ゴースト奇譚

 報告も終了。今日の一日の仕事は終わりだと頭の中で指折り数えながら、ケイは団長室を出てのんびりと騎士団本部の中を歩いていた。


 騎士団本部は街の片隅にある古びた建物をそのまま再利用した場所であり、そう面積は大きくない。二階建ての本館と、隊員用の宿舎や修練場、食堂などがある別館に分かれており、ケイとレオの私室は別館にあった。


 ふわあ、と欠伸交じりにレオと隣り合わせで静かな廊下を歩いていれば、ふと肩に何かの重さを感じる。気づけばまたケイの右肩にはニーナの使い魔であるネズミが乗っていた。補助部隊の隊長であるニーナはこの使い魔を街中のいたるところに走らせて情報収集に日夜勤しんでいる。


 ちゅう、と小さく鳴くそのネズミの鼻先を撫でてやれば、彼は……彼女かもしれないが、ぱちりと赤い目を開いた。


 『あ、ケイさんでしたか。丁度良かった。その子、このまま宿舎まで連れ帰ってあげてください。今日はもう疲れちゃったから一歩も歩きたくないって駄々こねてるんです』

「あー……まあ別にいいが」


 ネズミの発声器官からどう声を出しているのかケイにはさっぱりわからないが、子ネズミはニーナの声でそう呟いた。

 

 そのまま目を伏せたネズミはケイの肩の上で微睡みだす。どうやら疲れているなんて言葉は本物だったらしい。まあ別にネズミの一匹を宿舎に連れ帰るくらい大した仕事でもないので別にいいか、とケイは肩を竦めた。


「にしても今日は俺も疲れたよ。とんでもないゴブリンの群れでな」

「そんなに? ゴブリン相手にお前がそんな手こずるもんかね」

「お前と違って多対一に向いてないんだよな、俺」


 ケイのそのぼやきにレオは首肯で返した。


「確かにな。一対一じゃオレ絶対お前に勝てねえけど、集団戦ならなんとかできる気がする」

『ケイさんを倒すならやっぱり360度包囲して波状攻撃がベストの策ですよね。私もそう思います』

「おいニーナ、なんで俺を仮想敵にして戦略練ってるんだよ」

『えへへ、つい……』

 

 そう誤魔化すように笑ったネズミ越しの声は、仕切りなおすようにわざとらしく咳払いをした。


『まあそんなことはいいじゃないですか。それよりも今日私、面白い噂を仕入れてきたんです』

「面白い?」

『そうです。なんでも今は夏でしょう? 街でもホラーじみた話が流行っていて、みんな口々に話しているんですよ。おんなじ噂を』


 宿舎に向かう廊下は時間もあって真っ暗だ。隣を歩くレオの顔を上手く見えないくらいに。そんな暗闇の中、ニーナ――正確に言えばニーナと意識共有されたネズミ――はひっそりと口を開いた。


『ゴーストが出るんですって。大体深夜二時過ぎくらいですかね。シルエットだけの黒い何かが路地裏を通り過ぎただとか、足音が聞こえただとか』


 曰く、その人影が現れるのは夜中の路地裏だけなのだという。


『目撃情報が一番多いのは西地区のあたりですかね。この辺だともう、老若男女問わずにみんなが何かしらを目撃してるんです。でも不思議なのは、そのゴーストは見かけても接触しようとしてもなんの危害も与えてこないってところ。普通の怪談とはだいぶ毛色が違うと思いませんか?』

「まあ、確かに妙なリアリティがあるような気はするな」

「作り話なら呪われるだとか殺されるだとか話に組み込みたくなるもんな。確かにただそこにいるだけで何もしてこねえゴーストってのは新しいかもしれねえ」

『それに不思議なのはこんな、有体に言ってしまえばつまらない怪談が流行ってるってことです。街中どこでも皆がこそこそ話していて、子供から大人まで問わずみんなが見ている。……ここまで来ると私としてはただの噂とは思えなくて』


 二人分の足音が反響する。レオ、それからケイの二つ分。三つ目なんて聞こえない、はずだ。ニーナの妙に上手い語り口に乗せられるように思わずそんなことを考えてしまったケイは、余計な迷信を振り払うように頭を振った。


「現実的に考えるなら、街で誰かがこっそり夜な夜な何らかの活動をしてるってことになるな」

「それもそれで大問題じゃね」

『私もその線は考えたんですけど、何の痕跡も今のところは見つけられてないんですよね』


 ニーナのうっそりとしたそんな呟きに、レオは首を捻った。

 

「ニーナが見つけられてないならそんなやついないってことになるから、じゃあやっぱゴーストがいんじゃね?」

『レオさんは盲信しすぎです。私のネズミは確かに便利ですけど、別に魔力を追えたりするわけでもないですし、全然万能じゃないんですから』

「まあ……だとしてもニーナに見つからず活動できる何かがいるんだとしたら結構怖いよな。ヒースさんには報告したのか? 気になるならあの人に魔力探知でもしてもらえばいいじゃないか」


 そうケイがヒース――ニーナの上司であるはずの男の名前を出すと、ニーナのネズミは露骨に嫌そうに鼻を鳴らした。

 

『もちろん報告はしましたよ。だけどあの昼行燈がまともな調査もするわけないじゃないですか。話だけ聞いて、了解〜追加報告あったらその都度よろ〜、で終わりですよ!?』


 妙に上手いヒースの物真似に思わず吹き出す。相変わらずニーナとヒースの相性はいつも通り最悪らしい。妙に生真面目なニーナと、良くも悪くも自由なヒースの折り合いの悪さは日常的な小競り合いという形で顕現している。

 

 まあヒースはあれで案外ニーナの見えていないところでこそこそと働いているタイプの面倒な人間だから、裏で調査でも進めているのかもしれない。あの人は努力して汗をかいているところを絶対に見せたくない人なのだ、難儀なことに。それ故にニーナには余計に誤解されているような気もするのだが、まあそれはケイが考えてやることでもない。


 ニーナのネズミは溜息を一つ吐いた。


『とにかくあの人はいっつもいっつもサボるしどこいるか分からないし、今日だって目離した隙に部屋から逃げ出して私のネズミも撒きやがって……』

「はいはいはいわかったわかった。それ聞くのもう何度目だと思ってんだよ」

『だって……』

「まあとにかく早く帰って寝ようぜ。明日は早いんだし」


 そのレオの言葉に不承不承頷いたネズミはやっと口を閉じた。確かに夜は暗いし、これ以上通路で話していれば騒音被害を上官に訴えられるかもしれない。まあその場合の上官というのはケイたちのことになるが。

 

 まあそれはともかく。

 宿舎まであと少しの十字路で、ふと思い出したようにケイは足を止めた。訝しげにレオが振り返ってくるのを手を振っていなして、来た道へと踵を返す。


「ん? 忘れ物か?」

「やっぱり修練場に寄ってから寝る」

「ああ? 今日もかよ脳筋バカ真面目。一日ぐらいサボったってバチは当たらないってのに」

「バチは当たらないが剣のキレは悪くなる」


 それに今日は試したいこともある。

 

 ケイは宿舎へと向かうレオと別れて、一人無人の修練場に足を踏み入れた。月光のみでお世辞にも十分明るいとは言えないが、それでもケイには十分だった。

 

 目を閉じる。思い浮かべるのは、今日目の前で剣を振るったあの少女。リゼ。大剣使いと片手剣では勝手は違うが、武道というのは根本的な部分では繋がっているものだ。

 

 あの流麗な動き。力任せに見せかけて、技巧の籠った一閃。確実に今のケイの数段上手の使い手だった。その剣筋をなぞるように剣を振る。ひたすらに。何も見えない暗闇の中、軌跡だけを追って。


 それがこの10年、ケイが欠かしたことのない毎日の習慣だった。

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