死の神
「ヒース」
「了解」
リゼの後ろに音もなく転移したヒースは即座に地面に崩れ落ちたケイの元へと跪く。酷い有様だった。裂けた腹からはぽっかり内臓が丸見えで、左脚は失血で紫色。全身の至る所には矢の貫通痕が残っていて、極めつきには左手の中央に大穴が空いていた。いくら水の護りがあるとはいえ、痛覚は失われないはずだ。頭のおかしい男。リゼにとっての最大の賛辞を送ると、リゼは目の前の女へと向き返った。
「さて、君が主犯かな? 殺人罪で勾留される用意はいい?」
「まだ死んでないでしょ、それ」
「かろうじてね。あとはヒースの腕次第だ」
「ふうん」
そうフランは興味なさげに髪を振ると、地面に落ちたままの自分の左手と、それからグウィンの右腕を拾い上げた。
「ねえアンタ……リゼだっけ。あのさ、見逃してくんない?」
「へえ?」
「まだあたしもグウィンも戦おうと思えば戦える。でももうこの損傷じゃさ、流石に五体満足のアンタと戦って勝てるとは思えないんだよね。質のいい治癒師もいるみたいだし」
「懸命な判断だこと。でも私が見逃すと思った?」
リゼはそう酷薄な笑みを浮かべた。大剣を振りかざす。既に四人分のエルフの血を吸った逸物だ。あと二人分くらいは吸う余裕がある。
「君たちの仲間、隠蔽魔法はなかなか上手かったけれど戦闘能力はからきしだったね。私とニーナちゃんの索敵の前では子供とかくれんぼしてるみたいなもんでさ」
全員殺しちゃった、なんて無駄に明るいトーンで言って煽ってみてもフランの顔色は変わらない。へえ、とリゼは舌舐めずりをした。どうやら彼女はただのエルフではなさそうだ。その強さだけでなく、この状況においての肝の座り方は普通ではない。
フランは崩れ落ちたままに意識を失っている……恐らく痛みで失神したのだろうグウィンを片腕で担ぎ上げると、小さく苦笑した。
「まああいつらはね。隠密行動だけが能の班でさ。あたしたちが陽動してる間にあいつらがコアを壊す予定だったんだけど、まあそう上手くもいかないか」
「案外ペラペラ作戦を喋るじゃないか」
「だってもう失敗したからね。……それにこれがあたしの誠意」
フランはくるりと足先でターンすると、こてりと首を傾げた。
「あたしが知ってる情報をいくつか売るよ。その代わりにあたしとグウィンはここから見逃して」
「……へえ」
「あんたたちにとっても悪い話じゃないでしょ?」
「君が嘘を吐く可能性は?」
「神眼持ちの一人くらいいるでしょ。嘘発見器代わりにはなるんじゃない?」
リゼはのっそりと息を吐いた。確かにその通りだ。ニーナの神眼があれば彼女が嘘をついているかどうか見極めることくらい簡単だろう。彼女の提案はかなり良いものだった。今のリゼたちにとって情報はどんなものでも喉から手が出るほど欲しい。
背後のヒースとちらりと目配せを交わした。無言で首肯が返される。まだケイは虫の息だ。今ここでリゼとフランの戦いが始まってしまえば、ヒースの治療にも差し支えが出る。こちら側としても戦闘を避けたいのが本音。
リゼは構えていた大剣を地面へと下ろすと、大仰な仕草で両手を上げた。
「OK。いいよ、乗ろう。私たちもこれ以上血を流したくはないからね」
「どうも。慈悲ある判断に感謝を」
「いいよ、そんな無駄に大層な言い回しは。……ところで最初に聞きたいんだけどさ、君たちってエルフの中でも結構上位の存在だろ? そんな君たちがやすやす仲間の情報を売ることに抵抗とかないの?
リゼのその問いに、フランは苦々しく唇を歪めた。
「ないよ。……少なくともあたしは。グウィンが起きてたら死んでも止めようとしただろうけど、あたしはエルフへの忠誠よりもあたしとグウィンの命の方を大事にしてる」
「なるほど、納得したよ。――ニーナちゃん」
『ええ、聞いています。今の応答に嘘はありません。彼女はこちらを欺くつもりはないかと』
「了解。それならよかった。彼女たちを殺すのは骨が折れそうだったからね」
そう哄笑する。先程のケイとフランの戦いは最後の一瞬しか見ていないが、少なくとも彼女が何らかの光の力の使い手であることは確かだった。……すんでのところでリザがケイの前に立ち塞がって庇ったから良かったものの、あの光の矢は当たっていれば確実にケイの致命傷になっていただろう。
リザが今もぐじゅりと音を立てて修復している最中の心臓の肉を見下ろすと、フランは溜息を一つ吐いた。
「化け物みたい。あたしの矢、確実にアンタの心臓に刺さったんだよ? なのに何で生きてんの?」
「さあね。私が一番聞きたいよそんなこと。……ところで君にも聞きたいんだけどさ、君、ケイの剣を受けたくせに何故生きてるの?」
ケイの水の加護は生物を相手にした戦いにおいては無敵の強さを誇る最大火力だ。集団戦には向かないが、神気を対象に注ぐことで魂ごと浄化するなんて力は一対一では最強である。何しろ一発でも喰らえばその時点で終わりなのだ。
そうであるはずなのに、彼女たちはせいぜい腕を一つ失ったくらいで済んでいる。明らかな異常だった。
「あたしたちにはね、神気が効かないの。正確には神気を無効化するユニットがあたしたちの身体には組み込まれてる。サイボーグ化に成功したエルフは皆神気の影響を受けないよ」
「……サイボーグ化、ね」
「そう。イカしてるでしょ。成功例はあたしとグウィンと姫様、爺様とあと三人くらいかな。他は全部失敗作。あんたがさっき殺した四人もそうだよ」
「失敗作のエルフは神気のレジストもできず、魔力制御の力も弱まる。そんなところかい?」
「あーそれはね、逆」
フランの指が何かを数え上げるように折られた。まずは1。
「最初から話すとね、まず起きたのがエルフ全体の弱体化だったの。魔法をほとんど使えなくなった個体もいたし、補助具なしでは制御できなくなった個体もいた。まあ長寿の弊害だよね。いくらあたしたちが基本的に寿命という概念を持たない生き物だとしても、身体の劣化は免れない」
次に2。フランの口元が皮肉げに歪められる。
「で、その現状を憂いた姫様はとある計画を実行した。それがこの身体。経年劣化した臓器や魔力回路やその他もろもろをぜーんぶ置き換えて、新品にする。そうすれば元通り、なんなら元以上の力を発揮できる」
「なるほどね。でもその技術は一体どこからやってきたんだい? エルフだけは細々と科学技術を保有していたとでも?」
「違う。この技術は……神々が我々に与えたもうたもの。神々は姫様にこの技術を天啓でもって教えて、姫様はあたしたちに適用した。だから強いて言えば未だに科学を保持しているのはエルフじゃなくて、神だよ」
あっさりとフランが告げたそれは、まともな神経では到底受け入れられるものではなかった。が、リゼはこくりと頷く。リゼは10年前にあっさり神への信仰など手放していたからなんの問題もない。人間からは奪っておきながら自分たちは身勝手にも保有し続けている。神とはそういう生き物だとリゼは知っている。
「興味深い情報だ。また神を許せない理由が増えたね。……それでサイボーグ化とやらに成功した君たちは、なんでわざわざこの街まで再度侵攻を仕掛けてきたの?」
「それはわからない」
フランは肩を竦めてそう嘯いた。ぽかんとリゼの口がある。幹部クラスであろうこの少女が作戦の目的も知らされていないなんて、そんなことあり得るだろうか。
けれどもニーナが嘘の指摘をしていないということは、彼女の言葉は真実なのだ。
「正確には朧げにしか想像がつかないって感じ。……あたしたちは姫様ほど長く存在していないから、はるか昔に何があったのかはよく知らない。ただ姫様や爺様が人類を何としてでも滅ぼしたいと思ってるのは知ってる」
「何故?」
「それが神の悲願だから、だって」
「最悪だね。私たちって神直々に死を願われてたの? 知らなかったよ」
リゼのそんな軽口には反応せず、フランはぼんやりとリゼの奥を……まだ浅い息を吐いて生と死の間を彷徨っているケイの方へと視線を向ける。
「アイザック、スカイハート、それからラティエール。その名前も何度も聞かされた。絶対にそいつらは殺さないといけないんだって。……まああたしは過去にあったことなんてどうでもいいし、聞く必要もないと思ったから理由は聞かなかった」
「とにかく今回の侵攻は人類を滅ぼすことそれ自体が目的だと、少なくとも君は考えているんだね」
「そう。あたしが命じられたのはとにかくそれだけ。できる限り多く殺す、ってね」
確かに今回のエルフの作戦が成功していたら、人類はきちんと『できる限り多く』殺されていただろう。ゴブリンの侵入で市民は阿鼻叫喚の地獄に落とされ、リゼたちの力を持ってしてもどうすることもできなかったに違いない。
聞き出せたことは多いようで少ない。リゼはこっそりと息を吐いた。けれどもこれで彼女の知ることは最大限引き出しただろう。そう話を畳もうとして、最後にふと思い出したようにリゼは口を開いた。
「ああ、そういえばさ。君たち、私のこの加護が誰のものか心当たりあったりする?」
その諦め半分の問いに、フランはこてりと首を傾げた。
「え?」
「ん?」
「知らないの? 直々に加護を受け取っておきながら? あのお方――死の神のご加護でしょ。あのお方の加護を受けた人間を見るのは初めてだけど、その力は見間違えるわけない」
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