平原の戦い

 出発を明日に控えたこの日、必要な準備は大して時間がかかるものではなかった。所々サビが浮き出た鉄の鎧、その下に着る皮の服、それに振一郎の身長よりやや短い両刃の剣。これら支給された武具を確認し、最後にアーロンのレクチャーを受ける。


「細かいことはマニュアルを確認してくれ。私から伝えることはひとつだけだ」


 瞳、パウロ、振一郎に順に顔を向け、いつも通り落ち着いた口調で言葉をかけた。


「上官の命令を守れ。それが生き残るために一番確率が高い行動だ」


 午後はシサムの街に出て散策する余裕があった。振一郎にとってはこの世界の普通の生活を見る初めての機会であったのだが、護衛と称してついてきた若い兵士たちに囲まれ、そこで暮らす人々との接触はかなり限られたものになった。


 そして夜は何事もなく明けた。

 ルルーシャ・マスレーエンを長とする能力者15人、一般兵2000人の遠征部隊はシサムの街から西へ進み、ノナシ山脈―—地球で言うところのアルプス山脈―—の麓に位置するスシリナーアに向かう。能力者は力を使っている分には疲労が大幅に軽減されるため、進軍速度は一般兵に律速される。途中国境近くの街で一晩の休息をとった後、いよいよスシリナーア領内に侵入する。長い国境線全てに関が設置されているはずもなく、部隊は何事もなく国境を越えた。

 ここからは手はず通り侵攻を殊更にアピールしながら進む。村の近くを通る時は石や糞尿が入った樽を投げて戦術的には特に意味のない攻撃を行い、そのまま素通りする。

 領内に侵入したスーマ軍に好き放題されたスシリナーアはこれを無視することはできず、王都近くの平原に軍の主力を展開し迎え撃つ態勢をとった。ここまではスーマ軍の思惑通りである。


 国境を越えて2日と少し、スーマ軍が平原の端に到達してすぐ、両者示し合わせたかのように戦端が開かれた。3人の転移者にとって初めての、そしてスシリナーアとその軍勢にとっては最後の戦争であった。




 地球と同様に、端緒となるのは投石や投槍などの遠距離攻撃である。能力者のそれは普通の人間とは比較にならない射程と威力を発揮する。石が当たれば重傷は免れないし、投槍に至ってはほぼ確実に致命傷となる上、犠牲者の体を簡単に貫通してさらに後方にも被害を与える。そのためこの世界の戦術は基本的に散兵となっている。密集陣形は的にしかならないし、近接戦闘に至っても能力者に死体の材料を供給し続けるだけだ。一般兵数名からなる小隊がお互いに声が届くぎりぎりの距離を取りながら攻撃を行う。


 能力者が投擲する石や投槍で倒れる味方を踏み越え、両軍の距離が縮まる。一般兵の弓が届く距離になるとすぐ一般兵同士の近接戦闘も始まる。


 一般兵の第一目標は弓による敵能力者への攻撃である。矢が命中する確率は低いが当たれば能力者とて無傷では済まないため十分妨害の効果はある。彼らが用いるのは地球のヨーロッパには本来なかった複合弓コンポジットボウである。過去に転移者が製法を伝えたもので、瞬く間に各国に広まった。1メートル強の長さながら射程、威力に優れ、100メートルを超える距離でも有効な攻撃手段となり得る。

 弓による攻撃はまた敵弓兵の排除も目的とする。さらに弓兵の援護を受けて剣(素早い移動が必要なので移動速度が制限される槍はほとんど用いられない)による攻撃を仕掛ける者もまた狙いは敵弓兵である。

 戦場ではいかに敵能力者の行動を阻害し、また味方能力者の障害となる敵兵を排除するかが争われることになる。


 スーマには弓兵と近接戦闘を行う兵からなる小隊と、通常より射程が長い弓を持つ弓兵に加えそれを補佐する役をまとめた射撃専門の小隊がある。補佐役は矢の運搬や盾による射撃中の防御などにより、射手の射撃速度を上げることに徹する。この世界で主流だった弓兵のみの小隊と近接戦闘を行う小隊からなる兵科に対し、アーロンの助言により編成されたものである。重要なのは長射程の弓による敵兵の牽制、そして小隊内の弓と剣の連携だ。特に弓兵のみの小隊において射程の犠牲になる速射性をカバーする支援要員の存在が大きい。戦場で直接攻撃に関与しない人員は軽視されがちであったため、これらの戦術はスーマがマリハ半島を席巻する大きな力となった。


 兵力に大差ない一般兵同士の戦闘は若干ながらスーマ優位で進んでいく。やや両翼を拡げながらスシリナーア軍を包囲する形になりつつあった。


 一方能力者の戦闘は対照的にスシリナーアが圧倒していた。そもそも前線に出ている人数がスシリナーア12名に対し10名と少ない上、新兵中心の部隊は祖国の防衛に燃える小国の精鋭たちに戦技の面でも士気の面でも大きく劣る。討ち取られた者はまだいないものの、すでに2名が手傷を負い後方に下がった。


「思った以上に脆いな。こりゃ予定より早めに動かないと不味くないか?」


 黒に近い焦茶色の髪と瞳のヤジン・ロークンは最前線で辺りを見回す余裕を見せながら、思わしくない戦況を冷静に分析している。


「いえ、この程度はまだ想定の範囲内です。左翼が押されているのでロークンさんはそちらに。中央は私が対処します」


 こちらも冷静な青髪のルルーシャ・マスレーエンは飛来する矢を躱しながら答える。


「了解。無理すんなよ!」


 弾丸のように、いや砲弾のように文字通り飛んでいったロークンを横目で見ながら、ルルは彼とは異なる小さな懸念を抱いていた。

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