救済と死
子供はみなベッドに入っている深夜11時。先日のエルフとの市街地での戦闘のせいで、未だ街頭などもろもろは修繕が追いついていらず文字通りの真っ暗闇だ。
街灯のない真っ暗闇の通りを抜けて、目的地の地下への階段までやっと辿り着く。西地区の一帯はエルフとケイとの戦いでの損傷のせいでほとんど人通りがない。そんな中にぽつんと、その階段だけぼんやりと灯りで照らされていた。
そこまで辿り着いて、リゼはやっと足を止めた。踏み込む前に一度三人で目配せを交わす。リゼ、レオ、それからヒース。この三人だけで、今回の作戦には挑まなければならない。
「レオ、ヒース、問題はない?」
「ええ。僕は特には。レオの変身魔法が一番心配だけど……」
「まあ5、6時間ぐらいなら十分持つはずっすけどね。最悪の場合は幻惑魔法で何とか誤魔化します」
「了解了解。私が見たところも上手く変化できてると思うよ」
そうリザは薄ぼんやりとした灯りの中で、レオとヒースの姿を再度見やった。
レオのいつもの溌剌とした赤い瞳は落ち着いたブラウンに変貌していて、背格好も随分小さくなっている。大体15くらいの子供といった風貌。その隣のヒースは逆に10も20も老け込んだ、初老の男性といったところ。薄らと白髪混じりであるあたり妙に相変わらず芸が細かい男だ。
そしてリゼは二人の変装に合わせるように、40くらいのふっくらとした女性の姿に身を変えていた。これでリゼたち三人は、少し年老いた夫婦とその子供の家族に見えるだろう。
「では突入の前に最終確認だ。……私たちは東地区の城門のあたりに住んでる三人家族。今日の昼間の信徒の演説を聞いて感銘を受け、より詳しい話を聞きにきた。問題ないね?」
「うっす。とりあえず怪しまれないこと最優先で、出来ればなるべく高位のメンバーに接触出来れば良しってとこですね。やりましょう」
そうやる気満々といった様子のレオとは対照的に、ヒースは不安げに階段の下を見下ろした。
「……うん、やっぱり使い魔避けがあるね。ニーナちゃんの応援は望めない。万が一何かあっても救援は呼べないってことは念頭に置いていこう」
「そうだね。無茶はせず、情報を聞き出すことに専念しよう、ってことで」
作戦開始、とリゼは密やかに呟いて下りの階段へ足を踏み入れた。
♢
中は思ったよりも広く、そして尚悪いことに思ったよりも多くの人でひしめいていた。ヒストリア会の言葉に誘導された人々の数はこちらの予想を超えて多い。リゼはひっそりと息を吐くと、まずはくるりと周囲を見渡した。
部屋の中に何となく散っているのが勧誘された人々で、彼らに熱心に話しかけているのがヒストリア会の連中だろう。お揃いのローブの背中には鷲の上のクロスのマークがしっかりと描かれている。
そこまでリゼが視線を動かすと、すぐ正面にいたヒストリア会の一人がこちらに気づいて歩み寄ってくる。
「新しい同胞よ、我らの活動に興味を抱いてくださったのですか? どうぞもっと中へお入りください。ほら、遠慮せずに」
「……これはご親切にどうも。でもわたくしたち、まだあなた方がどのような会なのかはよくわかっていなくて」
「そんなことはお気になさらないで。今日はアレン様もいらっしゃっているのです。直接アレン様からお話をお聞きになればいいわ」
その信徒は……まだ二十代に見える若い女性は、そうリゼたちを笑顔で中へと招き入れる。彼女はローブに覆われた腕をひらりと振ると部屋の中央を指差した。
「あちらにアレン様がいらっしゃるのです。今は少し皆様に囲まれてお忙しそうですけれども、暫くすればお話かけになれると思いますわ」
「その、ちなみにアレン様というのは?」
ヒースのその静かな問いに、女性は満面の笑みをもって返した。
「我々ヒストリア会を導くお方であり、神々からの御言葉を直接得られる唯一のお方なのです。けれどもアレン様はその類稀なお力を、我々罪人に赦しをもたらすためにお使いになられている。……アレン様こそがこの腐敗した街に神罰を下し、赦しを与える崇高な存在なのです」
そう祈りを捧げるように手を組んで告げる彼女は、言葉を選ばなければ狂っているようにしか見えなかった。頬は興奮で紅潮し、唇は薬物中毒者のようにわなわなと震えている。異常であり、奇妙だ。
リゼは彼女を刺激しないように慎重に言葉を選んで口を開いた。
「なるほど、よくわかりました。ところでお嬢さん、ひとつ聞きたいのですが、あなたはいつこの会に加入されたのですか? 先日のエルフとの戦いの前? それともその後?」
「お恥ずかしながらたった一週間前のことなのです。けれどもこの一週間で私は今までの人生全ての過ちを理解し、生まれ変わりました」
「生まれ、変わった」
「ええ! きっとあなたたちもアレン様からお話を伺えばわかるはずよ! 騎士団も教会も全ては欺瞞ばかり。本当の信仰は、彼らのような下賎な者たちの元にはないの!」
陶酔、もしくは酩酊。後者の方がより近い。彼女のその姿と語りは、まさにアルコール中毒に陥った人間にそっくりだった。
これ以上彼女から話を聞き出すことは無理だ。そうリゼとヒースたちは目配せを交わすと、ぺこりと小さく会釈をして彼女から離れる。
リゼたちは部屋の隅の方へと寄ると、周囲に人がいないことを確認して小声で口を開いた。
「これ、やっぱり洗脳魔法じゃないの?」
「でも僕は何の魔力の気配も感じませんけどね。リゼは?」
「私も同じく」
「オレも……って言いたいんですけど、一つ気になることがあります」
レオは臨時のブラウンの瞳を細めて、部屋の中央を指差した。そこには相変わらず信者たちに囲まれた男……アレンが立っている。アレンを中心にした一団はどうやら彼の話を聞いては心酔することに忙しいようで、小さなグラスを片手に熱心に話し込んでいた。
「あのアレンっていうやつ、近寄ってきた奴らにグラスを渡してるんです。多分酒だと思うんすけど、匂いが違う」
「匂い?」
「薬臭い。それに今朝バルガスのおっちゃんが殴られてた時も、周りの奴らから変な花の匂いがしたんです。あん時はただの趣味の悪いハーブだと思ったけど、もしかすると」
「……なるほどね、精神を変容させるような薬品を使っている可能性がある」
ヒースはそう口元を歪めた。白髪混じりの頭を雑にかき混ぜる動作でカモフラージュされながら、アレンの方へとヒースの指先がそっと伸びる。その指先からさらに、細くて濃やかな魔力の糸が流れていった。糸は部屋中に散らばった大量の人の誰にも触れることなく、グラスの淵へと到達する。こういった探知系の魔法はヒースの専門分野だ。
「うん、やっぱりおかしいね。少なくとも単なるワインじゃない。液体の魔力濃度が高すぎる。こんなもの、魔力耐性がない人が摂取したら命が危ないレベルじゃないかな」
「魔力酔いの可能性もあるものね。いや、むしろ魔力酔いも利用して人々を酩酊させ、言葉巧みに騙しているとか?」
「何にせよあの酒がヤバい。せめて一杯ぐらい手に入れて成分分析できればいいんですけど」
レオのその言葉に無言で首肯した。先日のクロムに投げつけた薬品といい、どうもヒストリア会は妙な薬術に長けているように思える。そう考えれば今回の酒に盛った薬品も、禁忌の材料を使った魔法薬である可能性が高い。それを手に入れることはヒストリア会の正体に迫ることにも繋がるはずだ。
ただし入手にあたって問題が一つ。まさか受け取った酒をその場でビーカーに移し替えて鑑定用に保管するわけにはいかないから、どうにかアレンの前で飲んだフリをしつつ、怪しまれずに残りを隠して持ち帰る必要がある。
つまりは非常にリスキーだった。危険な薬品を口に含んだ上で、残りのグラスを服の内側にでもそっと隠すなんて芸当をしなければならない。
リゼはそこまで動きを吟味すると、すっと視線をヒースの方へ向けた。
「……ヒース、行っておいで」
「僕ですか? この中で一番か弱い僕が?」
「だって今のレオはどう見ても未成年だし、万が一ヒースがあの酒でイカれても私が残ってればぶん殴って正気に戻してやれるだろう?」
だから消去法で君しかいないのさ、とリゼがにっこり笑ってやれば、ヒースは頭痛を抑えるようにこめかみを叩いた。これはリゼの無茶振りを大人しく受け入れるしかないと覚悟した時の癖。
「わかりましたよ。……ちゃんといざとなったら助けてくださいよ」
「もちろん。師匠を信じなさい」
「後輩のことも信じていいですよ」
「逆に不安になるんだよなあ、それ」
そんな彼のぼやきは聞き流し、背中を雑に突き飛ばしてやれば、ヒースは渋々とした足取りで部屋の中央へと向かっていく。
完璧な変身魔法のおかげでその後ろ姿は少し猫背の40代くらいの男性にしか見えない。人生に疲れていそうな、何か漠然とした不安と不満を抱いていそうな。まさにヒストリア会の格好の餌食の男だ。
リゼがそう後ろからぼんやりとその姿を追っている間にも、ヒースはアレンの一団の一部へと容易く潜り込んだ。彼のグレーヘアーはすぐに集団に溶け込んでしまいそうだったけれど、どうにか目を離さないように追い続ける。
「……あの、すみません。突然お声をお掛けしてしまって。貴方が、アレン様でしょうか?」
「ええ、如何にも。その様子、今日がこの会に参加するのは初めてでしょうか?」
「はい。妻と息子に誘われまして。ですので私自身はあまりこの会についてはよく知らないのです」
ヒースはそう申し訳なさそうに頭を掻いた。妙に器用なだけあって演技力も申し分ない。アレンは腰の低いヒースの様子に触発されたか、妙に偉そうに胸を張るとやはり予想通りヒースの手元に一杯のグラスを押し付けた。
「こ、れは?」
「何、酒は会話の潤滑油ですからね。良ければ飲みながらお話ししましょう、何せ長い話になりますから」
「ありがたい。……これは何の酒でしょうか? 嗅いだことのない香りだ」
「これはお目が高い。実は我々が独自で作っている酒なのですよ。口当たりも良く飲みやすい」
さあ、どうぞ一杯、と勧めるアレンの表情は確かに柔和な笑みなのだが、その瞳は冷徹にじっとヒースを観察しているようだった。気の抜けない男だ。
ヒースはその勧めに従って、微かに震える指先でグラスを口元に運んだ。リゼもそれに釣られて一瞬息を詰める。
隣に立ったレオに、リゼは素早く目配せをした。
「……レオ」
「大丈夫です。合図に合わせます」
「了解」
ヒースの喉が鳴る。こくり、と一口。そして唇に傾けられていたグラスはさりげなく後ろ手に回された。
「
リゼのその小さな呟きと共に、静かに魔法が展開される。幻惑魔法。効果範囲内の人々の認識をそれとなくずらし、思考を掻き乱すもの。そう強い魔法ではないが、こういった場面ではかなり便利な魔法だ。
レオはリゼのその呪文と同時に静かに駆け出すと、ヒースが後ろ手で差し出したグラスを受け取ってジャケットの内側へと隠す。この一連の動作の認識を掻き消すことができるのが幻惑魔法だ。故に、アレンもその周囲にいた者たちも、誰一人として今ヒースのグラスがどこへ消えていったか認識できない。
「……オッケーです。回収完了」
そうレオがリゼの隣へとこそりと戻ってきたのを確認して、同時に魔法を切る。途端静止していたような緩慢な時間が一気に動き出し、アレンの口角がにたりと上がってヒースの肩を叩いた。
リゼの幻惑魔法のおかげで、アレンたちは今頃ヒースの手から消えたグラスは、ヒースが飲み干したものだと思い込んでいるに違いない。そういう風に術者の都合の良いように認知を書き換えてしまう。それが幻惑魔法の恐ろしい部分だった。
「なかなかいい飲みっぷりだ。一気に一杯飲み干してしまうとは。もう一杯は?」
「いいえ、もう十分です。それにしても不思議な風味ですね。一体何が入っているんですか?」
「それは秘密ですよ。この会の秘伝のレシピでしてね。……まあそんな酒の話よりも、本題に入りましょうか。あなたは我々の会について知りたい、そうですね?」
アレンのその言葉に、ヒースは一瞬くらりと足をふらつかせながら頷いた。
「え、ええ。どのような理念で、何を目的にしているのか。何故騎士団と教会は許されないのか、まだ私の理解が追いついていないのです」
「良いのです。大切なのは理解しようと努力することですから。……そうですね。ではまずそもそもの前提から話しましょうか」
アレンは、ヒースに向かって尊大に腕を広げた。
「神による救いは選ばれし者のみに与えられる。では選ばれしものとは誰か」
その言葉は悪夢のように部屋中に響き渡った。
「不死者。死を超越した者こそが、神より赦され、その身を神へと変えるのです!」
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神殺し達成してからゆっくり自殺したいと思ってる 奈良乃鹿子 @shikakochan
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