痕跡を辿って

 翌朝ケイとレオは燦燦と降りしきる太陽の下、昨日と同じく城門前で騎乗の人となっていた。


 ずらりと並んだ部下たち……ずらりと言えるほど数は全く多くないのだが、それはともかく。彼らの前でケイはよく通る声を張った。


 「では各班班長は指定位置にて待機! 俺とレオが撃ち漏らした奴らを一つ残さず潰す仕事だ。お前らが逃せば敵は街へ入り得る。心してかかれ!」


 応、と気持ちの良い返答が返ってくる。ケイとレオの部隊はよく共に行動することが多いから連携には問題はないだろう。ヒースから借りた回復術師も各班に一人ずつ配属しているから、もしもの心配も基本は必要ない。

 

 問題なし、と頭の中で確認してから、最後に一つだけケイは振り向いて釘を刺した。


「作戦中は何があってもレオには近づくなよ! 燃やされたくないならな!」

「……そこまでオレの制御力信用ならない?」

「ならない。全くな」

「傷つく〜」


 そう嘯いたレオの懐には小ぶりの巾着袋が掛けられている。中からはじゃらじゃらと小粒の石の音が響いていた。準備は万端らしい。その巾着から感じる炎の神気の気配にうっそりと息を吐きつつ、ケイは水の神へと珍しく祈りを捧げた。

 

 どうかこのバカの爆発に巻き込まれて死ぬなんて結末は避けられますように。


 ♢


 城からおおよそ馬で1、2時間といったところでやっと昨日のゴブリンのキャンプが見えてくる。昨日ケイとリゼが殲滅したためにキャンプには一体のゴブリンも見当たらないが、ひとまずここから調査を開始するべきだろう。部下たちを配置に付かせ、レオと二人で問題の地点に向かう、と。


 ふと背後に生じた何者かの気配に振り返る。くるりと旋回。反射的に剣を突きつけた先にいたのは魔物でも何でもなく――見覚えのある人影だった。


「やあ、昨日ぶりだね。第二騎兵隊隊長のケイ殿。奇遇じゃないか。何か忘れ物でも?」


 うら若い少女の姿に、彼女の背丈ほどもある黒ずんだ大剣。黒髪黒目の、闇の擬人化のような容姿。しかし見た目には似つかないくらいの老獪な笑み。忘れるはずもない。リゼだ。ケイは剣を下ろすと、昨日と同じく胸に手を当てて敬礼をした。


「昨日はどうも。助かりました」

「ああそんなに畏まらないでよ。……昨日の調査の続き、ならその隣の彼も騎士団の?」

「あ、うっす。第二魔法部隊隊長のレオ・スカイハートっす。おい、ケイ。このお嬢さんが昨日の……?」

「ああ」


 そう短く返答すれば、レオの瞳が軽薄ないつものものから引き締まる。昨日のセレナの様子を見ていれば致し方ない反応だ。どこまでもポーカーフェイスが苦手なタチなのだ、この男は。


「あー……っと、とにかく昨日こいつを助けてくれて感謝してま、す。で、今日は?」

「恐らく君たちと同じだよ。昨日のゴブリンの奇妙な動きを見たら調査しないわけにはいかないだろう? 何かヒントとなるような痕跡はないかと思ってね」


 そう言いつつリゼは破壊の後に残されたキャンプの抜け殻に向かって手を翳した。どうやら騎士団でも何でもない個人であるはずの彼女は、わざわざ魔物の異常行動の調査のために街から離れたこんな場所までやってきたらしい。


 いや、昨日のセレナの言葉が正しいならば、彼女は人気のない魔物だらけのこの平原で一人で生活していることになるのだけれども。


 まあそれは今はいい。ケイは首を振って余計な思考を振り切ると、目の前でゴブリンのキャンプに向き合ってしゃがみこんでいるリゼに視線を再度向ける。魔法の一切使えないケイには何をしているのかよくわからないが、隣のレオがその美形を全て無駄にするような間抜け面を晒していることからして恐らく、彼女は今何か魔力的な処置をしているに違いない。


 レオはその赤色の瞳を戦慄かせながら、リゼの手元を指さした。


「は、魔力探知……? なんでアンタそんなのできんの……?オレだってそんな精度、や、ヒースさんならワンチャンあるかもだけど」

「お、君見えるの? ならなかなか素質があるね。その年で隊長になっているだけある」


 リゼの唇がニヒルに歪む。依然ケイには何をしているのかさっぱりわからないが、二人の断片的な会話からして今リゼは魔力探知、という行為を行っているようである。


 確か一度ヒースから聞いたことがあるようなないような。行使された魔力の気配を追うことで、術者が何をしてどこへと向かったのか知ることができる技術らしい。上手く扱えるものならばかなり詳細な……誰がどのような魔術をどの範囲で行使し、今どこにいるのかまで認識できるとか。

 

 ケイはそこまで記憶を手繰ったところで、やっとリゼが今なにをしているのか理解して目を瞬いた。


「リゼさん、ってことはつまりこのゴブリンのキャンプには何者かが魔術を掛けた形跡があるっていうことですよね!?」

「そう。それも洗脳するような……対象に特定の指向性を与えて行動させるような術式だ」

「はあ? そんな高度な魔法の使い手なんてもうこの世界にはいないだろ。ってか精神操作は禁術じゃなかったか?」

「まあ禁術指定なんて人間の世界の中だけで成立しているルールだからね。その外側のモノたちからすれば守る必要もない」

「外側のモノ、ですか」


 ケイのその呟きにリゼはまた皮肉げな笑みを浮かべる。リゼのその言葉は一体何を意図したものなのか。


「……300年前にこの世界の人間以外の種族はきれいさっぱり滅び去ったはずなんですけどね」

「何事にも例外はあるものだよ。私のように」

「だとして、いきなりそんな話を信じられはしないんですが」


 ケイのその言葉にリゼは鼻を鳴らした。


 つまりリゼは言外にこう告げているのだ。


 ゴブリンに魔術を仕掛け、異常な行動を促した黒幕が確かに存在する。そしてその黒幕は、人間ではない街の外に住む何か――そんなものは存在し得ないはずなのに――であると彼女は言っている。


 ケイは眉間に皺を寄せてこめかみを何度か叩いた。昨日から頭が痛くなることばかりだ。今まで当たり前だと思ってきた常識がいくつも崩れていく。が、しかし、確かにリゼの推測に道理が通っているのも確かだ。


「レオ、お前にも見えるか? その魔力の痕跡」

「え?ああ……ちょっと待て」


 レオは先程のリゼと同様に問題の場所へと手を翳すと、ケイにも劣らないほどくっきりと眉間の皺を濃く浮かべた。


「……確かに魔術の跡がある。下級種族がどうにかできるレベルじゃない、人間の術者でも手こずるような構造のやつだ。何の魔法かまではオレは読めねえけど、確かにこの人の言ってることは、嘘じゃねえ、と思う」

「なるほどな」


 つまりはそれが人間だろうが違おうが、何者かがゴブリンを操って街へ侵攻を企んでいることは確かなようである。であれば如何にそれが信じ難いことであっても、ケイたち騎士がしなければいけないことは一つ。一刻も早く黒幕を発見し、殺す。それだけである。


 そしてそれを可能とするためには、どう考えてもリゼの協力が必要。この魔力痕を辿れるのは、リゼだけなのだから。

 

 ケイがそう思考をまとめてリゼの方を向くと、ちょうど彼女はのらりくらりと大剣を担ぎ上げてキャンプ地を離れようと背を向けたところだった。このまま留まればケイがなにを言い出すかなんてこと察しているに決まっている。

 

 それ故ケイが口を開く前にそそくさと去ろうとした彼女の肩に、ケイはがっちりと手を乗せた。伊達に筋肉バカと呼ばれているわけではない。肩に乗った重みのせいで動けなくなったリゼは、恨めしげにケイの方を振り返った。チャンスである。ならばすることは一つ。

 

 ケイはリゼに向かって九十度に首を垂れると、訓練された騎士らしく腹の底から声を叩き出した。


「リゼさん、本件解決までどうか俺たちに協力してください!!!」


 平原中に響き渡る声に、リゼは数瞬戸惑ったように凍りついた。


「……え、なに急に」

「お願いします!」

「だからなんで急にっていうか声でかいし」

「リゼさんの協力にヒルバニア市民の命が掛かってるんです」

「あーもううるさいうるさい! なんでもいいからちょっと声の大きさ絞ってよ!」

「いやリゼさんも結構な声量出てるっすけど?」

「うるさいな!若造は引っ込んでなさい!」

「え、今オレのこと若造って言った!? どう見てもそっちの方がガキじゃんオレはもう二十超えてますけど!?」

「レオ、収拾つかなくなるから黙れ」

「いや最初に叫び出したのお前じゃん……」


 なんてレオのぼやきは聞こえなかったフリをして、リゼに頭を下げ続ける。肩に乗せた手はそのままで。すなわち逃しませんという意思表示だ、これは。

 

 ケイのその姿勢と、絶対に折れないという執念に負けたか、リゼはしばらくの沈黙ののちに重く息を吐いた。


「……案外ごり押すタイプなんだね、君」

「こいつ優男面しといて中身は筋肉ゴリラなんで」

「黙ってろレオ」

「言い得て妙だね。私を力づくで押し留められるやつなんてそういないよ」


 とりあえず肩の手、離してもらっていい?なんて呆れ顔で言われたので渋々手放す。この隙に逃げられるのではと一瞬思ったが、どうやらリゼは折れてくれたらしい。


「わかったよ。君らの勝ち。……どっちにせよ君たちのその加護の力は何かと便利そうだしね。着いておいで。魔力の跡を辿っていこう。消えないうちに」

「感謝します!」

「はいはい」


 肩を竦めて聞き流すリゼだが、案外話せばわかってくれるタイプのようだ。ケイとレオはリゼの後を追うように小走りで次の目的地へと足を進めた。




 


「燃えな!」


 そうレオが叫ぶと共に、キャンプの中から阿鼻叫喚の叫びが聞こえる。これで三つ目。爆破テロの被害に遭ったゴブリンにはいささか同情を覚えるが、それで可哀想なんて思って見逃すほどケイは緩い脳を持っていない。爆発から逃げ出してきた数体のゴブリンたちに狙いを定めると、昨日と同じく青色の神気を勢いよく振るった。

 

 リゼの案内に従って魔力の跡を追うと、どうやら魔力の主はいくつかの点在していたゴブリンのキャンプを巡っていたようだった。そしてそれぞれのキャンプでゴブリンに魔術を仕掛けていたと思われる。

 

 つまりその痕跡を追っているケイたちはもれなくゴブリンのキャンプを虱潰しに巡ることとなり、律儀にキャンプをゴブリンごと爆発四散させてから何か重要な資料や情報がないか捜索しているのだった。


「……討伐完了。残党なし」

「流石〜、慈悲とかねえの?」

「お前の爆弾の方がよっぽどだろ」


 未だ燃え盛るゴブリンの巣を遠巻きにしながら、ケイはそう呟いた。

 

 レオは炎の加護を受けており、その力は主にこのような……爆弾のような形で使われる。


 レオの腰の袋にはなんの変哲もない小石が入っているが、その粒全てにはレオの神気が込められているのだ。それをレオが放るだけで、神気は爆発を引き起こす。厄介なのは爆発の威力はレオが込めた神気の量に依存し、かつレオは込める神気の量を精密にコントロールすることができないという点。端的に言えば火力バカ。人に脳筋脳筋言っているコイツも大概だと思う。


 それはともかく、と視線を今も燃え盛るキャンプへと移す。今度こそ何かが発見できればいいのだが。そう願いながらケイはまだ炎の燻る中へと進むと、キャンプの荷物を片っ端から漁り始めた。


「武器に食料……まあそんなもんだよな」

「食料の備蓄具合からして一週間分ってところだね。彼らは一週間以内には何らかの作戦行動を起こすつもりだったのだと考えるのが妥当そうだ」


 するりとケイの隣に居座ったリゼは、ケイと同じく荷物を漁りつつそんな所見を呟いた。こうしたところを見ると彼女がケイたちよりよっぽど経験があるのだろうと思わされる。一体何者なのだろうか。幾度となく尋ねたその問いは悉く流されているので聞き出すのはもう諦めた方がいいのかもしれない。

 

 そう考えつつも手を動かしていると、ふと麻袋の中で何か奇妙なものに触れたような気がした。かさり、と音を立てるそれを引っ張り出してみる。


「……メモ?」


 爆破のせいでやや煤けてしまっているが、それでもきちんと形を残しているのは紙自体に何らかの魔力が込められているからだ。ケイは恐る恐る四つ折りのそれを開いた。

 

 中に記された図を見て、ケイは思わず臍を噛んだ。図は確実に街の地図だが、これ見よがしに赤で置かれた点が何を指し示しているのかがわからない。


「丁度街の中央……でもこんなところに何かあったか?」

「お? なんか見つけたか?」

「見つけたんだが、何を意味してるのかが分からん」


 隣に寄ってきたレオへと紙切れを押し付ける。ケイには分からないが、何か魔法に関連する話ならレオに渡した方が話は早いはずだ。


「まあ城下の地図だよな〜。赤点は……意味わからんぐらい正確に中央に打たれてる、ってかこうやって見たから今気づいたけどウチの城壁ってこんな綺麗な真円だったんだな」


 そうレオはしみじみと言いつつも、紙の上の街外縁をなぞった。

 

 ケイたちの住むヒルバニア城は、堅牢な城壁都市である。なぜ城壁に囲まれているかと言えば、外にはとんでもない数の魔物が生息しており、到底人間の住める環境ではないからだ。

 もしくは逆の言い方をした方がいいかもしれない。

 

 城壁の中にしか、人間の生き延びられる場所はない、と。

 

 ふと思考に乗せてしまったそんなことを振り払うようにケイは頭を振ると、無理やり意識を目の前の問題の方へと戻す。解決できない問いより、まだ糸口のあるトラブルの方がよっぽどマシだ。


「とりあえず敵のターゲットがこの赤い点のところにある……ということでいいんだよな?」

「さ〜な、ブラフの可能性もあるし何の関係もない落書きかもしれない。けどそれを考えるのはオレらじゃなくてニーナたちだろ。オレらの仕事はとりあえずこれを持って帰ること」


 それもそうだ、とケイはこくりと頷いて慎重に懐に仕舞い込んだ。元々の目的であったゴブリンの数減らしも大分達成できたことだし、そろそろ街へと戻ってもいいだろう。


「リゼさん、この先の魔力痕は……?」

「残ってはいるけど薄いね。洗脳を掛けたゴブリンのキャンプはこの3つっきりで、あとは魔法は使わずにアジトに帰ったんじゃないかなあ」


 欲を言えばそのアジトの場所が分かれば大収穫なのだが、リゼの不服そうな表情を鑑みるに、跡を追えないほど薄い痕跡しか残っていないというのは事実なのだろう。ケイはリゼの人となりなんて殆ど知らないが、あまり無意味な嘘を吐きそうなタイプには思えなかった。


 ただし彼女はきっと、このまま真っ直ぐ街に帰るつもりなんてないだろう。

 

 ケイは少し傾き始めた西日を見やってから、朝と同じようにリゼに向かって頭を下げた。


「では俺たちは街へ戻ります。……ご協力感謝致します。騎士団本部へと来ていただければ報酬はお支払いしますが」

「嫌だなあ。私が絶対に来ないことを分かった上で言っている」

「そういうわけではないんですが、まああなたが何らかの事情でこの街の外で毎晩野宿に勤しんでいることは理解しましたから」

「そうだね。……少なくとも今は私は街には戻れない」

「理由をお聞きしても?」

「まだ言えない」


 今日何度目になるかもわからないそのやり取りを繰り返して、ケイは諦めたように首を振った。これでは堂々巡りだ。


 ケイとレオは一人平原に立ち尽くすリゼを取り残して背を向けると、街への帰路を辿り始めた。

 

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