壁2

 木剣を中段に構え直す。間合いは先ほどよりやや広く7,8メートルといったところ。


「はぁっ!」


 先ほどと同じように声を発し、今度は踏み込んでの突き。


 と、見せかけて飛んでいったのは木剣だけ。中段の構えから指一本動かさず、木剣を高速で射出した。触れていれば力を伝えられるんだからこういうことだってできる。ノーモーションだから読めなかっただろ。少しは驚いたか!


 残念ながら受けるクレアに焦りの色は見えなかった。完全に読んでいたとは思わないが、全く想定していなかったわけでもないのだろう。それに恐らく彼女の反応速度なら撃ち落とすことに困難はない。当然のように弾き飛ばされようとしたその時、唐突に木剣の軌道が変化しクレアに打ち下ろされる。


「おっ」


 思わず声を上げたのを見て内心ガッツポーズだ。

 種明かしをすると、木剣を打ち出したあと俺自身も跳んで追いかけた。そして空中で木剣を掴み、そのまま振り下ろしたというわけ。


 今までの俺なら飛ぶ木剣に追いつくなんてことはできないのだが、クレアのヒントでそれを実現した。考えてみれば簡単な話だ。能力者の力で剣を動かせるなら自分の体だって動かせるはず。地面に力を伝えてその反力で跳ぶのではなく、自分自身の体に直接力を加える。これなら慣性の縛りを無視した速度で動ける。


 虚をついたとはいえ放った木剣は危なげなく受けられてしまった。それでもほんの一瞬、動きを止められた。ここからフルスロットルで連続攻撃。上段、横薙ぎ、袈裟斬り。最初に止められた攻撃とは比べ物にならない速さであらゆる方向から斬りかかるも、余裕を持って全て防がれてしまう。しかし人間の反応速度には限界がある。それを超える速さで剣を振れば絶対に対応できない。だからもっと速く。もっと、もっと!


 繰り出した斬撃を防がれたと自分自身が認識するより早く、踏み込んだ足に地面の感触が伝わるより早く。打ち合うこと10合、20合、数えるための思考能力すら体勢のコントロールに当て、更に加速を続ける。


「……そのぐらい……方が……いよ……」


 クレアが何か口にしたことはわかるが、内容を理解する余裕がない。そんなことよりもっと速く手足を動かせ!


 さらに数合打ち合った次の1合、突如として手に伝わる衝撃がなくなった。気づけば目の前のクレアの姿が消えている。振り回す剣は空を切るばかり。


 我に帰り木剣を見れば切っ先からちょうど半分が無くなっていた。折れたかと思いきや、刀身に残されたのは鋭利な切断面。


「切れて……る?」


 この木剣、当然だが刃はついていない。紙一枚すら切れるわけはない。


「焦りすぎだよ」


 背後から聞こえた声に振り返ると、そこには剣を下ろしたクレアの姿があった。そして視界の隅で回転しながら宙を舞う切っ先。それが俺とクレアの間に落ちる直前に、音もなく2cm角ほどの賽の目に切り刻まれた。


「今のは!?」


 クレアは微笑むだけだ。また考えろということだろう。


「あのまま加速しつづけたら動けなくなるところだったよ。腕や足に力を込めるイメージだけじゃ体の中がついてこない」


 体を速く動かすなら同時に内部の血液や内臓も同じ速さで動かさないとダメージを受けるということか。常に強い加速度がかかることになるから、特に脳への血流が問題になりそうだ。さっき思考力が鈍ったようだったがそのせいかもしれない。


「でも力の使い方はよかったよ。最後の連続攻撃で倒せない人、軍にもそんなにいないと思う。ただ剣を飛ばしたのは…ほら、あそこに難しい顔をしてる人がいるでしょ?」


 視線の先には腕を組んだアーロンの姿がある。眉間には皺を寄せている。


「ああいうことができるのは軍の中でも少ないの。戦力に大きく影響するから、何人いるかも機密事項になってる。練習するならあまり目立たないようにやって欲しいな」


 無言で頷く。剣を打ち出す以外にも色々応用が効きそうだから納得できる。


「あと、実戦で剣を手放すのはやめた方がいい。ギャンブルだよ。それも分が悪い」


「アーロンにも言われた。だからさっきは自分で掴む前提で飛ばしたんだけど」


「それでもダメ。さっきのだってやろうと思えば壊すなり奪うなりできた」


 言い終わる前に体の向きを変え、アーロン達の方に歩き始めたので俺も続く。


「アーロン、いい仕事をしたね。これならルルも楽ができるでしょ」


 訓練場の横で待つ教官に声をかけたが、褒められた方は素直に喜んでいるわけではなさそうだ。


「3日でレベル3になれる訓練プログラムなんてありませんよ。それより出発はいつですか?」


 レベル…能力者の評価指標みたいなものか。


 ところでクレアは訓練場に現れてからずっと英語で話している。アーロンはこちらの言葉がわかるそうだから俺たちに気を使ってくれているということだ。


「明後日の朝。振一郎、瞳、パウロはルルの指示に従ってね。私はもう行かないと」


 そう言って木剣をアーロンに渡した次の瞬間、文字通り目前から消えた。その後に起こったのは突風。吹き飛ばされるのではなくクレアがいた位置に引き込まれる。至近距離だったアーロンなど倒れそうになり足を踏ん張っていた。風が収まっても来た時と同様の土煙がしばらく残った。



 しかし夢が広がるな。恐らくなこの世界でも最高峰の力と技を目にして心が浮き立つ。俺があの速度で跳んだら確実に鞭打ちになる。全身を同じ速度で同時に動かせるように、まだまだ訓練が必要だ。あれができるようになると思うと今すぐ体を動かしたい。

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