罪と罰
信仰と堕落
「おっちゃん、残ってる分全部くれ」
「はいはい毎度。今日も騎士様は健啖家で助かるよ」
「そりゃあな。この前の一件もあったし、血が足りねえんだよ」
そうレオがまだ包帯の取れない右腕をぶんぶんと回して見せれば、パン屋の店主はいつもどおり呆れたように笑った。レオが投げ渡した金貨一枚の対価には少し多すぎるくらいのパンが紙袋の中に詰め込まれて、ほい、と手渡される。ずっしりとしたその重さにレオが目を輝かせれば、ついでに紙袋の一番上に干し肉とチーズが乗せられた。
「それを言われちゃサービスするしかねえな」
「マジで!? 太っ腹~」
「お前らがいなきゃこの街ごとあのゴブリン共に根城に変わってたんだろ。こんぐらいは安いもんだ」
「へへ、んじゃありがたくもらっとくわ」
じゃ、とレオは軽く手を振って帰路を歩き始めた。手に抱えた紙袋の重みは過去一番だ。しかも最近はめったにお目にかかっていなかった肉すらある。レオが鼻歌交じりで東通りの一角を歩いている、その時だった。
「……あ?」
かつん、と何かがレオの背中に綺麗にぶつかる。反射的に背後を振り返れば、たどたどしい足つきで路地裏へと逃げ隠れる子供の影が目に映った。首を傾げる。まだ日が昇っていると言えど夕暮れ時だ。あと数刻で日が沈むとあって人通りは少なくなっていて、子供は皆親に家に連れ戻される時刻だった。特に先日のエルフの侵攻からまだ二週間しかたっていないということもあって、人々は夜にあまり外を出歩きたがらないのだ。にも関わらずこの少年はなぜこんなところにいるのか。それも一人で。
レオは厄介ごとの気配に頭を掻くと、ゆっくりとその少年の方へ足を進めた。本人は上手く隠れられているつもりなのかもしれないが、レオの視点からははっきりとその姿が見えてしまっている。
「おいガキ」
「……」
「見えてんだよ。なーにこそこそしてんだか。ってかいきなり人に石投げんじゃねえ。危ないだろ」
「……うるさい」
「誰がなんだって? つかそんなうるさい奴に絡まれる羽目になったのはお前が石投げてきたからだろ。なんか用があるんなら大人しく声かけろ。迷子か?」
「うるさい!」
そう少年は叫ぶと、勢いよくレオと間合いを取るように後ろに飛びのいた。手にはまだいくつかの小石が握りしめられている。これは、妙だ。レオは首を捻った。子供のたわいもないいたずらだと思って声をかけてみたが、どうやら様子がおかしい。少年の目はまるで魔物が目の前に立っているかのように怯えていて、呼吸も荒い。心の底からレオの存在を恐れているような、そんな顔。
「あー……、大丈夫か? お前。腹とか減ってる?」
また少年が一歩後ろへと下がる。レオはほんの少し眉尻を下げた。確かにレオの人相はヒースやケイと比べればあまり良くはないかもしれないが、それでもここまで怯えられるほどのものではないはずだ。有体に言えばへこむ。それにこの少年がこの時間に一人きりで、周囲に親の姿が見えないのも気になった。レオはほんの数瞬だけ考え込むと仕方なしに紙袋のなかのパンを一つと、それからさらに悩んだうえで干し肉を少年に向けて投げだ。
「ほら、やるよ」
「……なんで」
「腹減ってると余裕なくなるもんな。食っとけ。ちなみにお前は知らなかったかもしれないが、オレは実は騎士団のそれなりに偉いヤツなので、もしお前が迷子だったり親から家を追い出されたりで困ってんならそれなりに助けられる」
ふい、と少年の目が逸らされた。けれどもその手にはしっかりとパンと干し肉が握りしめられていて、極めつけにくう、と腹の虫が鳴る。いくら意地を張っても生理現象には敵わないらしい。さて、どうしたものか。明らかにこの子供は異常な状態にあるし、この様子ではしばらく親に食料ももらえていない状況なのではないだろうか。ならば保護するべき、だろうが。
レオは依然としてこちらを警戒心だけの顔で見ている少年に、できるだけ好意的な笑顔で手を差し伸べた。
「よし、ガキ。オレと来い。な? こんな時間にお前ひとりじゃ危ないだろうから保護……」
「き、騎士団の犬が僕に近づくな!」
「……はあ?」
明らかに少年の語彙としては硬すぎるような罵倒が飛び出す。なんだこれは。レオは今この場にケイがいないことを心の底から呪った。こういう市民とのトラブルだとか子供の扱いだとかはケイの方が何倍も上手いのだ。
「ぼ、僕に近づくな! 母さんが言ってたんだ、騎士団は、」
騎士団は、とそこまで口走って、少年は硬く唇を結んだ。まずい、とレオが思った瞬間には少年は子供特有の唐突な動作で路地裏を駆けだす。逃げる気だ。どうする、これは追うべきなのか。レオがそう少しの間逡巡していると、みるみるうちに少年の背は遠くなっていく。
「……あー、これはニーナに報告だな」
今から追っても追いつけはするだろうが面倒なことになるだろうし、こういう仕事はレオ向きではない。ひとまず今日の夜を越せるぐらいの食べ物は渡してやったわけだし、まあなんとかなるだろう。レオはくるりと踵を返すと、少し軽くなった紙袋を抱えてまた歩き出した。
♢
街の中央に堂々と鎮座する城。それがヒルバニア城であり、その中の一角には中央教会とその資料室がある。この狭い街にある教会などそこにあるただ一つだけで、中央教会が街中すべての人にまつわる雑務を……主に生と死に関する部分を取り扱っていた。
「まあ城って言っても正直ただのデカい屋敷ってとこですけどね」
「そうだね。いわゆるお伽話のイメージからはかけ離れてる」
「王もいなければ貴族もいないですし、騎士は席を外してる。市民もこの場所を何か特別なものだと見做してるわけじゃないですしねえ」
「まあ教会ってより役所の方が近いよね」
そうリゼが肩を竦めると、少女は……ラウラは華やかな笑い声を上げた。彼女はこういうタチなのだ。中央教会のそれなりの上層部にいるくせして、皮肉じみた笑いに弱い。彼女を見ていると一体信仰とは何かと考えられさせるが、まあそれはともかく。
「ラウラ、それで問題なさそうなのか?」
「もちろん。テキトーに書き換えとくよ。リゼさんでしょ。そもそも彼女の葬式は行われずに教会に死亡届が出てただけだからさ、紙一枚燃やせばミッションコンプリート」
「……一応聞いとくが、司祭様が神定契約書の改竄なんてやらかしていいのか? いいわけないよな」
ケイが呆れ混じりにそう呟くと、ラウラはローブの裾をはためかせてひらひらと手に持ったその一枚を振った。薄い羊皮紙には確かな魔力が込められている。人は生まれた時に神の名の下で生きる権利を与えられ、死した時にはその魂が神の元へと還される。その事実を保証するための契約書、という名目だ。名目とはいえこの街の人々の大半はその言葉を信じているのだから、そう易々と破棄していい類のものではない。が。
ラウラがふ、と手に持った一枚に吐息を吐くと、途端青色の炎が立ち昇る。ケイと同じ、水の神気の一種だ。浄化の炎。それこそが彼女がこの教会において最年少ながら最も大きな権力を得ている理由であった。
まあ当の本人はその炎を書類改竄に堂々と利用しているわけだけど。
完全に燃やし尽くされて灰と消えた一枚をラウラは手で叩き落とすと、問題なし、なんて具合にVサインを作る。
「完璧完璧〜。ウチの炎で燃やしちゃえば魔術的な契約云々も無効化されるからね。これできちんとリゼさんの魂はこの街に紐付けられた。……ちなみに街に魂が紐づけられた状態で勝手にフラフラ城壁の外を何日も揺蕩うようなことしたら、文字通り心臓が裂けるような苦しみを味わうことになるのでお気をつけて」
最後に司祭様らしくしっとりとそう結んで、ラウラはリゼににっこり釘を刺した。ケイの口からリゼの素性や今までのあらましについて一通り聞かされたラウラは、ケイもといセレナたち寄りの……断固としてこの街から逃しません派に加入することにしたらしい。
ラウラは恋する乙女のように頬に手を当てて身を捩らせた。
「もう、あのセレナ様がウチに直々に頼み事をするなんて何事かと思ったもん〜! リゼさん、ウチは正直どうでもいいけどセレナ様を泣かせるようなことしたら許しませんからね! この聖拳が鳴りますよ!」
「……神への信仰よりセレナへの信仰の方が大きそうだよね、君」
「ラウラは昔からこうです」
セレナと同じ拳闘使いであるからか何なのか。ラウラは幼い頃からセレナをそれはまあ慕って慕ってやまないのである。当のセレナは彼女から向けられる好意をどう思っているのか。まああの人も案外鈍いので、ただのやかましい妹弟子ぐらいにしか思っていないのかもしれない。
それはともかく。
ケイはわざとらしく咳払いを一つすると、ラウラの背後に山と積まれた書籍の類を目で指した。まだもう一方の要件は終わっていないのだ。
「それでラウラ、資料は集まったのか?」
「まーあ、大体。旧文明の歴史書とか色々は禁書だから娯楽本以外市井には出回らない、けど、まあウチら教会は念の為保有してるわけよ。信仰と禁忌は隣り合わせってね」
「じゃあその一式借りてくぞ。それともここから持ち出さない方がいいか? そうならニーナとヒースさんをここに呼びつけるけど」
「あー……そうだね。その方がいいかも。一応禁忌本だし、ウチが代わりに燃やしときますよ〜ってジジイどもを騙くらかしてこっそり保管してたやつだからさ。持ってるのバレたらとんでもないことになりそう」
ペロ、と舌を出してそんなことを宣う彼女を聖女と呼ぶのもいい加減無理があると思うが、溜息一つで文句は言わないでおく。そんな彼女のおかげで調査資料が現存していたことは事実なのだから。
二週間前のあの戦い。それによって今まで包み隠されていた秘密の多くが露呈することになった。まずは神が滅ぼしたとされていたエルフ共が生存していたという事実、さらにエルフがどういうわけかイカした金属ボディに植え替えられていたという事実、最後にまだ見ぬ神……死の神についての言及。考えなければならないことは多く、そしてあまりにも情報は少ない。
そこで教会に残る資料を元に調査を進めることとなったのだ。今後もエルフのような存在がこの街に攻め入ってくる可能性は十分にあるわけだし、そのためにも敵を知ることは必要。セレナのその判断を受けて、まずは最もラウラと親しいケイを窓口にして話を聞くことにしたのだけど。
ケイはその山と積まれた文献を横目で見ながら小さく息を吐いた。試しに一番上に乗っている分厚い一冊を手に取ってみる。旧文明とは言えどもその滅びた経緯からして言語は基本的には同じだ。ぱらぱらとページを捲れば、見慣れた文字で薄い紙にびっしりと文字が刻まれている。
「こ、れは」
「あーそれね、教会的には最重要資料。旧文明における
「ド禁忌だろ、これ!」
「まーねー。ほらでも、信仰を固めるためには神について理解する必要があるでしょ? 神について理解するためには情報が必要でしょ? だからウチは敬虔なる信仰をもって禁忌を犯してるの」
「ものっすごい詭弁だね、好感が持てるよ」
リゼもようやくラウラの人となりを理解したらしい。口元に苦笑いを浮かべながら、ケイに倣って積まれた一冊を手に取る。ケイの手の中にある聖書とは違って、子供向けのような絵本だ。
「これは?」
「あー、そっちは300年前のカタストロフィー以降に作られた本。あまりにも内容が異教的すぎるってことでジジイ共が回収してきたんだけど、一応ウチが一冊保管しといた」
「へえ……」
ぱらぱらとページを捲れば、どうやら創世神話的な物語らしい。カラフルなイラストで描かれた五柱が一度罪深い全ての人類を滅ぼして、救済が与えられるべき清らかな人のみを生き残らせた。生き残った人々はこの街ヒルバニアに集い、敬虔な信仰を持って今を生きている。
「……これのどこが異教的なんだい?」
「そこまでの話は問題ないんです。不味いのは最後のところ」
ラウラがそう言って最後のページを捲ると、先ほどまでの可愛らしいカラフルなイラストとは正反対のモノトーンの絵が顔を出した。
「――しかし人々はすでに罪科を忘れ、かつて祖先にあった清らかな心は損なわれた。今こそ再びの神罰が降る時。我らのみを残してこの世界は滅び去り、我らの楽園は築かれる」
黒々と描かれている円形の街は確実にここヒルバニアであり、その街には白色の雷が落ちている。あからさまに教会にもその雷は落ちていて破壊されているあたりが異教と見なされた理由だろう。
つまりはこの物語はこう告げているのだ。既に教会を含めたほとんど全ての人々は正しい信仰を失っているのだと。
「……うーん、否定はできないような?」
「でもどうですかね? 別に俺たちだって神の存在は否定してないですよ。むしろ誰よりも信じてると思います。神気なんか使ってるわけですし」
「確かにね。そういう意味では私も神の存在は信じてるかな。神を信じてないだけで」
「そもそも正しい信仰が何なのかもよくわかりませんし」
そうケイは首を捻った。まあそもそもこの世界における宗教の在り方はまだまだ曖昧だからこそ、中央教会がほぼ役所のような役割に甘んじているわけである。そんな中で、こうも真剣に信仰を論じているこの本の存在には確かに違和感があった。
本の奥付けを何となく見てみれば、そこには大きな鷲のマークの上に赤字でバツ印を書き加えられたような紋章が描かれている。
「――ヒストリア会か」
「知ってるんですか?」
「少なくとも10年前はもっと盛んに活動してたはずさ。教会は世俗に堕ちたと訴えて、騎士団の解散をずっと訴えてたから記憶に残ってる」
「ああ、なるほど」
鷲の紋様は騎士団を意味する。それに大きなバツを上書きするということは、まあそういう意味なのだろう。
「この荒れた情勢で、また奴らが動き出さないといいけどね」
リゼのその言葉はもはや予言じみていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます