少年と通りすがりのお兄さん


 昨日のラウラとのやりとりから一日。ケイたちは今日もこの中央教会の一室で大量の禁書と向き合っていた。


 まずそもそもの始まりからして、この世界は神によって造られたのだという。


 旧世界の人々の多くは唯一神を信仰対象としていたようだが、そんな神は存在していなかったことは今となっては明白である。300年前、あの日に存在証明された神々は決して彼らが思い描いていた神ではなく、むしろいわゆる異教に描かれる神々の姿に近かった。


 はじまりの五柱がこの世界に降り立ち、その息吹でもって地と命を創りたもうた。次に光と闇の二柱が降臨して、昼と夜を造った。はじめに世界に生まれたのは知能を持たない下級種族であるゴブリンやピクシー、その他の魔物であるとされている。次に彼らの中でより賢く美しいもの達が神の寵愛を得て、知能を獲得した。それが人魚や妖精であり、エルフであった。そして。


「……そして最後にヒトが形造られた。最も神によく似た姿を持つ生き物として生み出されたヒトは、文明を築き、四種族の中でも最も数を増やした。しかし四種族はいつの日か神の存在を忘れ、罪を犯した、な」


 隣のレオはそう宙を見上げた。その顔には眉唾物です、なんて言葉が見え隠れしている。


 教会の奥の一室。司祭様……ラウラの私室であるその場所でレオとケイはひたすらに積まれた本を読み解いていた。こういうことはどう考えてもケイの領分ではないのに、なぜこの仕事に割り当てられたのかと頭を抱える。今までの人生で読んだ文字数を今日一日で超えたかもしれない。


 ケイは読みかけの一冊を一旦放り出すと、立ち上がって思いっきり伸びをした。


「なあレオ、一旦休憩しないか?」

「お前それ五分前にも言ってたの覚えてる?」

「覚えてない。もう俺はこれ以上の情報が頭に入ってきたらそのまま爆発する」

「はー脳筋はこれだから。……まあでもとりあえず一通りはわかったな。ここにある本のどこにもまともな情報はない。神が何者で、300年前に一体何が起き、四種族はどうなったのか。誰もそれを知らない」


 レオの欠伸混じりのそのまとめに頷いた。


 記述に残っているのは四種族が何らかの罪を犯し、その結果として300年前の神罰が降り、今に至るというだけ。その神についての記述も曖昧で、死の神なんて文字はどこにも踊っていない。


 つまりはケイ達の調査は完全なる無駄骨だった。


 ケイは恨めしげに積まれた本の一角を睨むと、窓の外へと視線を投げる。今頃ヒースとニーナがその先へいるはずだ。


 昼頃、ニーナのネズミが何やら東通りで騒動が起きていると報告してきた。魔物の討伐に向かっていたクロムの部隊と、一般市民が何やら揉めていると。それを受けてヒースとニーナが現場に急行することになり、彼らが請け負うはずだった資料の調査はその場に偶然居合わせたレオとケイに丸投げされることになったのだ。

 

「やっぱり俺が東通りに行った方が良かったと思わないか?」

「ああいう揉め事の仲裁はヒースさんのが得意だろ。あとキレたクロムさんを丸めこめるのはあの人だけだし。お前、融通効かないじゃん」

「とりあえず向こうの様子を見に行こう。休憩がてら」

「お前どんだけここから逃げたいんだよ。……まあでも確かにヒースさんとニーナだけじゃ何かあったら危ないし、一応確認しにいくのはアリか」


 そうレオがのろのろと立ち上がる。教会のここからは東通りの様子は窺えないが、何かしらの喧騒は聞こえてくる。ヒース達が仲裁に向かって軽く数十分は経っているから、まだ事態がおさまっていないとすれば異常だ。ここでケイ達が様子を見に行く判断をするのはおかしくない。断じて本の山から逃げ出したいわけではない。正当化終了。


 ケイが今にもスキップで駆け出しそうなほど意気揚々と扉を開くのを、レオが呆れ顔で後ろから追った。



 ♢


「わかったわかった、から! 一旦落ち着きましょう! ね? クロムは下がって!」

「はいはい」

「どうも。で、お兄さん。まずはウチの騎士が申し訳ない。きちんと服は弁償させてもらいますから……」

「我々はそのような卑賎なことを訴えているのではない!」


 ケイたちが東通りの人だかりを掻き分けて事態の中心を覗き込めば、まだトラブルは解決していないどころか一層大変なことになっていた。


 ニーナが必死で集まった野次馬たちをいなしているなか、騒動の中心には憮然とした表情で立っているクロムがいた。彼女の睨みつける視線の向こうには、数人の集団がいる。男性が四人に女性が二人。女性の片方は子供の手を引いている。


 集団の先頭に立っている男性は怒りにいきりたった表情を浮かべていて、クロムとその男性の間にどうにかこうにかヒースが割り入ったようである。仲裁の方はあまりうまく行っていないようだけれども。


 男はヒースの眼前まで迫ると、枯れた喉でがなり立てた。

 

「だから騎士は信用にならん! 神々の教えに逆らって武器を持ち、あまつさえ他種族と戦うなど……神への冒涜である!」

「あーえっと、そういう論戦は一旦後にしません?それより、」

「貴様らが神の教えに反し続けているから、先日の事件も起きたのだ! あれは神罰だ! 貴様らが招いたことだ。……あの時にもう少しゴブリン共が頑張ってくれていればな。そうすれば騎士団の汚い血も多少は減っただろうに」

「……わたくしたちがあの戦場で死んでおけばよかったと、今そう言ったの?」

「クロム! 黙ってろって……」

「いいえ、黙らないわ。今の一言は許せない」


 クロムの冷気に満ちた瞳が男を見下ろした。かつかつと高いヒールが鳴り響き、クロムはヒースを後ろへと追いやると男の前に仁王立ちになる。


「貴方が殺しかけたルイスたちはね、あの夜……二週間前のあの日、この街に住む貴方たちを守るために命を賭けたの。貴方にはわからないかもしれないけれど、ルイスも、カルも、リズも皆あの場所で死を覚悟した上で戦っていた」

「……それが何だ。貴様らが招いた結果だろう。我らとは無関係な、貴様らの愚かな行いでしかない」


 男がそう唾を吐く。

 クロムの瞳は今にも神気が爆発して暴走しそうなほどに真っ青に染まっていた。


「わたくしたちはね、確かに民のために命を賭けているわ。それがどれほど愚かで、わたくしたちを憎んでいる存在だとしてもね。……けれども、だからと言ってわたくしたちが無抵抗で民の攻撃を受けなければならない、なんて馬鹿みたいな話にはならないのよ。おわかりになるかしら?」

「……」

「端的に言いましょう。わたくしは今、怒っているわ。今すぐこの場で貴方を斬り伏せてしまいたいほど。もし今わたくしがこの制服を着ていなかったらきっと実行していたでしょうね」


 淡々と、怒りすらも滲んでいない声色だった。そこにあるのは落胆と、それから軽蔑だけ。クロムはそういう人間だった。彼女が本当に怒った時は感情が消える。


 ケイは隣のレオの方へと頭を寄せると、こそりと耳打ちした。


「……レオ、お前何があったか聞いてるか?」

「いいや。東通りでクロム先輩と市民が揉めてるってニーナが言ってたのは聞いたけど、あー」


 ふとレオは何かを思い出したように周囲を見渡すと、にまりと口角を上げる。その視線の先にはそれなりに繁盛していそうなパン屋と、それから店から出て野次馬をやっている店主の姿があった。


 レオは軽く手を上げると、その店主の方へと足を進める。


「ようおっちゃん、これは何の騒ぎだ?」

「レオじゃねえか。なんで騎士団のお前が知らねえんだよ」

「仕方ないだろ。今来たばっかなの。で、何があってあんなクロム先輩はブチ切れてんの?」

「……あの男らがやらかした」


 そう店主は声を顰めると、騒動の渦中で唾を飛ばしながら声を荒らげている男を指差した。


「クロムさんの隊が城門から帰ってきたところに、あの男の一団が待ち伏せしててな。何だかよくわからんかったが、騎士さん方に何かを投げつけたんだよ」

「そ、れはみんな無事だったのか?」

「クロムさんが咄嗟に氷の盾を出したからな。ただそのせいであの男が後ろに吹っ飛ばされて、ちっとばかり服が裂けたらしい。まあ自業自得だな。それにしてもあん時のクロムさんと言ったらそりゃあ決まってて、やっぱり美人が……」

「はいはいもういいっておっちゃん。にしてもそりゃあ酷いな。クロム先輩もキレるわけだ」


 庇いようがない。そのレオの呟きには完全同意。クロムはあれでいて身内意識が最も強い人だ。自分自身が害されるよりも仲間が傷つけられた時の方がよっぽど怒りを露わにする。それに今の言葉、ケイとてあれを聞き流せはしない。あの時最前線でゴブリンと向き合っていたクロムなら尚更だろう。


 これはヒースも苦労しそうだ、とケイが再び渦中の男の集団に目を向けた時。


「ん? あのガキ……」


 そう隣からレオの呟きが聞こえた。レオの方を振り向けば、訝しげに目を細めている。


「なんだ?」

「あのガキ、この前の子供か?」


 レオがそう視線を向けた先には、集団の中で女に手を握られている少年がいた。どうやら彼の母のようであるその女は、今クロムに向かって怒りを向けている男の仲間であるように見える。


「知り合いでもいたのか?」

「いや、知り合いってか顔見知りってか。あー……、なるほど。そういうことな」

「何が」

「この前あそこのガキに背中から石投げられたんだよ。んで『騎士団の犬!』とかガキ臭くないこと言いやがって、変な奴だと思ってたが」

「親の影響、か」


 少年はクロムと男の舌戦の間で、所在なさげに目を伏せていた。今にも逃げ出したいが、母親が繋いだ手のせいでその場に繋ぎ止められている。哀れだ。反射的に浮かんだそんな感想は多分隣のレオと同じだろう。


 あの男及びその仲間の集団がどのようなイデオロギーを持っているかケイにはわからないが、少なくとも騎士団をとてつもなく嫌っているのは確かなようである。この街の中ではかなり異端的な思考。ともなればその集団の中に生まれてしまった彼が、周囲に友人を作ることもできず孤立してしまっているのは容易く想像できる。


「レオ」

「そうだな。子供には罪はない。親が何をやらかしたか知らねえが、クロム先輩のあの説教は子供向けじゃないしな」

「子供だけ保護するか。どうせあの親たちはこの後騎士団本部に拘留だろうし」

「賛成」


 作戦は単純。レオが陽動。ケイが確保。レオとケイは目配せだけでその役割分担をこなすと人混みの中で素早く散開した。

 

 レオは未だざわざわと揉めている人だかりを乗り越えると、冷戦状態で膠着している現場へと堂々と踏み入った。その飄々とした様子に一瞬毒気が抜けたか、クロムの舌鋒が止まる。それから男たちに向けていた厳しい眼光がレオへと向けられた。


 その隙にケイはするりと固まっている集団の後ろに潜り込む。作戦成功。唐突に乱入したレオのせいでクロムも男も誰も、背後から忍び寄ったケイには気づいていない。


 ケイはとん、と後ろから俯いたままの少年の袖口にそっと触れると、視線を合わせるようにしゃがみ込んだ。


 背後でレオとクロムの刺々しい会話が響く。


「レオ、邪魔しないで。これはわたくしとわたくしの部隊の問題よ」

「んーいや、それはわかるんすけど、ちょっとだけタンマ。ほら、オレたち実際ここで何があったか聞いてもないし、一回事情説明してほしいな〜みたいな」

「……ええ、そうね。確かにこの馬鹿集団がわたくしの部下に何をやらかしたか、一旦白日の元に晒した方がいいかもしれない」

「貴様、今なんと言った!」

「馬鹿集団って言ったのよ。お耳が悪いみたいで可哀想に」


 クロムの煽りを受けて、男の顔が一気に赤を通り越して紫に変わる。次いでそれに追従するように男の周りの集団……少年の母親も含めてが、クロムに向かって一歩踏み込んだ。今にも乱闘騒ぎに発展しそうな様相だが、そちらはヒースとレオにどうにか収めてもらおう。今ケイが気にするべきは、目の前のこの少年である。


「なあ君、ちょっとこっちに来ないか?」

「……誰?」

「通りすがりのお兄さんだよ。ほら、流石にここじゃあ居心地悪いだろ? ひとしきり落ち着くまで俺とこっちで座って待っていよう」

「でも、」

「ここにいたら殴り合いに巻き込まれかねないから。危ないだろ」

「でも、お母さんがいるから」

「一旦落ち着いたら、一緒にお母さんのところまで戻ろう」


 ケイのそのゆっくりとした呼びかけに応えるように、少年は小さく頷いた。母親は既に彼の手を離してクロムたちに食ってかかっているところだから、もう彼を繋ぎ止めるものは何もない。


 背後の暴言と乱闘の音から逃れるように、ケイと少年はするりと人混みから抜け出した。

 

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