チート天才が異世界転移したけど上には上がいた話

川田スミ

第一章 転移

白刃舞う中、少女は笑う

 コンマ数秒後に俺を殺すはずだった男の体が、正中線で分断される。


 割れた体の奥に見えたのは微笑む銀髪の少女。




 現実感のない光景に思考が追いつかなくなっていたせいかもしれない。


 人の命を奪うという許されない行為をしたはずの彼女に、俺は見惚れてしまったんだ。





 氷山振一郎は自他共に認める天才である。


 幼少時から明らかに周囲の子どもたちとは異質の発達を見せ、それに気づいた両親は息子を連れてアメリカに渡り飛び級で大学に入学させた。そこで物理学と生物学を学び、最終的には13歳でPh.Dを取得した。IQは200を超え、知識の吸収速度だけでなく―閃きと洞察力に支えられた論理的思考にも優れる彼の元には、自らの研究室に勧誘する教授たちが引も切らなかった。



 その頭脳が、自らの状況を把握できないでいる。




 俺は成田に向かう飛行機に乗っていた。到着予定時間まで30分を切り、読んでいた本を閉じて到着後の予定を思い出しているところだった。飛行機はほぼ満席で特段変わった様子は感じ取れなかった。


 問題はそこからだ。

 突如として一瞬―本当に一瞬―目の前が白一色となり、戻ってきた視界には草木のない岩だらけの山肌と青空があった。リクライニングしたシートに預けていた俺の背中と尻は硬い地面に引っ叩かれる羽目になった。


 体を起こすと、土煙が舞う中長大な剣を振り下ろさんとする男。しかしその致命の一撃が俺に届くことはなく、少女が微笑みを浮かべながら2枚に下ろす。



 少女はこちらに顔を向け、俺に何か声をかけた。何か、と言ったのは彼女が発したのがまるで聞いたことのない言語だったからだ。


 俺は少女に応答する前に思考を開始した。


 整理しよう。

 まず場所だ。ここは明らかに飛行機の中じゃない。しかも日本でもなさそうだ。


 次に今見た光景。

 真っ二つになった男も真っ二つにした少女も、およそ人間が振るえるとは思えない大きさの武器を軽々と扱っている。

 これらから導かれる結論は……



 俺、死んだかも。



 日本近海を飛んでいた飛行機から日本以外のどこかへの瞬間的な移動や、身の丈ほどの金属の塊を振り回せる人間の存在は俺が知る物理法則では説明できない。彼女が常人の8倍の密度の筋肉を持っているなら別だが。

 一番穏当なのはいつの間にか寝てしまって夢を見ている、なのだが、夢にしてはあまりにも明晰すぎる。視覚も聴覚も鮮明、砂埃の匂いや背中と尻の痛みもリアリティがありすぎる。

 仮想現実の可能性もあるが、全身の触覚まで再現するVRシステムは研究室レベルでも実現していないはずだ。あとはなんらかの薬を盛られて夢か幻覚を見ている?そんなものをわざわざ飛行機に持ち込むぐらいなら、他にいくらでもやりやすい場所はあっただろう。そもそもただの一市民にそこまでする奴がいるか?

 というわけで再度確認だ。

 俺は死んだ。おそらく乗っていた飛行機の事故で。


 証明しようがなく信じてもいなかった死後の世界。今まさにそれに触れている最中なのかもしれない。そう考えると好奇心が疼くのを感じる。まあ理解できないものを証明できないもので説明しようとするのは思考放棄に近いものがあり、科学的な見方ではないな。やはり念のため飛行機のシートで熟睡中、の線も捨てないでおきたい。もしくは物理法則が異なる世界にあの一瞬で移動した?それは流石に発想が飛躍しすぎだろう。


 思考に耽ることコンマ数秒、少女がいつの間にか俺の右隣に移動していることに気づいた。

 次の瞬間、またしても青空が見えた。隣にいた少女に胸ぐらを掴まれて放り投げられたと気づいたのは空中で後方2回転と1回半ひねりを決め、着地する寸前だった。


 残念ながら着地は決まらなかった。





「殺すなって言われてたじゃないですか」


 今回の作戦に隊長補佐として随行するリアン・タルカンに嗜められても全く気にするそぶりもなく、銀髪の少女は自分の仕事を淡々とこなしている。


「それに」


 タルカンも目前の敵兵の剣撃をいなしながら続ける。


「さっき投げ飛ばしたアレ、大丈夫なんですか?」


 長身痩躯に明るい茶色の髪と瞳、切長でやや吊り上がった目、体と同様細めの輪郭はどこか裕福な家の執事を連想させる。しかし彼が持つ両刃の剣は身長ほどの長さと胴体ほどの幅があり、明らかに執事が持つような代物ではない。


「あのまま転移者を見殺しにしても良かった?」


 少女はようやく隊長補佐に顔を向けて言った。

 タルカンの手が止まり、ほんの一瞬だけ眉間に皺が寄る。


「あれ、転移者なんですか?こんな人里離れた山の中に?」


「そうだよ」


 眉間の皺は盛大に存在をアピールし始めた。


「それならなおのこと丁寧に扱ってくださいよ。死なれたら国益に関わります」


 少女は襲いかかる敵兵に顔を向け直しながらそっけなく言う。


「岩がないところに投げたから大丈夫」


 背後で聞こえたタルカンのため息を無視し、右手に持った剣で敵兵の突きを弾く。体勢が崩れた敵兵の槍の柄を撫でるように自らの剣を滑らせると、槍の穂先が音もなく落ちた。


 彼女の片刃の剣もまた身長を超える長さと、タルカンのものほどではないが広げた掌ほどの幅がある。


 さらに右斜め後方から打ちかかろうとする敵兵を察知し、振り向きざまに横薙ぎの一閃を放とうとした時だった。


 握り拳の半分ほどの石が風切り音とともに敵兵の目の前を掠めた。少女は驚いた表情を見せるでもなく石が飛んできた方に視線を向けると、そこには対照的に目を見開いたまま固まる少年の姿があった。


 しかし少年は数瞬の間を置いて意識をこの場に引き戻すことに成功し、続け様に次の投擲を試みた。

 今度は敵兵の脇腹に石がめり込んだ。敵兵は体をくの字に折り曲げた後、ゆっくりと崩れ落ちた。


 鉄製の鎧には複数の亀裂が走り、内側に着込んだ鎖帷子が露出している。石は粉々に砕けて散らばった。


「へえ」


 今日一番の笑みをみせて言う。


「我らが王サマに良いお土産ができたね」


 それだけ呟くと、少女はあらかた終わりつつある自分の仕事に戻っていった。



 石を投げた方はただでさえ論理的に説明がつかない状況に自分の行動が拍車をかけたことを少し後悔していた。


「今のは……」


 あの大きさの石をあの速度で。しかも尻餅をついた姿勢から右腕だけの力で。


 身体中の打撲と擦り傷の痛みがこれから数日は続くことを予感しながら、一つの新しい見地に到達した。直感は時に論理を凌駕する。



 ここは異世界。地球じゃない。

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