地上と地下


 少年はラルツと名乗った。見た目からしてまだ10にも満たない年だろう。背丈にしては少しばかり痩せぎすで、不安げに視線がきょろきょろと動いている。それは当然か。急に母から引き離されて見知らぬ大人しかいない空間へと連れ込まれれば当然そうなる。


 ケイはラルツをひとまずソファへと座らせると、自分もその正面へと向かい合った。


 ケイとラルツは騎士団のセレナの団長室へと逃げ込んでいた。あの後文字通りの殴り合いの喧嘩に突入した男たちは、クロムの隊へしたことを踏まえて騎士団に拘留されている。あの時少年を保護しておいて良かったとケイは息を吐いた。あのままにしていては少年も騎士に強制連行されていただろうし、それは罪のない少年に与えるトラウマとしては大きすぎるだろうから。


「で、ラルツ。そうだな、とりあえず飲み物でも……」

「母さんはどうなるの」


 ラルツはケイの言葉を遮ってそう呟いた。黒色の瞳には明確な不安と、それからケイに対する疑心が乗っている。当たり前だ。ケイはどこまで説明するものか考えつつ、慎重に口を開いた。


「ラルツ、君は君のお母さんがしたことについてどこまで知ってる?」

「……」

「大丈夫。決して責めているわけじゃないし、君に何の咎もない。ただ、そうだな。君のお母さんが戻ってくるまでには少し、時間がかかりそうなんだ」

「殺されるの?」


 ラルツはそう、ひっそりと色のない声を発した。この年の子供が発するには少しばかり暗すぎて、重すぎる言葉だ。


 ケイはラルツの瞳をしっかりと真正面から見据える。子供の扱い方には慣れている方だ。こういう大人に対する疑心と不安で凝り固まった子供には、変にはぐらかさずに向き合った方がいいと知っていた。ケイにはその気持ちが痛いほどわかる。


「殺されない。そんなことにはならないよ。……どうしてそう思った?」

「母さんがいつも言ってた。騎士団は悪い奴らで、母さんたちは捕まったら殺されちゃうから、だから」

「だから、レオに石を投げた?」

「……うん」

「大丈夫。レオは怒ってない」


 そう少し色の抜けた茶髪を撫でてやった。


「怒ってないし、ここにいる俺たちは君の味方だ。ここにいる限り飯の心配はしなくていいし、建物の中なら好きに移動していいよ。……一応聞くけど、お母さん以外の家族は?」

「いない。父さんはどこにいるか知らない」

「わかった。とにかく落ち着くまではここが君の家だ。……しばらくしたら宿舎に部屋を用意するよ」


 一時的な保護措置だが、果たしてこの一時は一体いつまで続けられるか。ケイはそんな内心の考えが漏れないように視線を巡らせた。


 今は主犯格の男を含むグループ全員について騎士団が取り調べを行っているが、一通りの聞き取りが終われば今日中にでも主犯格以外は解放することになるだろう。そうすればこの少年は母親の元に戻される。それが道理だ。しかしそれでいいのか。


「……ラルツ。君、学校には通ってる?」

「教会学校のこと? ううん、母さんが教会には近寄っちゃダメだって言うから」

「そう、か」


 首を捻る。彼らのあの不気味なほどに神に対して敬虔な信者であらんとする姿からしてみれば、教会を避けるのは不思議な気がする。


 騎士団を憎み、教会を嫌い、しかし強い信仰を持つ、そんな集団。そう脳内でリストアップしてみれば、あ、とケイは声を溢した。


「ヒストリア会……?」


 丁度昨日リゼが言及していたその集団とぴたりと符合する。堅い信仰心を持ち、教会すらも世俗に堕ちたと主張するヒストリア会。何故今になって活動を激化させたかはわからないが、先日の一件で何か思うところがあったのだろう。確かあの男はクロムに向かって神罰だとかと口走っていたし。


 ケイは困ったように頭を掻いた。一層ラルツを母の元に帰したくない理由が増える。……己の信仰が故に子供を学校にも通わせない親に子供を返したくはなかった。これには思い切りケイの私怨が入り込んでいるのだけれども、とにかくケイは自らの視界の範囲で不幸な子供が増えるのを黙って見過ごせるタチの人間ではなかった。


 ケイはふわりと目の前のラルツへと微笑んだ。柔らかく、きちんと敵意がないことが伝わるように。


「とりあえず、温かい紅茶でも飲もうか。クッキーとチョコレートならどっちがいい?」

「……チョコ」


 ほんの少しだけ警戒心を解いた様子の彼に紅茶を入れるべく、ケイは立ち上がった。


 ♢


「はーい鑑定終了。何が入ってたか聞きたい?」


 そうヒースが片手に一枚の羊皮紙を持って中へ……地下の一時拘留用の部屋へと入っていくと、そこは既に酷い有様となっていた。


「うっわ、なにこれ。まだ容疑者でしょ? 手荒なことしちゃダメだって」

「致し方なかったんだ。あまりにも暴れて、隙さえあれば私にもリゼにも殴りかかってくるものだから」

「はあ、それは大変」


 男が四人に女が二人。皆が皆例外なく両腕を後ろに縛られて地面に転がされていた。中でも一番厳重に……脚まできっちり縄で縛られているその男の顔面には堂々と痣が残っている。いや、よくよく見ればそれ以外の面々にも多少の切り傷やら打撲痕が見てとれた。


 ヒースはやれやれと肩を竦めると、手に持った羊皮紙をリゼへと手渡して床に転がる男たちの元へと歩み寄る。


「……水籠アクアクラドロ


 この程度の擦り傷ならば神気を使うまでもない。簡単な治癒魔法を掛けてやれば、背後のリゼが小さく鼻を鳴らした。


「こんな奴らの傷をわざわざ治してやる義理なんてある?」

「義理はないですが、僕こういう時に後で責められる余地は残したくないんです。……あくまで騎士団は取り調べを行っただけで、傷一つ作らせず丁重に扱った。建前だとしてもそういう前提を積み重ねておくのは大事です」

「ふむ、道理だな」


 特にこういう面倒なケースでは。セレナの疲れた色が隠せないその言葉にヒースはこくりと頷いた。本当に面倒なケースだ。何故またこのタイミングで動き出したのか。

 

 ヒースは一番手前に転がっている、おそらく集団のリーダーの男の胸ポケットへと手を伸ばした。一瞬身を捩って抵抗されるがこの状況では無意味だ。ヒースはそこに入った小さな金属製のバッジを指で弾く。


「鷲の紋様の上のクロス。ヒストリア会ですね。僕は実際に見るのは初めてですが」

「ああ、そうだっけ? まああの頃は君も小さかったしね。……ところでヒース、この記述は本当?」


 リゼはそう、先程ヒースが手渡した羊皮紙の一節を呆れ顔で指でなぞった。この男がクロムたちに向かって投げつけた、その薬品の成分分析結果である。


「月桂樹の葉に聖水、ゴブリンの血、ベラドンナにルーカス湖の泥。極めつきに人魚の鱗か。どこからこんなもの手に入れたの? 人魚の鱗なんてどこにも現存してなかったと思ってたけど」

「何せつい最近まで人魚も滅びたと思ってましたしね。……まあそうでない可能性は非常に高くなったわけですが。エルフのせいで」

「そうだね。うーん、聞きたいことが山ほどあるな。人魚の鱗をどこで手に入れたかもそうだけど、まずこの薬でクロムたちをどうするつもりだったんだい? 答え次第で君たちの処遇は決まるけど」


 リゼのその言葉を受けて、男は低く呻いた。


「答えると思うか?」

「答えないならヒースに聞くだけさ。で、ヒース。この薬の効果は?」

「水の呪いの付与です。陸にいようが砂漠に逃げようが、これを受けた被害者はその場で溺死する。……実際の効果は見たことがありませんが、少なくとも文献にはそう記されています」

「なるほどね。つまりは殺人未遂か」

「禁忌魔法薬の違法精製も追加しておいてくれ。ルーカス湖の泥は所持だけで厳罰だ」


 そうセレナは足先で懲りずにまた暴れ出そうとした女の一人を押さえ込みながら付け足した。溜息一つ。また治癒魔法が必要そうだ。


 そんなヒースの反応とは対照的にリゼは床の上を水揚げされた魚のようにのたうっている女を見て愉快そうに唇を歪ませた。相変わらずリゼは敵に対しての反応がどこまでも苛烈だ。嗜虐趣味じみている。

 

 リゼは心底楽しそうな笑みを浮かべたままに、ヒースの目の前の主犯格の男の顔を覗き込んだ。


「……とにかく、少なくとも主犯のあんたはどう足掻いても厳罰は避けられない。お兄さん、名前なんて言うの?」

「教えるわけが、」

「セオドア、ですってよ。このバッジに刻んでありました」

「ふうん、いい名前じゃん」


 ふふん、とリゼは珍しく見た目に似合った少女らしい笑いを溢した。10年前に加護を受けてからというもののリゼの容姿は一切老けていくことがないのだ。だからそういう風に笑っていれば十分可愛らしい少女に見える余地があるのだが、いかんせん状況が悪い。


「セオドア、選ばせてあげよう。ここで何の情報も吐かずに殺人罪で黒の焼印を入れられるか、もしくは私たちに協力してもう少しマシな刑罰になるか。どっちが賢明な判断だと思う?」

「……犬どもが。そのような下賤な取引に我らが屈すると思ったか?」

「思うよ。だって黒の焼印は追放の証だよ。教会から籍は抹消されて、魂は街との結びつきを失う。それで剣だけ一本渡されて、あのゴブリンたちが蔓延る街の外に追い出されるんだ。きっと一日も持たないよ。ああ、君たちはゴブリンすらも殺すのを躊躇う平和主義者なんだっけ? なら持って五分だね」


 にこにこと、花が咲いたような笑みのままでよくもそんな脅しの文句が吐けるものだ。ヒースとセレナが若干の呆れ顔でその様子を見ていれば、男は尋常ではない様子でがたがたと歯を食いしばる。


「卑怯な騎士共が!」

「卑怯はどっちだか。闇討ちで僕たちを害そうとしたのはそっちでしょ」

「我らは神に反する愚かな背信者共に天罰を下そうとしたまで!」

「てかさっきからその背信者って何? 僕たちの何が神への背信なの? 神が武器を持つなって言ったなんて記述、聞いたことも読んだこともないんだけど」

「ヒース、無理だよ。さっきから何度聞いても同じことしか言わないんだ、こいつら。具体的な信仰についても、神が如何様な生き物なのかも語らない。……語らないのか、語れないのか」


 リゼのその言葉には多大な皮肉が隠れている。ヒースは手の中のバッジを見やった。掘り込まれた意匠自体は凝ったものだが、金属としての価値はそう高くない。もしヒストリア会がそれなりの人数を持つそれなりの大規模集団なのだとしたら、この男はただの末端である可能性が高いだろう。


 ヒースは溜息混じりにバッジを指で弾くと、壁にもたれたセレナの方へと投げた。受け取ったバッジをまじまじと確認したセレナはゆるく首を振る。


「……鉄製。末端の組織員だな。この様子では中枢に関わっていないどころか、その信仰内容もほとんど知らないのでは? ただ騎士団や教会に対する憎悪を吹き込まれて乗せられただけに思える」

「セレナと同意見。奴らの常套手段だからね。ちょっと人生に疲れてたり、体制側に不満を持つ人々に甘い言葉と上手い話を吹き込んで抱き込むんだ。それで尖兵代わりに利用する」

「卑怯、ですね」


 さっきの男の言葉をそのまま使い回してみれば、わかりやすく男のこめかみに青筋が立つ。そうも煽られ弱いならハナから喧嘩など売らなければいいのに。そんなことをぼんやりと考えていれば、部屋の隅から微かな声が響いた。


「……ねえ、私の子供はどうしたの?」


 女だった。さっきまで部屋の隅に無言で大人しく座り込んでいたが、やっと口を開く気になったらしい。黒髪に、淀んだ黒目。女は数時間ぶりの発声のせいで掠れた喉でゆっくりと尋ねた。


「ラルツは、あんたたちが確保したの?」

「ああ。上の暖かい部屋で保護しているから心配は無用だ」

「そう」


 ならいい、と女はふいと視線を外した。ヒースは少しばかり虚を突かれたように目を丸くする。強制的に子と引き離された母ならば、もう少し子の状況について気にかけたりするものなのではないだろうか。いや、ヒースも本当の意味で母がどのようなものなのかは知らないが、一般的に母とはそういう生き物であることは知っている。


 セレナは壁に身体を預けたまま、その女へと金色の瞳を向けて言葉を継いだ。


「もし釈放が決まれば彼もあなたと一緒に保護を解く予定だ。息子と早く会いたいなら、私たちに知っていることを話してくれ」

「……」

「頼む、主犯以外には十分な減刑の余地があるぞ」

「子のために信仰は売れない」


 女の視線がまた逃げるようにそっぽを向く。それ以上の会話を拒否するような。ヒースは思わず唇を噛み締めた。


 だってその言葉は、己の信仰のために子を捨てることを宣言するようなものではないか。そんなことが許されていいのか。それではあの子供があまりにも哀れで、可哀想で。


 そこまで考えてヒースは緩く首を振った。今はそれを考えるべき時ではない。まずはニーナにヒストリア会について調査してもらうように伝えて、動き始めなければならない。問題は山積みだ。休んでいる暇などない。


 ヒースは緩く息を吐くと、拘留された信者たちからくるりと背を向けた。そのような人々とこれ以上顔を合わせていたくなかったから。

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