誰が為の戦いか




「ごめんなさい、セレナ。うっかりしてたわ」


 そうクロムはぺろりと舌を出して、ついでとばかりにセレナの机の上に乱雑にそれを――体の至る所に傷が生えた身体を投げた。


「体内に圧縮した魔力を隠していたみたいで、自爆されて死んじゃったの。一通り話は聞いたけれど、肝心の部分は聞き出せなかったわ」

「自爆、か」

「いや、正確には遠隔で爆破させられたって感じじゃないかな。理屈はわからないが、彼が虜囚になったことを把握した誰かが情報漏洩を恐れて殺したってところだと思う」


 そう隣から付け足したリゼの言葉にセレナは頭を抱えた。

 リゼは朝の血塗れのボロ切れからは着替えて、ヒースと揃いの隊服を身に纏っている。元魔法第一部隊隊長。その実力は折り紙付き。やっと10年ぶりに帰って来てくれたことを喜びたいところだが、状況がそれを許してくれそうもなかった。

 あれほど神罰によって周囲が被害を受けることを恐れていたリゼが、それでもこの街に戻って来た。それが何を意味するか。つまりはこの街は明日にでも滅ぼされてもおかしくないくらいには切迫した状態にあるのだ。


「どこまで聞き出せた?」

「侵攻計画については一通り。結構すぐペラペラ話してくれたから助かったよ。なんでも、基本的にはあの街の外のゴブリンたちが主力らしい」

「今日もケイとレオがこつこつ減らしてくれてはいるけれど、あれはどうやら先遣隊でしかないみたいね。本命の大群をエルフが一斉に操って街へ波状攻撃を仕掛けさせる……というのがメインの作戦みたいよ」

「しかしゴブリンは城壁内には入れないだろう? それはどうするつもりなんだ?」

「そこが問題なんだよ」


 リゼはうっそりとそう呟くと、手元に丸めていた一枚の地図を開いた。何か見覚えがあると思えば、数日前にケイたちが持ち帰って来た紙切れだ。確かあれにも街の地図が記されていて、その中央に赤い点が……。


 と、そこまで思考を動かして、セレナは一気に頬を青ざめさせた。


「まさか、」

「そのまさかだよ。奴らの作戦は単純。ゴブリンを操って街の外に大量に配置し、私たちの注意を街の外に向けさせる。その隙に城内に侵入して、街の中央にある防壁魔法のコアを潰すつもりだ」

「そうなれば街の中に魔物がなだれ込んできて、戦えない市民はみんな犠牲になるでしょうね。いくらわたくしたちが奮闘したところで数の暴力には勝てない。終わりよ、文字通りね」


 クロムのその言葉の締めくくりに、何一つ反論する術を持たない。セレナはげっそりとこけた頬に手を当てて、まずはゆっくりと息を吐いた。

 落ち着け、と言い聞かせる。セレナはもうあの日の、10年前の無力な少女とは違うのだ。セレナにはこの街を守る責務がある。この街で暮らす人々を守る責務が。

 背筋を伸ばす。金色の瞳を瞬かせて、セレナは窓の外を見やった。既に日は沈み始めている。リゼが奴らのキャンプを見つけてからおおよそ丸一日が経っているから、奴らもセレナたちが虜囚のエルフから一通りの情報を得たことは把握しているだろう。となれば奴らの行動は今すぐ始まってもおかしくない。


「リゼ、防壁術式のコアの破壊はエルフなら可能なのか?」

「恐らく。まず奴らは防壁魔法に関わらず街の中に侵入できる。これは良いね? コアがあるのはただの地下水路だ。奴らの隠蔽魔法や気配遮断の腕を考えれば、私たちの目に留まらずそこまで侵入することは可能だろう」

「なんでエルフは防壁魔法に引っかからないのかしらね」

「そりゃあエルフは魔物より人間寄りの存在って判定されてるってことだろ。……それはともかく、エルフはコアに辿り着ける。で、壊せるかって話だが、理論上はまあ可能だ。少なくともヒース曰く」


 リゼはくるくると講義でもするかのように指先を回しながら言葉を継いだ。


「緻密な魔力操作は私よりヒースの専門なんだけど、曰く頑張れば構築に介入して捻じ曲げることぐらいは出来そうだってさ。そもそもが複雑な術式だから、そんな風に介入されたら結構簡単に壊れちゃうんじゃないかな?」

「なるほどな。……つまり我々は、外のゴブリンに対応しながらコアに接近するエルフを何としてでも潰す必要があるというわけか」

「その通り」

「厄介なミッションね。ただ救いなのは、侵攻してくるエルフの数は大したものじゃなさそうってところよ。当初の計画ではリゼが始末した10体を含めた20で攻め入る予定だったらしいから、残りは10体。緩いものじゃない」


 クロムのその言葉は明らかに虚勢だったが、それでもそう思わなければやっていられそうもなかった。セレナも彼女に同調するようにやわく微笑む。やるべきことは決まった。ならばあとは覚悟を決めるだけだ。セレナは久々に書類の山に背を向けて立ち上がると、拳を握り締めた。


 まだセレナのこの拳は鈍っていない。ならば今こそそれを市民のために使うべき時である。


「クロム、リゼ、作戦開始だ。……今回こそはやり遂げるぞ」

「ええ」

「勿論だとも。そのために帰って来たんだからね」


 リゼのその言葉を合図にして、セレナたちは一斉に各々の役割を果たすべく動き始めた。


 ♢


「すみません、でもこれ訓練じゃなくて、そのマジのやつなんです。マジのやつ。分かる? とにかくマジなんで城の広場に避難をお願いします。うちの魔法第二部隊が防衛魔法ずっとそこで張っててくれる予定なんで」


 だからお早い避難をー、といういまいち悲壮感のない語尾の呼びかけが夜中の街に響き渡る。騎士団が呼びかけているから、というよりも単に騒がしいから様子でも見てみるか、といった様子だが、それでも避難してくれるならそれで良い。

 レイモンドはまだ抉れた跡の残る脇腹を押さえつつも、町中を走り回っていた。住民の避難誘導はいつも通りニーナの部隊に任されている。そしてその隊長であるニーナは今はより大きな任務に割り当てられているため、レイモンドが指揮権を預かったというわけだ。


 城門から大通りを通り抜けて、東寄りの市街地はレオの部隊が手伝いで一通り回ってくれている。残るは西側のエリアだけだ。比較的古ぼけた様相の家が立ち並ぶこの一角もおおよそは避難が完了していて、ほとんど人は見受けられない、と思ったその瞬間だった。


「あの、お兄さん」


 背後の声が聞こえた方を振り返った。小さな背丈の少女。赤いワンピースの彼女はつい数十分前に家族と共に避難先へ向かってもらったはずだが、どうやら一人でこっそり戻ってきてしまったらしい。レイモンドは困り眉で彼女の目線に合わせるようにしゃがみ込んだ。


「どうしたんだい、君? 何か忘れ物?」

「うん。あのね、そこの植木鉢。リーナの友達に今度渡してあげるの」


 だからその鉢植えはとても大切で、絶対に持っていきたかったのだと彼女は……リーナというらしいその少女は舌足らずで告げた。


「そうか、そうだね。確かにそれは大事なものだ。でも今はとっても危ない時間だから、一人で出歩いちゃ……」


 とそこまで口走ってふと何か違和感に気づく。ばくん、と心臓が大きく鳴った。

 

 目の前の可愛らしい少女に微笑みかける。その表情とは裏腹にレイモンドの頭は急速に冷え切っていった。風の瞳は他者の嘘や取り繕いの香りを読み取る。その瞳が言っていた。彼女は嘘をついている。彼女はリーナではなく、彼女は。

 その正体の答えの行き着いて、レイモンドはこっそり深く息を吸った。

 悟られるな。ついこの前の反省を生かして、レイモンドは出来る限り表情を変えないよう努力しながら後ろ手で背後にいたチュー助に合図を送る。


 西地区にエルフ出現。至急応援されたし。


「お兄さん?」

「ごめん、何でもないよ。そうだ、だから一人で出歩いちゃダメだって言っただろう?」

「ごめんなさい……」

「一人で城のところまで戻れるかい?」


 何気ない会話を装って時間を稼ぐ。彼女の魔力量は到底レイモンドが一人でどうにかできるものではない。これで一分。あともう一分稼げれば上等。


「一人はちょっと怖いよ。お兄さんはついてきてくれないの?」

「うーん、そうだな。他の人が来たら交代して君を送りに行けるんだけど」

「お兄さん、お願い」

 

 彼女が潤んだ瞳でレイモンドに手を差し出してくる。間違いない。これが彼女の目的だ。このすぐそばには地下水路への入り口がある。レイモンドをこの場から引き離し、その隙に他のエルフが地下水路へ侵入するという作戦だろう。


 そう考えれば彼女の提案に応じるわけにはいかないが、レイモンドは落ち着いて彼女の手を握り返した。時間は十分に稼げた。あとは仕留めるだけだ。


「わかったよ。それじゃあ、行こうか」


 微笑みながら、意識は遠くへ向ける。やや遠くの東地区から聞こえる駆け足の音。レイモンドは目だけでなく耳もそれなりに良い。あと10秒と言ったところか。小さくチュー助がレイモンドにしか聞こえない声で鳴いた。これは合図だ。


「ねえ、ところで君の名前はなんていうんだっけ?」

「リーナだよ。お兄さんは?」

「ああ、僕は、ね!」


 3、2、1。脳内でのそのカウントが0になると同時にレイモンドは勢いよく後ろへと飛び退いた。


「爆ぜろ!!!」


 瞬間視界が赤に染まる。激しい爆炎と轟音。西地区の 古びた木造はそんな衝撃には当然耐えきれず、ものすごい勢いで倒壊していく。咄嗟に飛び退けたから良かったものの、あれに巻き込まれていては死んでいたかもしれない。レイモンドは指先でチュー助の頭を撫でて、レオの到来を予告してくれたことを感謝した。


「おい、生きてるか!? 死んでるか!? 生きてんならもう一発投げてやるけどどうする!」


 どうするもこうするもないだろう、なんてレオの発言にぼんやり内心で突っ込んでいればやっと土煙が晴れる。そこに見えたのは先ほどの少女――瓦礫の下敷きになったはずなのにピンピンしている――と、それに向き合っているレオの姿だった。


「……うるさいなあ。せっかくこっちが血を見ない方法で侵入しようとしてやったのに、何でアンタたちがそれをフイにするの? 死にたいの?」

「血を見ない方法? 冗談も程々にしとけよ。アンタらの好きなようにされちゃ明日には街中血塗れだっつうの」


 少女は煤けたスカートの裾を払って、それから薄い魔力の膜を全身に纏わせる。変身魔法だ。見る間にも彼女の姿は幼い人間の少女のものから、少し背の伸びた若い女性のものへと変わる。可愛らしい丸い輪郭は切れ長のそれへと戻り、冷たい瞳がじっとレオを見つめていた。


「炎の神気か。なんでアンタみたいな人間がその御力を使ってるの? 恥知らず」

「知らねえよ。便利な貰いもんってだけだ。神様だか何だか知らねえけど、オレにはどうでもいいことだし」

「……貴様!」


 女の身体を中心に勢いよく魔力の渦が立ち上がる。激昂と共に出力が上がったらしい。レイモンドは二人の諍いの隅でこっそりと首を捻った。ニーナからの話によれば、エルフは補助具なしでは魔法が使えないほど弱体化していると言っていたが目の前の彼女はそうは見えない。……弱体化の件はやはりエルフの一部の話であって、今回街に攻め入ってきた奴らには適用されないのかもしれない。


 まあそうだとして、レイモンドがするべきことは何も変わらない。


 静かに手に力を込めた。きっとレイモンドの分だけでは足りないだろうから、チュー助越しにニーナの神気を少しだけ借りる。

 あの時5人、仲間が死んだ。レイモンドの迂闊な接触のせいで。レイモンドが弱く、奴を抑えきれなかったばかりに5人も死んだ。その痛みをたったこれだけで返せるとは思わないが、ほんの少しでも復讐しなければ気が済まない。


「……風よ」


 その囁き声は、レオに引き付けられて我を失っている女には聞こえない。


 祈りは捧げない。ただ強く、あの女の首を飛ばすに十分なだけ力を込める。それだけでいいはずだ。


「――飛べ!」


 その叫びに女が振り返った時には既に遅く、正面から風の刃が彼女の首元へと飛び込んでいく。それでも流石のエルフだ。女もすぐさまレイモンドを睨みつけると、横へ避けようと地面を蹴り付けて。


「――させねえよ」


 彼女の足元に炎の礫が投げられた。それが石畳にぶつかった瞬間、また激しい爆発音が響く。地面を蹴ろうとした右脚は爆風で吹き飛んで石畳に転がり、そして次いで。


 ごろり、と女の首が落ちる音がレイモンドの耳に妙によく聞こえた。


 また一つ、何処かで蝋燭の火が消えた。


 

 


 

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