王の仕事

 品の良い調度品で整えられた部屋の中、テーブルの上のワイングラスを手に取り一気に飲み干す男。華美ではあるが嫌味のない、仕立ての良い服に飾られた長身を椅子に投げ出し天井を見つめる。浮かぶ表情は覚悟、はたまた諦めか。


「もう少し待つと思ったのだがな」


 長いため息を吐いてから、今度は頭も背もたれに預ける。白いものが混じる紅茶色の髪が乱れても気にするそぶりはない。


 スシリナーア王ターペ・レクリディは王位について12年、大国に挟まれた小国の王という立場としては最善と言える統治を行ってきた。


 流行り病に斃れた父王からその座を継いだ時、すでにスシリナーアは存亡の危機にあった。南で国境を接するスーマは未だマリハ半島北部を占める小国に過ぎなかったものの、すでに一帯では強国の一つとなっていたクジーフィは領土拡大の欲求を隠そうともしていなかった。クジーフィと接していた小国は次々に飲み込まれ、その国境はスシリナーアに迫っていた。


 即位後間もなくレクリディが打った手は、クジーフィとスシリナーアの間に位置する隣国への宣戦布告であった。本来なら協力してクジーフィの脅威に対抗すべきだと思えるところ、全軍に近い兵力を自ら率いて攻め入ったのである。


 少なくない損失を出しながらも兵を進め、隣国の都が落ちるのも時間の問題というところまできて、一通の書簡をクジーフィに送る。


 その内容は、


「隣国が我が国の領民を連れ去るという横暴を働いたので仕方なく攻め入ったが、抵抗が激しく苦戦している。ついては敵の後背を突き、挟撃によって敵を撃滅するべく力を貸してほしい。勝利の暁には彼の国の統治権は我が国と貴国で折半しよう」


 というもの。


 クジーフィとしては、スシリナーアと連携することで他の方面で領土を拡大するための兵力を温存しつつ勢力圏を拡げられる。共同統治という形態は少々面白くないが、しばらくしたら理由をつけて自国の領土に組み入れてしまえばいい。


 求めに応じてクジーフィが侵攻すると急襲された都は程なくして陥落。狙い通りクジーフィ軍はほぼ無傷であった。


 本来ならクジーフィの手を借りるまでもなく攻略できたスシリナーアがなぜ新領土の利権を半分――実際にはそれ以上――を放棄してまで協力を仰いだのか。


 即位前からのレクリディの評価では、高い農業生産力に支えられたクジーフィの国力は高く軍も良く整備されていて、その意志さえあれば周辺の小国を駆逐するのは造作もないことであった。またスシリナーア軍は精強であると自負しているものの、クジーフィと戦えば数で押し負けることは避けられまい。


 敵対は得策ではない。かといって隣国が占領されれば次は自国の番であるのは子供でもわかることだ。


 そこで考えたのが隣国の共同統治である。実現すればスシリナーアとクジーフィは直接国境を接するわけではない上、形式的には友好国となる。少なくとも当面は兵を送られることはないだろう。


 レクリディには時間が必要だった。クジーフィに対抗できる力を得るための時間が。


 スシリナーアの周辺諸国や小国に分裂していたマリハ半島を束ね、大国となるであろうクジーフィと並ぶまでは行かずとも、容易に攻められることのない軍事力を整える。それが狙いだった。


 実際、大国となっていたクジーフィが再度の版図拡大を期すまでの7年を稼げた。共同統治の約束が一方的に廃され隣国が占領された後もあの手この手の権謀を巡らせさらに5年、クジーフィの目を逸らし続けたレクリディであったが、本来の目的は想定したようには進まなかった。


 スシリナーアの東側、国とも言えない小さな領地をいくつか併合するものの、西にはクジーフィが進出。そうこうしているうちに南のマリハ半島ではトルハオレンが王位を継いだスーマが瞬く間に全域を平定し、クジーフィに並ぶ大勢力を築いた。レクリディの構想はほぼそのままトルハオレンが成してしまったのである。


 スシリナーアが取りうる道は二つあった。一つはクジーフィかスーマ、どちらかの陣営に加わることだが、これはレクリディには許容できない。必然的に残る手、さらに時間を稼いで機を待つことを選択した。具体的には両大国の間でどちらにもつかず離れずに徹する。そして裏では両国の対立を煽り、さらに取り込まれた国々の王族にも分離独立を唆す。こうしてスシリナーアの国力の相対的な引き上げを目指した。


 かくしてそれまで以上に権謀術数に頼り続けること1年ほど。その結果が今である。


「小僧の野心を見誤ったか……いや、これ以上奴に阿るわけにはいかん。やはり限界だったということか」


 聞く相手のいない言葉を吐き終わるのと同時に部屋のドアが静かに開く。王の居室にノックもなく入ってきたのは派手さを抑えた紺色のドレスを纏った女性。年の頃はレクリディとほぼ同じといったところか。銀細工の髪留めでまとめた美しい金髪を揺らしながらレクリディの前に進み出る。


「ターペ」


 彼女はスシリナーア王妃、カベッレ・レクリディ。外交に集中せざるを得ない王に代わり内政を一手に担ってきた。ターペとは幼馴染でもある。


「残念ながら時間切れ、かしら?」


 国の終わりを前にして不謹慎とも思えるほどの言い草だ。


「そうだな。こう直接的な攻めに出られてはもう手はない。上手くやれていると思っていたのだがな」


 言われた方も深刻さを感じさせない語り口でで答え、大袈裟に肩をすくめてみせる。彼自身、いつ滅んでもおかしくない小国の王としての重圧に10年以上の間耐えられたのはこの妻がいればこそだと理解している。


「相変わらずね。人の心を読もうなんて烏滸がましいこと。そんなことより今、なすべきことがあるでしょう」


「わかっている」


 立ち上がったターペが両手で髪をかき上げると、もはやそこには先ほどまでの穏やかな顔はない。目の奥に光る荒々しい闘争心。闘いを前にした戦士の姿だった。

 妻は夫にも気づかれないほどに表情を緩ませたが、すぐにいつも通りの鷹揚な態度に戻った。


「後のことは心配なく。できる限り良い条件を引き出して停戦させます。民は誰一人死なせません」


 これこそ為政者たる女の矜持である。彼女はすでに戦いの最中にあるのだ。


「ああ。面倒を押しつけてすまんな」


「そう思うならせめて2,3人は倒しなさいな。王としての格好がつきませんよ」


 戦士の顔が一瞬さらに引き締まった後、片側の口角が少しだけ上がるのを妻は見逃さなかった。


「5人は道連れにしてやるさ」


 彼は死地に向かう。国が滅びに際したとき、守護者たる王が生き残ることは良しとされない。スシリナーアに限らずこの世界の普遍的な価値観と言っていい。そして夫の残りの人生を恥に埋めるつもりは妻にもなかった。

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