天才の製造工程

 繰り返すが氷山振一郎は天才である。


 父は物理学者で母は翻訳家という、平凡とは言えないが珍しくもない両親の元に生まれた。


 両親が息子の異才に気づいたのは彼が4歳の頃だった。同じ保育園に通う子どもたちが平仮名を学び始めた頃、彼はすでに多くの漢字を覚え、両親の本棚から本を引っ張り出して読み始めた。


 父母は共に勉学に関しては子供の頃から優秀な部類だったので、はじめは息子の行動にもさほど違和感を覚えず見守っていた。しかし父の蔵書を読んでいた息子が朝永-ラッティンジャー液体の励起状態について質問してきた時、父はその場で疑いようのない確信を得るに至った。


 自分がなすべきはこの才能を世に送り出すことである。


 その日から東京東部に位置する氷山家は保育園児を対象にするには些か高度すぎる私塾となった。物理学者である父は物理学と数学を、翻訳家の母は英語と英語圏各国の文化を教えた。


 生物学や化学、情報工学に興味を示せば父の職場から専門の研究者を連れてきた。英語以外の言語を学びたいと聞けば母の仕事仲間からスペイン語、フランス語などの翻訳家を呼んだ。

 さらに彼の好奇心は法律や経済、社会学にまで至り、その都度両親は労力を惜しまず彼の望むものを与えた。


 7歳になって両親は彼を連れてアメリカに移住し、飛び級で大学に通わせ始めた。


 幼すぎる彼を見て難色を示す大学関係者も彼と話せばたちまち態度を変え、西海岸の大学に入学することができた。知識を習得する速さは世界最高峰の大学教授たちから見ても卓越していたし、得られる情報から推論し、不確かな目的地にたどり着くその洞察力は指導教官をして航海士ウェイファインダーと言わしめた。さらに、ただ勉学に秀でるだけではなく人間的な魅力、人当たりの良さも身につけていた。それは生来のものではなく、両親が連れてきた多くの大人たち――多くはその道の一流の専門家――から学ぶうち、彼らから望む知識を引き出すために身につけた『技術』であった。


 やはり初めに触れたものに惹かれたのか、大学に入った振一郎は9歳で物理学の、11歳で生物学の学位を得た。さらにそのまま研究を続け13歳でPh.Dを取得。


 アメリカで生活する間、英語はもちろんのことスペイン語、中国語での会話を苦もなくこなせるようになった。ときには家で仕事をする母の目を盗んで街へ出掛けては街の人々と交流し警察に保護されることもあるなど、年齢相応の奔放さを見せることもあった。


 15歳になる頃には母校で物性物理学の研究をしながら会社を立ち上げ、大手IT企業とソフトウェアの共同開発を行なっていた。


 17歳になった振一郎は突如として両親に日本への帰国を要望する。彼は理由を告げなかったが、両親はもはや彼の行動に口を挟むつもりはなかった。



 そして飛行機に乗った彼は、日本ではなく見知らぬ世界を訪れることになる。

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