死のヴェールは今剥がされる

「うーん、まあバレちゃったなら仕方ないよね。そもそも時間の問題だったし」


 そうフランは軽々しく口ずさむと、グウィンに倣うようにローブを脱ぎ捨てる。お揃いの白銀のボディが晒された。頭が痛い。何故この一週間にも満たない期間でこれだけの事態が発生するのか。魔物の異常行動から始まり、奇妙な不死の少女、死したはずのエルフの存在、極めつきはサイボーグ化されたエルフだ。処理できる限界を超えている。


「エルフ、お前たちは……」

「まあ色々あってね。なかなか良いボディでしょ。あたしとグウィンは特に高性能でさ。姫様の次ぐらいにはね。他の不適合を起こしたヤツらとは強さも耐久性も段違いってわけ」


 だからね、とフランは麗しく微笑んだ。


「アンタはここで殺すよ。あたしの可愛いグウィンの服を剥いだなんて、許されない」


 杖が一閃。咄嗟に背後に飛び退けば、つい一秒前までケイが立っていた場所には草の蔦が生えていた。先程フランが行使していたのは氷魔法。その上に草ともなれば2属性の術者ということになる。それだけでも伝説上の存在だというのに。


「……風刃ウィンドソード


 飛び退いた先を予想されたようにグウィンの一撃が重なる。回避は一瞬間に合わず、太腿から血飛沫が飛んだ。着実に機動力を奪うつもりか。


 そう舌打ちをすれば、その隙すら許さないとばかりにグウィンの囁き声が重ねて響いた。


火矢ファイヤーアロー

「水よ!」


 展開した水の盾がギリギリで追撃を弾く。けれどもたった一撃で盾はガラスのような音を立てて割れた。水の守りは身体から離して使うと一気に耐久力が落ちると言えど、一発で破壊されるほどやわではなかったはず。明らかに先程より出力が上がっている。


「火はアンタとは相性が悪そう、ね」

「そうだね。じゃあこっちかな」


 グウィンの唇が動く。その呪文が唱え切られるよりも先に、ケイは地面を蹴っていた。言葉が届くよりもケイの方が早い。瞬時にグウィンの目の前まで迫ったケイは、金属と右腕の皮膚との丁度境目を狙うように剣を一閃させる。


 狙い通り、刃はグウィンの右肩にしっかりと食い込んで、鈍い血飛沫が舞った。


「っ痛っ、ぁ……」


 ごとりと音を立てて、杖と一緒に右腕が肩ごと根本から地面へと落ちる。狙いは正解だったらしい。次いで左腕。けれどもその追撃はきちんとフランの援護によって防がれる。飛んで来た金色の矢がケイの脇腹を引き裂いた。


「グウィン!!」


 そのフランの叫びが耳をつんざいた。ケイとグウィンの間を阻むように転移してグウィンの隣に寄り添ったフランは、そっと血の気の失せた妹の身体を抱き止める。


 グウィンはフランの腕の中で、紫色の唇を震わせた。

 

「……フラン、大丈夫。また生やせばいいし。でも、」

「いいよ。喋らないでアンタはそこで休んでな。……あとはお姉ちゃんの仕事」


 練り上げられた殺意と魔力がケイを押し潰すべく力を見せた。フランは失血で顔を青ざめさせて地面にへたり込んだグウィンを庇うように立つと、その瞳を――金色の色を帯び始めたそれをケイに向ける。


「――光よ」

「水よ、弾け!」


 当然間に合わない。水の加護が盾を作るよりも先に光の矢はケイの腹へと飛び込む。先程斬られた脇腹を抉るような一撃だった。口から血が垂れる。内臓がやられた。くらり、とあまりの激痛に飛びそうになった意識を無理矢理に引き戻すと、破れた腸はそのままに地を駆ける。


 今のフランの力、光の加護だ。何故、と浮かんだ疑問は痛みにかき消されて瞬時に失われる。そんなことを考えている余裕はどこにもなかった。ケイはひび割れた石畳を思い切り蹴り付けると、フランの元へと一足飛びに跳んだ。


「疾ッ!」


 また全力を賭けた一撃が、光の矢で軌道を逸らされる。それでも構わず強引に首筋へ狙いを定めれば、ごり、と頸椎を削ったような鈍い感覚が手先に伝わった。行ける、とそう思った瞬間身体が吹っ飛ぶ。


 石畳に叩きつけられて数秒後、フランの蹴りで吹き飛ばされたのだと理解する。細身の少女のくせに、体術もそれなりらしい。ケイは口の中に溜まった血を吐き出すと、少し間合いを取った先に佇んでいるフランを睨みつけた。


 吹き飛ばされたとは言えど、そこまでの劣勢ではない。先程の一撃はフランにとってもそれなりの痛手だったらしい。彼女は首筋を片手で抑えながら、必死で回復魔法を唱えていた。骨まで貫けば回復にも時間がかかる。つまりは今がチャンスだ。


「水よ、滾れ!」


 神気が彼女たちに効かないことは既にわかっていることだ。故にこの力はケイの身体能力を向上させる効果しか持たない。しかしそれで十分。一秒でも早く駆けることができれば、その一打が致命傷になり得るかもしれないのだから。


 フランの意識が首の裂傷に向いている間に、また懲りずに彼女の元へと間合いを詰める。フランの瞳が細められて、無言で形成された氷の矢が顔の横を通り過ぎた。それでも冷風が掠めたせいで凍傷じみた痛みが走る。笑いが一周回って溢れた。逆に身体に痛みのない部分を探す方がよっぽど難しいくらい、ケイの全身はずたぼろだった。


 ここまで来てしまえば、もう負傷も死も恐ろしくない。

 走りながらケイは静かに口を開いた。

 

「水よ、護れ」


 身体に張り巡らされた神気の鎧が一層厚く、硬くなる。最高出力。これでもうケイの神気はたった一切れだって残っていない。つまりはこの鎧が持つ間がケイの残された寿命だった。鎧が消えれば流石にこの重傷では出血多量で死ぬだろう。今は水の加護が無理やりにケイを生かしている。その間に、せめて彼女一人くらいは仕留めなければならない。


「はっ!!!」


 腹から息を吐き出して斬る。頭をかち割るように大上段から振り下ろした剣は氷の剣で弾かれ、お返しとばかりにまた光の矢が身体に刺さった。今度は膝。はなから光の矢の回避は諦めている。ケイは新しく負った傷になど意識を一つも割かず、また首を切り落とすように横に薙いだ。


「……ちょっとぐらいは止まりなよ、バーサーカー」

「止まったら死ぬだろ」

「まあそうだろうけどさ」


 今はアドレナリンで動けてるだけだもんね、なんてフランの正しい分析は聞き流す。既に失血でまともな感覚のない左脚で蹴りを入れれば、フランの細い脚は体勢を崩して僅かに重心をずらした。ここだ。ケイは目を細めて、ほんの少しだけ表情に動揺を見せたフランに畳み掛ける。


「避けるな、よ!」


 鳩尾に叩き込むように膝蹴りを入れる。人間だろうがエルフだろうが、その最大の弱点は体内に隠された柔らかな臓腑だと決まっているのだ。まあ、こと彼女たちに限っては胴体も硬い金属でできているからそう単純な話ではないと思うが、それでも機械だとしてもコアは心臓のあたりに置きたくなるのが人情というものだろう。


 ケイの力強い蹴りのせいで、べこりと金属が歪んだ。同時にフランの動揺がいっそう色濃くなり、それに比例してケイの口角が上がる。


「敵前で動揺を見せるもんじゃないぜ」


 凹んだ金属に更にもう一発蹴りを入れて、体勢が崩れたところにケイは剣を振るった。右手で直線的に突き出した剣の鋒は、フランの杖を翳した左手首に突き刺さる。その代償に、フランの杖の先から飛び出した荊の棘がケイの身体をぐるりと拘束したけれど、問題はない。


 激痛に顔を歪めたフランに、更に畳み掛けるように茨で覆われた身体を捩る。荊で身体中に裂傷を作りながら、剣を振るう。これが文字通り、ケイの最後の一閃だった。


 強引に抉り取られて、フランの左手首が血溜まりへと落ちた。勿論その手に握られていた杖も一緒に。からん、と地に転がった杖を横目で見やったフランは、溜息混じりに残った左手を翳す。


 その金の瞳にはもはや怒りは残っておらず、ぼんやりとしたケイへと呆れと諦観の表情だけがあった。ずるり、と荊の中でまだもがいているケイをじっと見つめた彼女は、静かに口を開く。


 一歩、二歩。もう身動きの取れないケイの胸元にそっとフランの手が翳された。


「アンタがヒトじゃなかったら良かった。賞賛に値する。アンタならこの身体にも適合して、姫様のいい剣になれたかもしれないのに」

「俺はエルフじゃない」

「知ってるよ。知ってるからあたしはここでアンタを殺すの。ラティエールの末裔。罪深き血。残念だけどここでもうお別れ」


 じゃあね、と薄い唇が微かに動いた。さっきから何度も見ている光の矢。今度のそれは明らかにケイの心臓を狙っている。避け、られない。当たり前だ。光の加護とはそういうものだ。何故そんなものを彼女のようなエルフが有しているかは知らないが、たった一つだけわかることがある。


 ケイは今日、ここで死ぬ。


 そう悟って目を伏せた瞬間だった。


「――馬鹿が、生き足掻けよ」


 目の前に、黒髪がたなびいた。

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