神罰

 理屈はわからない。原因も過程も不明。けれども結論だけは単純。どういうわけか死んだはずのリゼは蘇って、失われたはずの腕も黒い靄の中で再生し始めている。つまりはリゼは、まだ戦える。


 リゼは全身を引き裂くような激痛の中、歪に口角を上げた。


 まずは一番手前にいた一人に斬り掛かる。神の降臨と、それからリゼの復活に呆然と立ち竦んでいたその一人は何一つの抵抗を許されずに頭蓋骨を割られた。次。踵を返して二人目へと向かう。


 流石に二人目は硬直して成されるがままにとはならず、無言詠唱で向けられた透明の魔力の刃がリゼの全身に突き刺さる。たった一つでも致命傷になり得るそれを、リゼは避けることなく受け止めた。


「……あは、私、本当に死なないみたいだね」


 大腿部がぱかりと半分切り離されて、喉が裂かれる。それでもリゼは止まらない。黒い靄がまた身体を覆って致命傷を回復させる中、半分千切れた肩を思い切り振り翳して二人目を地面に叩き潰した。こうなればあとは流れ作業だ。リゼは酷く楽しげな笑みを浮かべたままに、3人目の下半身を平らに潰すと、4人目の心臓を真っ直ぐに貫いた。


 気づけばリゼの周りの石畳は真っ赤な鮮血で染まっていた。エルフ達の血、それからリゼの血。たった一人の空間でリゼはぼんやりと再生していく自分の内臓をのっそりと見つめていた。


 理屈はわからない。けれどもリゼはどうやら神の加護を賜って、化け物じみた再生能力を手に入れたらしい。どんな致命傷を受けても蘇る、さながら不死のような力を。


 ふらり、と地面に転がる五つのエルフの死体から視線を逸らして、リゼは背後を振り返った。ヒースは、無事だろうか。セレナは、クロムは。リゼは脳震盪のように左右に揺れる視界の中で、彼らの影を探した。


 生きているはずだ。だってセレナたちは神の加護を受けている。光、氷、草。それぞれの神が彼らの姿を遠巻きに見守っている以上、彼らが死ぬはずがない。そうに決まっている。そう信じないと、恐怖で壊れてしまいそうだった。


 ふらふらと先ほどヒースを一人取り残した瓦礫の山の方へと足を動かす。土煙の中で一層破壊の限りを尽くされた家屋。その隙間に、小さく丸まった金髪の頭が見えた。息を吐く。生きている。リゼは震える指先で彼の頭へとそっと触れると、声を震わせた。

 

「ヒー、ス」

「……リゼ?」

「生きてる、よね」


 その囁くような言葉に、こくりと頷きが返される。リゼはぺたりと瓦礫の山にへたり込んだ。他の生存者のことも、セレナとクロムのことも探し出さなければならないけれど、今は一度この安堵を噛み締めたかった。


 ヒースは半分泣き出しそうな瞳で、全身に満遍なく傷を負ったリゼを見返した。


「リゼ、その怪我」

「大丈夫。私は、大丈夫だから。……うん、それよりも早くセレナ達を探そう。あいつらも、」


 リゼの言葉はそこで、ぴたりと縫い止められたように止まった。


 瓦礫まみれの城門の前に、神々しいばかりの光が溢れていた。逆光でその御姿はよく見えないけれど、何かはよくわかる。また喉を引き攣らせる。光の中にある五つの人影をリゼは見つめながら、息を吐いた。理解を諦めて思考を手放す。


 ――今日二度目の神の降臨。300年ぶりの現象が一日に二回も、それも同じ人間の前に現れるなんてことがあって良いのだろうか。リゼのそんな内心のぼやきは届かず、逆光の向こうのいくつかの人影はリゼを真っ直ぐに指差した。


「――あれが、あいつの加護を受けた人間?」

「だね、どうする?」

「どうするもこうするも、消すしかないでしょ、『草』」

「……そうだね、こうなったらできることはそれしかない」


 声が聞こえた。然程大きくもないくせに、明快にリゼの耳を穿つそんな会話が聞こえた。背筋が冷える。何が起きているのかなんてさっぱりわからないけれども、本能は大音量でアラートを鳴らしている。


 光の中の幾人かの影のうち、一人の指先がリゼの心臓を指した。


「――死んで」


 その瞬間、リゼの心臓は弾け飛んだ。


 意識が一瞬途絶える。けれどもそれはほんの一瞬の話で、つい数分前に賜ったばかりの黒い靄が勝手に空洞となったリゼの胸の中心を埋め尽くして、脈動を開始する。


 どくん、どくん、どくん、と三つ目の鼓動でリゼは目を開いた。痛い。死んでしまいそうなほどに痛い。けれども死ねない。リゼの身体はリゼの意思とは無関係に再生を開始する。


「――死んで」


 また感情のない声で二本目の刃が放たれて、再生しかけていたリゼの心臓を穿った。また弾け飛んで、意識を手放して、痛みで意識を取り戻す。それを見て光の中に立つ神はまた指先一本でリゼを殺しかけて、リゼは復活する。


「は、ぁ……やめ、」

「――死んで」


 もう何度目かもわからない繰り返し。また肉が飛び散る。リゼは石畳に前のめりに叩きつけられて、目の奥で星が飛ぶ。ぐじゅりと体内で音が鳴って、肉が蠢いて臓器を構築し直す。は、は、と犬のように荒い息が繰り返された。死ぬ。死んでしまう。でも死ねない。


 リゼが血の水たまりの中で苦痛に呻くなか、光の向こう側で人影はこてりと首を傾げた。


「……ねえ『火』、どうするのこれ?」

「殺せないね。おれたちでも殺せないとは思ってなかった」

「どうしようか」

「どうしようね」


 のっぺりと平坦な声で、少し遠くの神のやりとりが聞こえる。半分消えゆく意識の中でリゼは漠然と理解した。


 つまりはリゼは、神に罰されているのだ。何故か。そんなことは考えなくてもわかる。リゼが誰かもわからない神から……あの黒い神から受け取った不死の加護。それはどういう理屈かはわからないが、こんな拷問じみた刑を処されるに十分なくらいの罪であるらしい。リゼはあの加護を受け取ったせいで、いま神の怒りを買って殺されようとしているのだ。


「許せないね」

「そうだな、『風』。決して許せない。ヒトが不死を手に入れることをおれたちは許せない。けれどもソレはもう、おれたちにすら殺せない」

「可哀想にね」


 平坦な、感情のない音。その中に僅かだけ怒りが混じる。リゼは地面に転がったまま息を詰めた。


「可哀想だし、許せないね」

「許せないから、少し多めに殺してしまおうか」


 息が、止まった。


 ただの矮小な人間でしかないリゼにはその言葉の真意はわからず、できることもない。けれども意味だけはわかった。わかってしまった。


 リゼは腹這いのまま、どうにか少し遠くへと転がった剣へと指先を伸ばす。けれどもそんな無駄な足掻きを繰り返すリゼを嘲笑うように、神はゆったりと視線を街の中央へと向けた。


 教会、それからリゼの家である騎士団本部。そこに神の慈悲のない平坦な視線が向けられた。


 その瞬間、世界が轟いた。


 先程のエルフが引き起こした爆風など児戯に過ぎないのだと主張するような衝撃波が巻き起こって、文字通り街の全てが崩れ落ちていく。その光景を視界に収めながら、リゼは薄く笑った。


 なんて神は理不尽な生き物なのか。その癇癪みたいな衝動でリゼのいちばん大切にしていたものを全部吹き飛ばして、瓦礫の山に変えてしまう。


 ――絶対に許さない。


 瓦礫に叩きつけられて意識を失いながら、リゼはその怒りを胸の一番深いところに仕舞い込んだ。


 ♢

 

「まあつまりは、私は神の怒りを買ったってこと」


 そうリゼが色のない声でひとしきりの話を締めた。

 

「神の、怒り?」


 ニーナの囁き声が不安げに響く。意味が分からないという顔。そりゃそうだ。だってこの話はずっと10年間箝口令が敷かれ続けていたのだ。知っているのはリゼとヒースとクロムとセレナの、あの日の生き残りだけ。


「そう。神の怒り。……あいつらが私を殺せないと理解した、次の瞬間には街の中央がそっくりそのまま吹っ飛んでた。昔はほら、城のすぐ隣に騎士団本部があったでしょ? あそこを中心にして爆発が起きたみたいなイメージをするのが一番近い。……完全に私に対する当てこすりだよね。神は私の存在を罰するために、私の一番大切にしているものを壊した」

「で、騎士団は壊滅。情けなくリゼに庇われてた僕たちだけが生き残ったってわけ」

「正確には騎士団の人間や周囲にいた不運な市民はみんな全員殺されて、神気持ちだけが生き残れたって感じだね。で、この神の降臨については完璧に秘せられた。騎士団の壊滅は侵攻してきた魔物のせいってことにして、エルフの存在もなかったことにした。……だって、私たち人類を守ってくれるはずの神がそんなことをしたなんてみんなが知ったら大変なことになるでしょ? 神への信仰でこの街はギリギリもってるんだから」


 リゼが半笑いでそう呟けば、ニーナは否定できずに視線を逸らした。魔物に囲まれたこの狭い都市の中で、それでも中の人間がどうにか致命的な揉め事を起こさずに生きていられるのはひとえに神への信仰が根付いているからだ。


 この街の中で平穏に暮らしてさえいれば、神は人間を守り続ける。その前提が覆されたら、いったいこの街で何が起きるかは想像に難くない。


「まあそんなこんなで10年前のトラブルはうやむやのままに解決して、私は街の外で生きることにした。……あの神の降臨や攻撃を見る限り、神が私のことを何らかのトラブルの種とみなしているのは間違いなかったし、また街の中にいれば同じように私に関わったものが吹き飛んでいくかもしれないでしょ? 幸いなことに私の加護は魔物だらけの屋外でキャンプ生活をするのには最適だったしね。ほら、魔物との戦いで死にかけようが、毒を喰らって死にかけようが私って絶対に生き返るから」

「……つまりリゼさんは原因はよくわからないけれど神直々に罰を下されるような存在になってしまって、その神罰がほかの人に向かないように一人でずっと外を放浪していた、ってこと、ですか」

「そう。波乱万丈ストーリーでしょう? それでは質疑応答に移ります」


 そう冗談めかして言っても、ニーナはくすりとも笑ってくれなかった。残念。まあそれどころではないのだろう。与えられた情報の多さにパンクしている彼女を横目にリゼは紅茶をまた一口すすった。そうしていれば、またニーナの手が遠慮がちに挙げられる。


「あの」

「なあに」

「その、リゼさんがなぜか神の攻撃対象になっているってことはわかりました。でもそうしたらなぜ、神は直接リゼさんに手を下さないんでしょうか。街を吹き飛ばすより、その、人一人を殺す方がよっぽど簡単だと思うんですけど」

「いい疑問だね。私もそれは常々考えてた。で、結論なんだけど」


 リゼのティーカップが置かれる静かな音だけが鳴った。


「多分ね、神も私を殺せないんだと思う」

「……え」

「私にこの加護を与えたのが何者かはわからない。神なのかすらもわからない。少なくともその誰かさんは、はじまりの五柱――火、水、氷、草、風のどれでもなくて、その上位の闇でも光でもない、もっと違う何かなんだと思う。で、多分その誰かさんのことが神は嫌いなんだ。だから八つ当たり気味に、彼の加護を受けた私に殴りかかってきた、っていうのが私のこの10年かけての仮説」

「で、でも、そうしたらこの世界にはまだ私たちが知らない神がいるってことに……」

「全然あり得る可能性だと思うけどなあ。だっていないと思ってたエルフは生きてるし、そもそも300年前までは神の存在すら信じられてなかったんだよ? 未知のことはいくらでも起きうるさ。むしろ私たちが本当に理解している事実なんてあるんだろうか」


 最後の一口を呑み込む。言葉が紡げずに黙りこくったニーナを横目で見る。これ以上誰も巻き込みたくないという気持ちはまだあったけれど、でももうそんなことを言っている場合ではないのだというクロムとヒースの言も理解できる。先ほどヒースに伝えたエルフの弱体化の件を踏まえて考えるならば、この世界に何か劇的な変化が起きていることは間違いなかった。

 

 故に、いつまでも意地を張っていることはできない。

 

 覚悟を決める時が来たのだろう。神と戦う覚悟を。


「……ヒース、私の隊服はまだ残ってる?」


 そう問えばヒースは何度か目を瞬いて、それから10年前から全く変わらないやわらかい笑みを浮かべた。


「もちろん。ずっと待っていましたから」

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