのない侍従などいるわけがない。あるいは近頃入ったばかりの新人かとも思ったが、それならその旨自分に説明があるはず。


 幼いながらに推測できた。他国の間某の類だ。


 スシリナーアで最も若い王族である彼女、ニーファ・レクリディは生まれてこの方自国の領土から出たことがない。

 それでも家庭教師から世相や他の国々のことは教わっていたので、この国の政治的基盤が非常に脆弱であることは幼いなりに理解していた。そこに侵入者とあれば友好的な態度は望めないだろうことも想像できた。



 靴音がやや高くなった。



 ちょうど歩く先にいる侵入者との距離がだんだんと縮まる。


 侍従の制服である濃紺のワンピースに身を包んだ彼女を見ても、王宮外部の者であれば偽物と看過することは難しいだろう。


 各国の間で能力者による暗殺を禁じる暗黙の了解があることはこの間習ったばかりだ。だからと言って6歳の少女にとっては怖いものは怖い。


 いよいよ声の届くところまで近づいたとき女は予想外の言葉を発する。


「お手紙をお預かりしております」


 王族に対する礼儀に則ることはなく、少女の返答を待たずに一歩二歩と近づく女。


 思わず両手を握りしめる。


 女が手にした羊皮紙を差し出すと、少女は反射的に手に取ってしまう。女は少女を置いて速やかに下がった。


 二つ折りにされたそれに名書きはなく、平易な言葉で次のような内容が記されていた。



 近いうちに隣国が攻めてきます。

 敵の兵力は大きく、スシリナーアが滅びるかどうかの大きな戦いになるでしょう。

 どうかこのことを父君に伝え国をお守りください。



 すぐに父との面談を望み、それはその日の昼過ぎに叶えられた。

 昼食後に政務室を訪ねると机に座り書類を読んでいた父は難しい顔をしていたが、娘の顔を見ると普段通りの優しい笑顔で迎えてくれた。


「お前から会いたいと言ってくるのは珍しいな。何かあったのか?」


「これを見てください」


 侵入者が残した手紙を両手で差し出すと、一瞬の間の後受け取ってくれた。


 折り畳まれた羊皮紙を開き内容を確認するのを待つ。

 王の眉間にほんの少し皺が寄ったが、少女が気づくことはなかった。


「これをどこで?」


「庭ではじめて見る女にわたされました。その……王宮の者ではなく侵入者ではないかとおもいます」


 手紙から目を離しこちらに向けた表情はいつもと変わらない。


「わかった。心配せずともよい。私がなんとかしよう」


 父の言葉は力強く、少女の胸の内に広がりかけていた霧を瞬く間に晴らした。



 それから5日、隣国が挙兵したという話は聞こえず、手紙のことは忘れかけていた。


 朝の日課を終えて部屋に戻ったとき、少女の意識は一週間前に引き戻された。

 家庭教師との勉強の時間に使う木製の机に二つ折りの羊皮紙。机に向かう歩みがやや早くなった。


 手にとってみればやはりこの間と同じものだと思われた。急ぎ開いて内容を確認する。



 まもなく戦争が始まります。

 都に攻め入られればもはや勝つ見込みはありません。

 父君は国王として、負けるとわかっていても最後まで戦うおつもりでしょう。

 姫様はお逃げください。



 スシリナーアが戦に負ける?

 父と母は、そして自分はどうなる?

 父が命をかけて戦おうとしているのに、私が逃げるなんて……



 そうだ、考える前にまずこの手紙のことを父に伝えなくては。


 入ってきたばかりのドアから出ようとした時、廊下の向こうの騒がしさが耳についた。鎧を着た兵士が走るたび金属音が響く。幼いながらに只事でない状況だと理解した。


 部屋の外に出てみれば侍従たちまでもが忙しなく動き回っている。声をかけることを躊躇していると、逆に背後から声をかけられた。


「姫様!よかった。戻られていたのですね」


 日頃身の回りの世話をしてくれている侍従の一人だ。几帳面な性格の彼女は普段は物静かで大きな声など聞いたことがなかった。

 そんな小さな驚きに気を取られて大事な人が後ろにいることに気付くのが遅れた。


「ニーファ。出かける準備をなさい。なるべく動きやすい服装で」


 いつもの優しい眼差しはなく、見たことのない表情―—怒っているような、困っているような、どちらも違うような―—の母。


「どこへ行くのですか?それにこれは、なにかあったのですか?」


 困惑を見てとり、王妃は普段通りの飄々としつつも柔和な顔に戻して諭す。


「お隣の国の軍がちょっと悪戯しているだけよ。見ての通り騒がしいから、しばらく静かなところで本でも読んでらっしゃい」


「ちょっといたずらって……」


 隣国が攻めてきたということはわかったが、他に言い方はなかったか。ただあまりにも緊張感のない言い方にいつもの母を感じ、体が軽くなった気がした。


「そうだ!おとうさまにこれをわたさなければならないんです。部屋の机の上にありました」


 そう言って差し出した羊皮紙を、母は表情を変えずに受け取り、ちらりと中を確認してから再度折りたたんだ。


「私から渡しておきましょう。さあ、急ぎなさい」

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