スーマ王トルハオレン・ライオ

 靴音とともに鎧が触れ合う金属音を響かせ、軍の中枢たる司令官たちが居並ぶ中を進む。銀糸の如き髪が揺れるたび、衛兵の男たちの目が職務を忘れて追いかける。その視線に一瞥をもくれることなく彼女は主君の前へ歩み出た。

 謁見の間は三大国の一角を占める国のそれとは思えぬほど質素で20人も入れば一杯になるほどの広さしかない。いま、その空間の主役は銀髪の少女と若き王であり他の者は舞台装置に過ぎなかった。


「ムーキス隊隊長ルドサンクレア・クーディンタローグ、帰還しました」


 鈴が鳴るような声を聞いた主君は待ちきれぬとばかりに口を開く。


「ご苦労。此度の戦いでも功を挙げたと聞いたぞ。詳しく聞かせてくれ」


 スーマ王トルハオレン・ライオ。オレンジ色の肩までかかる髪とグリーンの瞳、彫刻家の手になるかと疑う均整のとれた顔つきは、本人が望まぬとも年頃の、いやそうでなくても数多の女を引き付けるのに十分な働きを示した。さらに大軍を率いれば連戦連勝、内政にも優れ民の信望も厚い。自ら剣を取っても戦場で敵兵を討ち取ること数知れず、まさに非の打ちどころのない王である。


 そもそもスーマの王位は、王と名がついているものの世襲が保障されているわけではない。先代の王の子であっても、王たる力を示さなければ当然のようにより力を持つものに地位を移譲される。絶対的な権力者というよりは部族集団の頭目、代表者に近い。最終決定権はあれど家臣や民の意志を蔑ろにはできないのである。


 トルハオレンの父も内外に力を示した偉大な王だった。王位を継ぐ前、マリハ半島を占めていた国家連合が崩壊した際に、それに乗じて介入した各国の軍勢を悉く退けた。王になった後も旧連合国最北部に位置するスーマと他国との国境をよく守り、半島内の戦乱の平定にも力を尽くした。


 その父王が4年前、若くして病に倒れた。


 民は偉大な王の治世の終焉を予期し、世の不安は高まった。家臣には跡目であるトルハオレンの才覚を疑う者はいなかったが、それは広く民にまで知られているわけではなかった。

 世の不安が高まればそれを利用する者が現れる。旧連合国の一員である隣国がこの機にスーマの不穏分子を焚き付けて都で暴動を起こし、さらに5000の兵を動かしてスーマ国内に攻め入った。


 いざ侵攻が始まるとトルハオレンはこれに相対せず、暴動の首謀者の説得に動いた。話を聞き、頷き、肩を叩き、ともに酒を飲む。首謀者は半日後には王への忠誠を再度誓い、トルハオレンは罪の不問を約束した。


 そこからは早かった。

 300の精鋭を国境に向かわせて足止めをし、その間に自らはスーマのほぼ全軍、8000の兵をもって隣国の都を急襲した。電光石火、都を陥落させた勢いで国境の敵軍に迫り難なく降伏させたのは、出立から4日後のことだった。都への凱旋を見届けた王はついに往生し、王位は息子に受け継がれた。


 寡兵にて大軍を受け止め続けた精鋭たちの話はまた別の機会に。


「ではその転移者はすでに力を使いこなしていると?」


 王は左手で顎に触れながら問う。


「すでにそれなりのレベルにはあります。アーロンには1週間で仕上げるよう指示しておきました」


「1週間!?」


 一瞬驚いた様子を見せるも、すぐに口元に笑みが浮かぶ。


「では、楽しみにしていよう」


 報告を終えたクレアが下がろうとすると、王の脇に控えた男が声をかける。


「敵能力者の被害が戦死1名、重傷1名というのはどういうことかな?リトメオッジ軍の被害を抑えるようにと伝えたはずだが」


 彼はルカ・スーガ。ベージュに近い薄い茶色の短髪ととグレーの瞳を持つ大柄な男だ。濃紺の軍服に身を包んでいる。スーマ軍の総司令官であり、クレアの直属にして唯一の上官でもある。


 クレアはスーガに向き直って答える。


「転移者が危険に晒されたので排除したまでです」


 そもそも重傷者はクレアの仕業ではないのだが。


「リトメオッジが反撃に出たらどうするつもりだったのだ?下手をすれば全面戦争になるところだったのだぞ!」


「攻め込む口実ができていいではないですか。クジーフィと開戦してしまえば緩衝地帯としてのリトメオッジに価値はないでしょう」


「今、奴らと事を構える余裕はないと言っているのだ!」


 激昂するスーガに対し、とっておきの営業スマイルを貼り付けてはっきり宣言する。


「私一人でもリトメオッジは落とせます。3日も頂ければ」


 スーガは眉を歪ませ苦々しい表情を隠さないが、反論はできない。彼だけではなく、クレアの言葉を否定できる者はこの場にはいないのだ。


「まあまあ、優秀そうな転移者が確保できたのですから、今回はそのぐらいにしておきませんか」


 険悪になりかけた雰囲気を解きほぐしたのはリアン・レカンアーポ。非能力者部隊のトップである。ややクセのある深緑の髪とほとんど瞳が見えない細い目の男だ。実務能力と人望を兼ね備えたスーマ軍の首脳の一人である。


「それとクーディンタローグ隊長」 


 クレアに向き直ったレカンアーポが続ける。


「あなたを3日も遊ばせておくほど我が軍は暇ではないのですよ。おわかりでしょう?」


 クレアは貼り付けた笑顔を崩さない。

 しばらく沈黙が流れた後、王が口を開いた。


「そこまでだ。クーディンタローグ、詳細な報告は明日以降に聞こう。スウガとレカンアーポは明日の軍議の準備を」




 数時間後……


「こんな夜更けに女の子の部屋に来るって紳士のすることじゃなくない?」


 王城のクレアの私室を訪れた緑眼の男は頬を掻いて答える。


「王様なんだからこれぐらい許してくれよ。これでも結構忙しいんだぜ。それにほら」


 差し出した包みの中身はドライフルーツがたっぷり入った焼き菓子。


「オレン、私だっていつまでもこんなもので釣られるわけじゃもぐもぐ」


「説得力ねえ……」


 部屋の主は頬張った菓子を飲み込みながら問いかける。


「でも、こんな時間にって珍しいじゃない。そんなに私のことが心配だった?」


「リトメオッジ如きを相手にお前が怪我をする可能性なんて万に一つもないだろ」


 少女の強さを知る男の正直な言葉に、ふふん、と鼻で笑うクレア。


「そんなこと言って。可愛い妹が心配で居ても立ってもいられなかったんでしょ?」


 国の長である男は浅いため息を吐いた。公式な場以外では兄妹のように接する二人だが、血縁上も法の上でも兄と妹ではないし、男の気持ちの上でもまたそうなのだ。


「そういうことにしておくよ」

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