月夜に踊れ

 土煙。周辺の家屋が一気に倒壊して音を立てる。咄嗟に上に跳んで回避できたからいいものの、場合によってはここで二人そろって摺り潰されてしまっていてもおかしくなかった。


 すたり、と危なげなくケイの隣に降り立ったリゼは大剣の重さなんて少しも感じさせずに肩に担ぎ上げる。城門からすぐそばの西地区。そこに地下水路への入り口があることは今までの偵察で判明していたのだろう。今考えればニーナが言っていた夜な夜な現れる幽霊、なんて噂はエルフの斥候だった可能性が高い。

 

 ケイは舞い上がった塵のせいで全く見通しの効かない正面を睨みつけた。ケイたちがニーナの報を受けてこの場所に急行した途端、魔力が弾けて周辺のすべてのものを吹き飛ばしたのだ。彼らは……エルフたちはケイたちをここで待ち伏せして押し潰すつもりだったに違いない。


 そしてその作戦が失敗した以上、彼らは姿を見せるしかないはずだった。


 ケイのその予想に応えるように、二人分の柔らかい少女の話し声が耳を打つ。次いで足音。ヒールの重い靴音が未だ爆風の舞う空間に静かに落ちた。


「……失敗? 最悪。どうすんのこれ、フラン」

「あたしのせいにしないでよ。ってか別に問題ないでしょ。建物で潰すかあたしたちの手で潰すかの違いしかないんだから」


 塵の向こう側から人影が現れる。リゼと同じくらいの体格にローブを纏っている少女が二人。ニーナの報告ではこちらへと向かったのは六人だと聞いているから、残りの四人はこの土煙に紛れて身を隠したのだろう。厄介だ。


「でもさ、まさかコレを回避できる人間がいるなんて思ってなかったじゃん。姫様だってそう言ってたのに」

「……姫様だって偶には間違えるよ。でも大丈夫。そういう時はあたしたちが姫様の御言葉を正解にしてあげればいい」


 落ち着き切った低音の声。少しずつ声は鮮明に、大きくなっていく。何故ならば彼女たちは何の躊躇いもなくケイたちとの間合いを詰めてきているからだ。


 ケイとリゼは今、背後にある地下水路への突入口を塞ぐようにして立っていた。そのケイたちに向かって、隠れることすらせず正面から歩んでくる。陽動か。何にせよその足取りには一切の緊張感がない。……ケイたちがまともな敵になり得るとは思っていない、そんな余裕の表情。それが単なる慢心なのか、事実に裏付けられた自信なのかは今のケイには判断できなかった。


 ケイは浅く息を吐いた。少女がケイの間合いに踏み込むまであと五歩。剣を抜くといつも通りの構えを取る。基本に忠実な、10年間の研鑽の末に辿り着いた剣。


「二対六、ですか。どう考えても不利ですね」

「そうだね。しかもうち四人は視認できないときた。一応聞いとくけど君、気配探知とか得意だったりする?」

「残念なことに全く。なんの残滓も感じ取れません」

「了解。……ならそれは私の仕事だね」


 リゼはそう嘯いてかつかつと靴の踵の音を立てた。大剣を得物に使っている割に、リゼの専門は剣術ではなく魔法らしい。とつい先ほどヒースが呆れ顔で語っていたのを思い出す。ならば姿の見えない4人は彼女に託すのが最適解だろう。ケイの相手は視認可能な2人。単純な状況。ケイの好みだ。


 あと三歩、二歩。最後の一歩を踏み込むその直前で少女たちは足を止めた。まるでケイの間合いなど知り尽くしていると言わんばかりの動作。それだけで、今目の前にいるこの少女たちがどれほど規格外かケイには分かってしまう。


 目の前に立っているのは二人の少女だった。とうに変身魔法は解けていて、特徴的な耳をフードで隠すこともしていない。藍色の瞳にオリーブの髪。二人とも全く同じ長さの腰まで掛かる長髪を結って揺らしていて、シンメトリーにそれぞれ左手と右手に杖が握られていた。単なる補助具ではない、魔木から生み出された杖はそれ相応の術者にしか使えないものだ。少女たちがそれを握っているということはつまり、彼女たちはそれを十分に使いこなせるほど強力な術者であるということになる。


 その姿を十分に視認して、隣のリゼは興味深いとばかりに鼻を鳴らした。

 

「もしかして君たち、双子かな?」

「そう。あたしはフラン。こっちはグウィン。アンタたちは?」


 左の少女の赤い唇が場違いに愛らしく響いた。その様子に一瞬驚いたように目を瞬いたリゼは、肉食獣のような獰猛な瞳の色はそのままに恭しく騎士団式の敬礼で腰を折る。

 

「名乗られたら名乗り返すのが礼儀だものね。私はリゼ。今はただのヒラ一兵卒さ」

「ふうん。ヒルバニアって末端の兵士でさえ神気を授かってるくらい優秀な街なの? そんな風には見えなかったけど」

「さあてね。……少なくとも私と隣の彼は神気持ちさ。君たちのお相手には相応しいだろう?」


 そのリゼの軽口には何ら返すことなく、少女の視線は隣のケイの方へと向く。骨の内側まで見通されているような居心地の悪い感覚。


「アンタは?」

「……ケイ。ケイ・ラティエール。他に名乗るべきことはない」


 そう告げて左側の少女に――フランに剣を向ける。丁度リゼと同じくらいの線の細い少女。それだけ見れば侮ってしまいそうだけれども、エルフの武器は体術ではない。魔力だ。あと一歩でも少女が踏み込んでくれば、斬る。

 

 そうケイが身体に力を込めると、フランは何か不思議なものでも見たとばかりにケイの顔を見つめ返した。


「ラティエール? アンタが? ……これはびっくり。わざわざ生き残りが自分から出てきてくれるなんて。ねえグウィン」

「そうね。神様に感謝しなきゃ」


 グウィンの顔が華やぐ。まるでプレゼントを渡された子供のような笑み。全くもってこの場に相応しくない。彼女は今にでも踊り出しそうなほどの満面の笑みを浮かべて、ケイに向かって杖を掲げた。


「フラン。これ、どっちが殺す?」

「早い者勝ちでしょ。今日は譲ってやらない」

「ふうん。じゃああたしも本気出さないと、ね?」


 途端グウィンの周囲に勢いよく塵が舞った。空間に広がる純粋なマナを吸い取って、みるみるうちに彼女の力が増幅されていく。明らかにエルフの中でも規格外の強さだ。そしてそんな彼女の視線は真っ直ぐにケイに向けられている。藍の瞳には確かな興奮と、憎悪が篭り切っていた。

 

 何故彼女たちがそうもケイに敵意を向けるのか。そもそもケイはなぜ彼女たちがケイの家名に……ラティエールというその苗字に興味を持ったのかケイは全くわからない。

 

 しかしそんなことはどうでもいいことだ。


「――水よ」


 重要なのは彼女たちがエルフであり、この街に危機を齎している敵であるということ。それだけ。それ以外にケイが知るべきことはなく、考えるべきこともない。


 ケイの剣が青色の光を帯びると同時にフランとグウィンは一瞬だけ目を見開く。


「水の加護、か。なるほどね。厄介」

「……当たったらアウト。面倒だね。やっぱり早く殺しておかないと」

「同意見。じゃあやるよ」


 グウィン、とフランの唇がやわく動いた。それだけでこの双子の意思疎通は完璧に済まされたらしい。


 ケイは円弧を描くように左脚を引く。戦いは始まる。二対六のこの状況だ。ケイはたった一人でこの二人を押さえ込む必要がある。リゼにはリゼの仕事があるのだから。


「リゼさん」

「助太刀はいりそう?」

「まさか。……俺の剣はこの街を守るためにある。心配は無用です。貴方は貴方の仕事を」

「ふうん、かっこいいこと言うじゃん。――じゃあまた後で、生きて会おうね」


 リゼの手が鼓舞するように肩を叩いた。それから黒髪を靡かせて軽く地面を蹴り飛ばした彼女は双子の向こうの路地裏へ……恐らく残りの四人が隠れている方へと駆け出していく。ケイには何も見えないが、魔力の跡を追える彼女にとってみれば隠れたエルフを探すことなど容易いのだろう。


 二対一。不利な状況は依然として変わらない。けれどもそれが恐れる理由にはならないのだ。

 

「水よ、溢れろ!」


 ケイはそう叫ぶと勢いよく地面を蹴り付けた。先手必勝。距離は向こうの味方だ。対魔法使いの王道戦術は、超至近距離での攻防に他ならない。


 剣を軸として青淡い光がケイを包む。この加護は武器でもあり、同時に鎧でもあった。水は全ての生きとし生けるものからケイを守り、そしてそれを浄化する。人や魔物の区別なく。

 

 まずは左側の少女……フランに切り掛かる。けれどもその一撃は見事に空ぶって、気が付けば彼女は数十メートルは後方に立っていた。厄介な転移魔法だ。けれどもそれも万能ではないはず。寸分入れずにまた駆ける。


「……ッチ、」


 今度の一発は確かに彼女の腹に食い込んだ。やはり転移魔法ほどの複雑な魔法になれば、発動にはそれなりの準備がいるのだろう。戦闘中に何度も実行するのはそう簡単ではないはず。


「痛っ。さいあく」


 けれども今の一発を喰らったにも関わらず、フランは何のダメージも受けることなくへらりと笑った。


「うん、やっぱり水の加護にも効くみたいだね、これ」


 金属を斬りつけたような感覚。一切のダメージが入らない。いや、違う。剣撃そのものの衝撃は確かに彼女に伝わっているはずだ。問題は、神気が彼女に触れた瞬間に消失したということ。


 何が起きた、と考えている暇はない。ケイは半ば反射で地面へと転がると、その真上を黒色の弾丸が飛んだ。


「避けないでよ、雑魚」

「……闇の加護、か?」

「ヒト如きに教えてやる価値はない」


 また、今度は弾幕のように連射される。やや離れた地点からのグウィンの攻撃だった。魔力とはまた何かが少し異なる奇妙な力。


 いや、考えている余裕はない。ケイは頭のすぐそばを通り過ぎて着弾したそれらをどうにか躱し切ると、また目の前のフランの首筋へと剣を翻す。一瞬反応が遅れたのだろう。水の加護の浄化の力は一切働いていないが、フランの首に浅く血筋が走った。


「だから、効かないんだって!」

「加護の力は、だろ。俺の剣は届く」


 そう、神の力が効かなくても剣本来の攻撃力はそのまま残っている。いくらエルフと言えども首を飛ばされて四股を刻まれれば流石に息絶えるのではないだろうか。


 もちろん今の擦り傷などすぐにフランの回復魔法で綺麗に修復されてしまったが、それでも攻撃が通ると確認できたことの意味は大きい。


 間髪を入れずに返す刀で今度は手首を狙えば、またフランの姿が立ち消えた。グウィンの横へと転移した彼女の目には、とてつもない憤怒が渦巻いている。


「……ヒトの分際で、何対等に戦おうとしちゃってんの」

「アンタの剣なんて、当たったところで傷一つ残せないのに」


 グウィンの静かなその嘲りは確かにその通りだった。彼女たちの短距離転移魔法と遠隔攻撃、そして神気の無効化はどこまでもケイと相性が悪い。その上必死に攻撃を掻い潜って一撃を当てても瞬時に回復される。勝ちようがないどころか、生きて帰ることすら難しい状況。


 だが、その中でもケイは確かに笑みを浮かべていた。


 蹴る。跳ぶ。そして薙ぐ。一瞬で間合いを詰めて斬撃を喰らわせれば、ケイを吹き飛ばすように炎の奔流が噴射された。中級魔法、か。どうでもいい。左手を翻して水の神気を身体に纏って、ケイはそのまま炎へと突っ込んだ。


 狙うは首。それから足。ローブで隠された胴体にはどういうわけか斬撃すら通じない。先程の金属を斬ったような感覚からして、鎧を身に付けているのかもしれない。となれば狙えるのは露出部位だけ。


 毛先が僅かに焦げるのも構わず、グウィンの首へと刺突を加える。しかし掲げられた腕で弾かれた。やはりローブの下には何かの防具があるらしい。


「バカじゃないのアンタ!? 竜炎ファイヤーブレスよ、普通のヒトじゃ……」


 転移を発動される前に、畳み掛けるように脚に蹴りを入れる。ケイの狙い通り地面へと転がされたグウィンは、小さく息を詰まらせた。


「っ闇よ!」


 地面に転がったままの体勢で射出されたその弾丸は真っ直ぐにケイの脳天へと向かっていた。避け、ない。水の神気の鎧を左手に集中させて弾丸を掴む。左手は弾け飛んで手のひらの中央に大穴が空いたが問題ない。勢いは殺し切った。


「……は?」


 そして右腕の剣は真下の少女へと垂直に振り下ろされ。


「――氷剣アイシクルブレード

「……チッ」


 ケイの剣が隣から飛んで来た氷に弾き飛ばされる。本当は喉を潰すはずだった一撃は少しずれてグウィンのローブを切り裂いただけに終わる。フランの援護だ。双子の連携は予想以上に厄介だった。


 グウィンは形勢を立て直すようにまた転移でケイと間合いを取ると、浅く息を吐いた。


「フラン、」

「うん、殺そう。絶対に。何としてでも」

「許さない。絶対に」


 そう彼女は呟いて、裂けたローブの切れ端を乱暴に剥ぎ取った。今までローブに隠されていた彼女の胴体が目に映る。


 銀色の金属光沢。到底生き物のものとは思えない流線型の塗装はまるで、そう。古来に語られていたヒューマノイドのような姿。その金属のボディに頭と手足だけ人間の形をしたものが接続されていた。既に死んだ生き物を無理やり生かしているような歪な姿。


「……なんだ、それ」


 科学はとうに死に絶えたはずだ。他ならぬ神がそうしたのだから。科学文明を全て塵に帰して、生き残った人類は生活の主体を科学から魔法に転換することを迫られた。だからもうこの地球上にはこんなことは可能となる技術はないはずだった。


 今日この日までは。


 ケイは混乱を隠すように深く息を吐いた。

 

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