信仰の子羊

 ヒルバニアからはるかに離れた地。森の奥深くの、さらにその奥。そんな辺境の地で……エルフが神によって許された最後の生存領域の中で、彼女は静かに息を吸った。


 指を鳴らす。その動作で、遥か遠くの地……ヒルバニアへと送り込んでいた同士のエルフの身体が吹き飛ぶ。本当は彼には生きていて欲しかったのだけれども仕方がない。反響したその音と共に地下室に置かれた蝋燭が、また1つ消えた。蝋燭の炎はそれぞれのエルフの命と対応している。つまりその火が消えたということは、また一人エルフが死んだということ。他でもないタラの手によって。


 今回の実行部隊は20名だったのだから、現時点で半壊したということになる。タラは密やかに、落胆の意を隠せずに目を伏せた。


 エルフの居住区域となっている森の中の、さらにその地下。エルフの中でも限られた者しか存在を知らない部屋。その中でタラは眉根を顰めていた。


 この極秘計画は一部のエルフを除いた誰にも知られてはならないものだ。タラはすぐ真横に跪いた二人のエルフ……タラが特に信を置いている双子へと視線を投げた。


 オリーブの髪を三つ編みに編んだ二人の少女は、丁度タラが指を鳴らすと同時に消え果てた蝋燭の火を見て唇を戦慄かせている。まだ青い。タラは内心でそう切り捨てると、双子の長女――フランの方を見返した。


「タラ様、これは……」

「仕方がなかったのです。イザークの隊はイザークを残して何者かに殲滅させられましたし、彼自身もヒトに捕虜として捕縛されたようでしたので。情報を漏らされるリスクがある以上、生かしておくことは出来ませんわ。この局面では彼を殺す以外の選択肢はなかった」

「ですが、イザークは」


 フランはそう何かを口走りかけて、それから目を伏せた。


「……いいえ、何も。全てはタラ様の思うままに」

「良い子ね、フラン。グウィンもそれでよろしくて?」

「はい、勿論。姫様に異を挟むなんてことは致しませんもの」


 やや反抗的な部分のあるフランとは対照的に、妹のグウィンの目は狂信に光り輝いていた。タラの一挙手一投足を支持するためだけに生まれてきた少女。こっそりと息を吐く。フランよりは余程グウィンの方が扱いやすいが、向けられる信望の瞳はあまり心地いいとは言えない。


 タラは彼女達から目を逸らすように、地下室の壁の方へと視線を移した。今このエルフの森に生きているエルフの数と等しいだけの蝋燭がそこには立て掛けられている。けれどもそのうちのいくつかは、今消えた一本も含めて既に炎を失っていた。


 今回の作戦を開始してからは既に10本。タラは火の消えた冷めた蝋燭を指でなぞった。

 

「既に10人分の命火が消えた。我々はもう彼らとの繋がりを感じることはできません。……あの街にそれほどの武力が残っていたとは、予想外でしたわ」

「ええ、そうですね。まさかエルフにヒトが対抗できるとは予想していませんでした」

「今回のイザーク隊の崩壊を踏まえて考えるならば、敵には10人近くのエルフを一気に屠れる化け物がいるということになります。そのようなヒトが我々の道を阻むとするならば、目的の達成は困難になるでしょう」


 タラのその囁きが地下室の中にこだました。依然俯いたままのフランは、次にタラが何を言うかの想像が出来ているらしい。ふるふると肩を震わせながら、彼女はゆっくりと口を開いた。

 

「……イザーク隊の代わりに、私たちを戦場に送るおつもりですか?」

「フランは聡くて良いわね。そうですわ。敵にそのような化け物がいるならば、あなた達を当てがえば問題ないもの。わたくしを除けば今生きるエルフの中で最も力があるのがあなた達なのですから」

「お任せくださいませ! 必ずや一つでも多くのヒトを殺してきます」


 ぎらぎらと、熱烈な狂気と興奮がグウィンの瞳に瞬いていた。本当に便利な子。そんな内心のタラの皮肉には気づくことなく、グウィンは頬を緩ませた。それだけタラ直々に仕事を仰せつかったことが嬉しいらしい。


「フラン、早く向かいましょう! 明日にでもヒルバニアに攻め入って、街ごと滅ぼしてしまえばいいのです!」

「……グウィン、落ち着いて。タラ様のお話はまだ終わっていない」


 フランのそんな嗜めに少しだけ落ち着きを取り戻したグウィンは、申し訳なさそうにタラへ頭を垂れた。


「あ、私ってばつい、すみませんタラ様。どうぞ続きを」

「ありがとう、と言っても話はもう殆ど終わりなのだけれども。……あなたたちに命じるのは単純。滅ぼされたイザーク隊の代わりに陽動の役割を担って、残りの隊が潜入を果たせるように動きなさい」

「承知しました」

「その際にできる限り多くヒトを殺せれば尚良いわ。そうね、実行は明日の夜に致しましょう。早ければ早いほど良いわ。二人とも、やってくれるわね?」

「はっ」

「勿論です! お任せください!」

 

 そう返したフランとグウィンから目を逸らすと、タラは透き通った白色の指先で机の端を落ち着かなげに叩いた。作戦が思う通りに進んでいないことへの不安と苛立ちだった。


 そもそもこの計画は10年前には達成されているはずのものだったのだ。10年前の策はイレギュラーな一人のヒトの存在と、神々のせいで齎された。まさか今回も同じような幸運にヒトが恵まれるとは思えないが、それでも嫌な予感は残り続ける。


 タラは地下室の天井を見上げた。この上にはエルフの森、この星においてエルフが生きることを許されている唯一の空間が広がっている。300年前のあの日、神々はエルフにこの狭い森を与えると、そこで生きる限りの平穏は保証すると述べた。……裏を返せば、森を出たエルフの命は保証しないと。


 その日以来、タラ達エルフはこの森の中でひっそりと息を潜めて生きていた。けれどもそれももう終わりだ。まずはヒルバニア、次に人魚と妖精を滅ぼして、この星をエルフが支配する。


 それがタラたちエルフの悲願であり、タラが御言葉を受け取った神の意思でもあった。


 故に今度こそ失敗は許されない。10年前の失態を拭うための今回なのだから。タラはそう頭の中で一人状況を吟味すると、眉を顰めた。そう考えるならば手札が少し足りない。フランとグウィンを加えても、あのヒルバニアを落とせるかと考えると五分だ。確実性をもう少し増したい。


 ぱちん、と軽く指を鳴らす。それに伴って地下室の扉が開いて、一人の老人が部屋へと入ってきた。タラはその老人の方へと振り返ることすらせずに、指先でテーブルの上を叩く。


「爺」

「姫様、何用ですかな?」

「今回は万全を期すわ。あなたもフランたちと一緒にヒルバニアに向かって頂戴」


 そのタラの言葉に少しばかり驚いたように目を見開いた爺は、それから壁の蝋燭……10個の炎の消えた蝋燭を見て、納得したように頷いた。


「なるほど、確かにこれは儂が出るべきでしょうな」

「フランとグウィンに陽動は託したわ。あなたは……」

「そうですな。儂も陽動に回りましょうぞ。思ったよりもヒルバニアに残る戦力は多い。……それに、まだ残る貴族どもの子孫もいることですしのう」


 爺のその言葉にタラは頷いた。


 10年前のあの日、戦いの余波でアイザック家の一人が死んだことは確認できている。けれどもその妹は未だ命を繋いでいるし、残り二つの罪深き血筋も未だあの壁の内側でのうのうと息をしているのだ。許せるはずがない。


 タラたちエルフがこうしてこの狭い森の中に閉じ込められる原因を作ったそれらの家系の末裔は、絶対に殺さねばならないのだ。


「そうね、爺。奴らを見つけたら必ずその首を切り落として来なさい。フラン、グウィン、あなたたちもよ」

「姫様、奴らとは?」

「……300年前の怨み。アイザック、スカイハート、ラティエール。その三家の血筋だけは決して逃してはなりません。何があっても殺して来なさい」


 こくり、とフランの首が振られた。詳細も聞かず淡々と命令に従う彼女の姿勢はある意味便利だった。フランはタラや爺が持っているようなヒトへの怒りや恨みを一切持っていない。彼女の内にあるのは、ただの乾燥し切った命令遂行義務と、唯一の身内であるグウィンへの情愛だけ。


 まあそんなフランの歪な精神性はタラにとってはどうでも良いことだ。タラは頭の中でひとしきりの今回の作戦について振り返ると、壁側を振り返った。


 壁に掛けられた無数の蝋燭と、その上に掲げられた7つの像。その前にタラは跪いた。タラのそれに倣って、フランたち3人も同じく祈りを捧げる。

 

 死した10人への鎮魂の祈り。そして10人が正しく神の元へと還れることを願う祈り。最後に、明日の夜をもってやっとエルフの悲願を果たせることへの感謝の祈り。


 タラは緩やかに口角を上げて微笑んだ。死した彼らの命は決して無駄にはならない。明日にはあの街は……ヒルバニアは消え去り、神罰の元で塵に還されることだろう。

 

 人類、そして神の身でありながら七柱に背を向けて人類側に立ったあのお方。あのお方が最後まで意を叛さなかったのは悲しいことだが、そうであれば仕方がない。エルフがあくまでも忠誠を誓うのはかの七柱なのだ。


 信じるもののためならば、神すらも殺そう。

 タラとはそういう生き物だった。


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