家族と幼馴染


「ヒストリア会、ですよね。最近はめっきり活動も減っていて、構成員も二桁を切ったと思ってたんですが、私の目を盗んでどこかで活動を続けてたみたいです」


 そうニーナは肩に乗ったネズミを撫でながらうっそりと呟いた。


 結局あの男たちは丸一日待とうとも一切口を割ろうとしなかった。何故クロムを襲ったのか、どこから薬を入手したのか、裏に誰の手引きがあるのか。誰一人として話さない。もちろんラルツの母親も含めて、だ。その辺りが最近のケイの苛立ちの最大原因なのだが、それはともかく。


 ケイとニーナは騎士団本部から教会への道を二人で歩いていた。時刻はまだ太陽の登りきらない午前中ということもあって、人気はそう多くない。ラウラとの約束の時間まではまだ十分あるから、ケイは欠伸混じりに空を見上げながらいつもよりのんびりと足を進める。


「私の目の届かないところって、いったいどこで活動してたんでしょうか」

「さあな。こそこそと地下にでも集まってたりして。秘密結社じみてるよな」

「じみてるっていうか、そのものですよ」


 ニーナは唇を尖らせたままにそう呟くと、切り替えるように頭を振った。

 

「まあヒストリア会のことは今はいいです。……今日は裁判のための犯罪者の引き渡しと一通りの契約締結ですよね」

「ああ。……減刑の余地なしで主犯は追放、残りもそれなりの刑は避けられないだろうな」


 ケイのその言葉にニーナの顔が僅かにしかめられる。けれどもケイにもニーナにもこの結末はどうすることもできない。


 ヒルバニアはこの狭い壁の中でどうにか争いなく平穏に暮らすために300年苦心してきた。なにしろ狭く、逃げ場がない場所に何万人もの人間がひしめいているのだ。少しの火種が街全体を消し飛ばす大火事になり得ることは皆わかっていた。


 それ故に、ヒルバニアは街の秩序を乱すような人々に対してはとても厳しい態度を取る。騎士団によって拘束された犯罪者は、中央教会に差し出されて正式な判決を受けるのだ。そして神の名の下に刑罰を処される、という流れ。


 煉瓦造りの道に、ケイとニーナの足音だけがこだましていた。ケイとニーナの今日の仕事はラウラに件の犯罪者の引き渡しの打診をし、ヒストリア会についての情報を共有すること。どれも楽しそうな話題ではない。


 ケイはどんよりとした空気を振り払うように、ふと思いつきで口を開いた。


「そういえばニーナは教会学校には通ってたのか?」

「もちろん。……いつも全科目トップだったんですから。ラウラさんがいい点を取るたびにお菓子をくれるんです」

「あー、餌付けが趣味だもんな、あいつ」


 そうくすりと笑う。ラウラは子供好きだ。教会の雑務に追われているよりも子供相手に遊んでいる方がよっぽど趣味に合うらしく、いつも暇さえあれば司祭自ら教室に立っている。そういうところは好感が持てる女だ。


 そうラウラのことに想いを馳せていれば、こてりとニーナの首が傾げられる。


「そういえばケイさんとラウラさんって仲がいいですよね。昔からのお知り合いなんですか?」

「ああ。知り合い、というか幼馴染だな。あいつも俺も中央教会の孤児院出身だから」

「……あ、えっと」

「あー、別に気にしないでくれ。今更特に思うところもないし、あそこが俺の実家ってだけだ。自分の境遇を悲しんでも哀れんでもないよ」


 ケイが慌ててそう言葉を継げば、ニーナは遠慮がちに小さく頭を下げた。


 そもそも騎士団などという命の危険もある組織に自ら所属しに行く者など、大半がケイのような身寄りのない、一人で生きていかなければならない者たちなのだ。騎士団に入れば毎日の食事も寝る場所も自動的に確保される。そう考えればケイのような育ちの人間にとってこれだけ良い条件はない。


 むしろ逆に、ニーナのようなどこに行っても重宝されるような娘が騎士団に入ることの方が相当珍しいだろう。


「……ニーナの両親は騎士団に入ることに反対しなかったのか?」

「されましたよ。むしろ今も実家に帰るたびに色々言われます。もっと安全な職につけだとか、学校の教師はどうだとか、余計なお世話ですよね」

「いや、俺は結構その親の気持ちもわかるけどな。なんでわざわざ騎士団に入ることを選んだんだ?」

「憧れですよ。セレナさんやクロムさんは私のちっちゃい頃からの憧れでしたし、ほら、それに」


 と、ニーナはほんの少しだけ声を顰めると小さく呟いた。


「……ヒースさんもあれでいて魔法使いの中ではこの街でトップクラスの人ですし」

「へえ」

「なんですかその目は!」

「や、意外だなと思って」

「だって入るまではあの人があんな……サボり魔の最悪やる気なし人間だとは思ってなかったんですもん!! 外から見てる時はもっとちゃんとしたすごい魔法使いに見えたのに……」


 きゃんきゃんと吠え出したニーナをいなすようにケイは視線を少し遠くにやると、半笑いの溜息を吐いた。確かにヒースは外面はいい。そう考えると今ニーナが妙にヒースへ当たりが強いのは、最初の期待値が高かった分の影響なのかもしれないな、なんて。


 そんなことを考えている間にも城の入り口へと辿り着く。城……というよりも大きな屋敷といったところだが、そこの正面入り口から入って右手側の棟が丸ごと教会の敷地となっているのだ。


 右側の棟は二階建てで、結構な部屋数がある。一階の突き当たりのホールがいわゆる礼拝室となっていて、それ以外の部屋は教会学校用の教室や資料室、洗礼や葬儀などの登録を請け負う事務室などとなっていた。こうやって見てみると確かに教会というより役所の色の方がかなり強く見える。数日前のリゼとのそんなやりとりを思い返しつつ、ケイは慣れた足取りで二階へと向かった。


「ニーナはこっちに入るのは初めてか?」

「はい。教会学校以外で教会に行くことなんて滅多になかったですから」

「それはそうだよな」

「ケイさんは、その」

「そうだな。ここが俺の家だったからまあ、ニーナよりはよっぽど勝手はわかってる」


 二階が孤児院及び司祭の居住スペースだ。ラウラ以外の聖職者は皆街の別の一角にそれぞれの家を持っているが、ラウラだけは昔からずっと教会内に住み込んでいた。もちろんそれは彼女が孤児院院長を兼任しているからでもあるのだが、それ以上にラウラがこの場所に強い愛着を持っている証でもある。


 階段を上がって、一番奥の部屋がラウラの私室だった。ケイはその薄い扉を遠慮なく叩くと、中から扉が開かれる。


「時間通りだね、いらっしゃい。で、今日のご用件は?」

「事前に言っただろ。犯罪者の引き渡しと、……相談が二つ」

「了解。手早く終わらせちゃおう。あと二時間くらいで教会学校の時間だからさ」


 ラウラはそういつも通りのテキパキした動作でケイたちを中へ迎え入れた。


 ♢


「そういえばラルツは上手く馴染めてるか?」

「様子見。警戒心の強い子猫だってもう少し人を信じるものだけどって感じだね」

「……そうか」

「まあそんなに気に病むことでもないよ。信頼は時間を経て勝ち取るもの。ウチ、根気はあるからね。そのうちラルツにもお姉ちゃんって呼ばせてやるよ」


 そうラウラはにっかりと笑った。ラルツの母が公的に牢獄にぶち込まれることが決まった以上、身寄りのない彼の居場所は当然ここ孤児院となる。ケイがラウラの元へ彼を預けたのがちょうど昨日のことだった。まあもちろんケイとて昨日の今日で彼がほかの子供たちと楽しく走り回っているとは思っていなかったが、それでも心配なものは心配なのである。


 ケイはそう少しだけ眉を顰めると、それから切り替えるように頭を振った。今日の主題はそのことではない。部屋の片隅で本棚に身を預けながら、部屋中に山と積まれた書類や本をがさがさと漁るラウラを視線だけで追う。


「で、何か見つかりそうか?」

「焦るなって。ヒストリア会でしょ。……また厄介な奴らだよね。ウチが司祭になってからは特に絡まれたりはしたことないんだけど、10年前のあの事件の前とかは結構活発に動いてたみたい」

「具体的には?」

「打倒教会って感じ。とにかく今の教会の在り方に……世俗に寄りすぎた姿勢に反発してる。ちょっと待って、前の司祭様の残した資料がどこかにあると思うんだけど」


 ラウラの私室は片付いていないわけではないが、雑然としていた。司祭のローブは部屋の隅に適当に掛けられ、聖書は雑に床に積まれている。何故そんな有様になっているかというと、単純に物が多すぎるから。ラウラはちょっと病的なまでの読書家だ。それ故に部屋の大半は本で埋め尽くされている。


「うーん、あ、あったあった! 確か15年前くらいの日記で名前を見たことがあった気がしたの」


 そうラウラは古びた革製の手帳を引っ張り出すと、慣れた仕草でページを捲る。


「教会暦283年、だからだいたい17年前かな。記録が残ってる。……その頃には結構大きな組織で、数百人規模だったみたいだね。その人数で教会に圧力をかけてきてたみたい。要求は単純。全員が教会員に無条件でなれる現制度の撤廃」

「……つまり?」


 そうニーナが首を傾げれば、ラウラは腰に手を当ててにまりと口角を上げた。これはあれだ。ラウラが先生ぶりたい時の特有の仕草。


「ニーナ、話は案外単純だよ。今このヒルバニアはみんながみんな生まれた時になんの基準もなく洗礼を受けることができる。そうして神の恩寵を無条件に得ることができるわけ」


 でもね、とラウラは指先で日記の表紙を叩きながら言葉を続けた。


「ヒストリア会は、教会は限られた人間のみにのみ開かれるべきだと考えた。……自ら神の恩寵を受けたと証明できるものだけが教会で洗礼を受けて、神の信徒を名乗ることができる。そうあるべきだとした」

「つまり、信者の数をもっと減らせって主張したってことですか?」

「そうだね。より正しく言うなら、『選ばれし者』のみが信者になれるようにしろって言い張ったって感じ。や〜な選民思想よね。でまあ、ウチら現教会の人間は彼らが言う『選ばれし者』じゃないから、教会を受け渡せって言ってきて揉めたみたい」

「それは、まあそうなりますね……」


 ニーナは呆れ半分の色の籠った声でのっそりそう呟いた。なかなかに無茶な話だ。まずそもそも選ばれし者ってなんだ。ケイは神が人間を選ぶなんて話は聞いたことがない。


 神とは無差別に殺し、無差別に生かし、無差別に与える。そういう生き物なのである。


 ケイは痛んだ頭を抑えるようにこめかみに指先を当てた。


「つまり過激選民思想の宗教集団ってことだな。厄介なのは分かったが、重要なのはそこじゃない。……そいつらが何故今になって活動を激化させたのか。それからそいつらの首謀者は誰か。俺たちが知りたいのはそれだ」

「まーたケイはいつだって無茶ばっか言うねえ。残念ながら教会の記録にはそんなもんは残ってないよ」

「……だよなあ」

「それこそそういうのはニーナの方がよっぽど役に立つだろうね」


 ウチが協力できるのはここまで、とラウラはぱたんと手帳を閉じた。息を吐く。当然の話だ。これ以上の調査はケイたち騎士団の領分である。


 やっとエルフの一件が収まったかと思えば、また新たな厄介ごとだった。ケイは疲れに凝り固まった肩を回して、少しだけ顔を歪める。脇腹の皮膚が僅かに引き攣れた。まだあの戦いから一月も経っていないのだ。傷は癒えきっていない。


 そんなケイの微かな動作を見落とさなかった聖女様は、じっとその紫がかった青の瞳でケイを見つめた。具体的には、まだ治りきっていない腹の包帯あたりを。一瞬伸びをした瞬間に服の下から見えてしまったらしい


 まずい、と一瞬思ったのは少し遅すぎた。ラウラは冷え切った笑みを浮かべる。これは説教一歩手前の顔。


 ラウラは部屋の端の書物台の向こう側から、静かに声を発した。


「……ねえ、ケイ」

「……」

「ウチさ、二週間前の戦いのことはそんな詳しくは聞いてないんだけど、アンタ別に大した怪我はなかったって言ってなかった?」

「……ああ」


 ケ、イ。一文字ずつあえて区切ったラウラのその声に、ケイは思わず一歩引いた。


「ウチ、過保護なお姉ちゃんをやるつもりはさらっさらないんだけど、これはちょっと見逃せないかもな〜。……ケイ、ウチちょっと本気で怒ってる」


 紫色から青色へ。ラウラのその目の色の変化に伴って、身体に神気が満ちる。ケイは思わず喉を鳴らすと、反射的に剣の柄を握った。


「待てって、室内だぞ。ニーナもいるし危ないだろ」

「黙りなさい、ケイ。……嘘をついたらお仕置きって、昔から言ってたよね」


 ラウラの手のひらに青色の炎が立ち上がった。浄化の炎。断じてこんな紙まみれの室内で使っていいものではない。けれどもこうなったラウラにまともな説得など通じないのだ。手に握った炎と同じくらい苛烈な怒りを瞳の中に浮かべた彼女は、何の躊躇いもなく右腕を振った。


「水よ、この馬鹿に罰を!」

「だから待てって!」


 ケイは反射的にニーナを庇うように剣を盾にする。ラウラの青い炎は真っ直ぐにケイの元へと飛んで、同じく青色の神気を帯びた剣へと勢いよくぶつかって弾けた。


「大人しく当たりなさい!」

「当たったら死ぬだろ!」

「アンタほどの加護じゃないんだから死にはしないよ。ちょっと痛いだけ!」


 唐突のことに呆然と立ち尽くしているニーナは部屋の隅へと突き飛ばして、ケイは剣を鞘に戻して勢いよく地面を蹴った。少しばかり力を込めすぎたせいで付近の本棚が倒壊した音がしたが気にしない。これはラウラのせいだ。


 そのままテーブルを一息で飛び越えると、ケイは壁際のラウラに覆い被さるように手首を押さえつけた。ラウラの顔が、すぐそばの至近距離でとんでもなく顰められる。


「……何で嘘ついたの」


 ラウラの若干拗ねたようなその言葉に、ケイは首を捻った。


「心配するかと、思って?」

「何その疑問系」

「正直に話したらちょっと面倒なくらいにお前が心配するかと思った、けど、別にそんなことないよなって思って」


 昔のラウラはケイがほんの少しでも擦り傷を作ろうものなら慌てふためいて大泣きしていたが、あれからもうケイもラウラもそれなりに成長して、それなりに長く離れて暮らしている。


 だからそんな懸念はケイの杞憂というか、自意識過剰でしかなかったかもしれない。なんてケイがふと皮肉げに口を歪めれば、ラウラの目が一層尖る。


「心配するよ。するに決まってるでしょ。心配するから今ウチは怒ってるの」

「……うん」

「分かったなら謝って。ちゃんと教えなくてごめんなさいって」


 ごめんなさい、とケイが素直に俯いたままで小さく口に出せば、ラウラのケイより小さい手がぐしゃぐしゃと乱暴に頭を撫でた。


 

 

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