騎士に暇なし


 ありきたりなことに、次に目を覚ましたのはベッドの上だった。天井を見上げればそこが見慣れた医務室だとわかる。誰かがここまでケイを運んでくれたのだろう。


 柔らかいベッドからどうにか上体を起こせば微かに腹が痛む。皮膚が引き攣れる感覚。まだ傷は完全に治っていないようだが、それでもあの時の腹に空いた大穴は完全に塞がっていた。


「……生きてたか、俺」


 そうぼんやりと呟いた。手を握ってみれば手のひらに空いた貫通痕も完全に消え失せている。ヒースの加護のおかげだ。ヒースの草の加護は部位欠損や致命傷を治すことは当然できないが、自然治癒の範囲で治るものならば大体どうにかできるらしい。簡単に言い表すならば、自然治癒の回復速度を異常に上昇させるのがヒースの力。

 

 息を吐く。最初に脳に浮かんだのは安堵。次に焦燥。あの戦いは……エルフはどうなったのか、レオたちは無事か、リゼはどこにいる。沸騰する水のように湧き出した疑問に押されて、ケイは勢いよくベッドから立ち上がった。


 ケイが医務室から駆け出そうと扉を開くと、丁度扉の前にいた男とばったり出くわす。くしゃりと乱れた癖のある赤毛に、溌剌と輝いている赤い瞳。レオだ。手には水差しと少しばかり高価な果物が抱えられていることからして見舞いにでも来てくれたのかもしれない。


 ケイが何か口を開こうとする前にレオの眉はとんでもない角度へと吊り上がって、とんでもない声量で怒鳴りつけられた。


「あ、お前目ぇ覚めたのかよ! ってか何勝手にベッドから出てんだ安静にしとけこのクソボケ野郎。あと後でヒースさんに全力で土下座してこいカス筋肉ダルマ内臓丸見え男が」

「……お前、一文に一回罵倒入れないと喋れないのか?」

「今回に関してはお前が100%悪い」


 とりあえずこれ、と雑に押し付けられた果物の籠はありがたく受け取っておいて、ケイはこてりと首を傾げた。どうやらレオがここにいることからして、ケイが寝ている間に戦いは終わったらしい。そしてまあ、今こうして街の中が平穏である以上ひとまず防衛は成功したのだろう。


 くるりと視線を回して窓の外を眺めた。日の角度からして昼時だろうか。あの戦いから半日は経っている。ケイはとりあえずレオに軽く頭を下げて礼を伝えると、当初の目的通り医務室から出ようとして。


「おいボケ。耳まで吹き飛んだのかよ。聞こえなかったか? 病人がフラついてんじゃねえ。寝てろ。いいから寝てろ」


 がっしりと肩を掴まれる。いつも軽薄なレオの顔つきが、今回ばかりは本気マジだった。これは相当に怒っている、し、確かにレオの指摘通り病み上がりのケイにはこの手は解けそうにない。


「あー……、その、一応あの後何がどうなったか確認したくてな」

「寝てろ」

「エルフ達のことでセレナさんに報告しないといけないこともあるし、リゼさんの無事も確認したいし、」

「寝ろ」

「それにほら、もう傷も塞がってるから……」


 と、つらつら抵抗の言葉を述べていれば、レオとは違った絶叫がまた通路の奥から響いた。

 

「馬鹿!? なんで起きてるんだよ、この腎臓小腸露出魔男!」


 どうやら丁度レオと同じく見舞いに……というか経過観察にやってきたのだろうヒースだった。手に持たれたフラスコの中の緑色の液体はまさか薬じゃないだろうな、飲めなんて言わないだろうな、と思いつつもケイは曖昧に微笑んで視線を逸らす。


 レオの後ろからものすごい勢いでつかつかと歩み寄ってきたヒースは、見たこともない憤怒の表情でケイを医務室の中へと押し戻した。流れのいい金髪の間に鬼の角でも生えていそうな有様である。


「あのさ、君自分がついさっきまでどんな状態だったかわかってる? 左脚はほぼ壊死してるし折れてるし、掌に穴開いてなんで指が吹き飛んでないのか不思議な有様で、肋骨は折れてないのを探す方が難しいし脇腹から内臓ははみ出てるし……」

「まあ、ある程度は。でもヒースさんの治癒のおかげでもう全快っていうか、本当に大丈夫です。あ、治療ありがとうございました」

「いいからベッドに戻れ馬鹿患者!」


 この人、怒ると語彙レベルがレオとほぼ同じになるらしい、なんてどうでもいい知見を得る。あー、とケイがどうこの二人をいなそうか考えているうちにもヒースとレオの二人がかりでついさっきまで眠っていたベッドに押し戻された。普段からしたら非力な二人に押され負けている時点で本調子でないのは明白だったけれど、そういう都合の悪い事実からは目を逸らす。


 ケイはのっそりと息を吐くと、諦めてまたベッドの上に腰掛けた。


「あの、わかりました。とりあえずここで大人しくしてます。してますからとりあえずあの後どうなったかだけ教えてくださいよ」

「問題解決、みんな無事」

「だからそうじゃなくて……!」

「あ、クロム先輩がお気に入りのドレス破れたってブチ切れて不貞寝してたぜ。めちゃくちゃ機嫌悪いからしばらく近づかないのがオススメ」

「だから、外はどうなってるのかって聞いてるんです!」


 そうびしりと窓の外を指差す。丁度医務室の窓からは市街地を見下ろすことができて、麗らかな天気の良い昼間の時間にも関わらずひとっこひとりいない街並みが視界に映る。


 ケイはベッドの横でこちらを監視するが如く目を細めているヒースへ視線を移した。説明してくれれば大人しくしてます、なんて無言の要請を読み取ったか、数秒の後にヒースが呆れたように息を吐く。


「……西地区は区画3から8に掛けて建物の倒壊が酷いからしばらく立ち入り禁止。ニーナちゃんとレオくんの部隊で再建に取り掛かってもらうから、まあ二週間もすればみんな家に帰れるんじゃないかな」

「城門前のゴブリンは?」

「エルフの撤退と同時に勝手に逃げてったぜ。洗脳魔法が解けたんだろうな。門前に転がってる死体の回収と処理は後でオレがやる。適当に全部燃やしとく」


 レオの声色にはそんな仕事やりたくないです、なんて怠惰が明確に乗っている。まあ確かに、クロムとレオの手で葬り去られた無数の身体を集めて燃やすともなればそれなりの労力になるだろう。普段のレオだったらどんな手段を使ってでも回避に全力を尽くすだろうが、今回ばかりは大人しく引き受けることにしたらしい。


 戦いは終わったと言えど、処理しなければならない問題はむしろ増えている。ケイはベッドの上で包帯越しに脇腹を撫でた。猫の手も借りたいであろうこの状況で一人ベッドに転がっているのは落ち着かなすぎる。やはり少しぐらいは……。


「ダメ。ドクターストップ」


 ケイが僅かに右脚に力を込めたのを瞬時に察したヒースが頭にチョップを喰らわせてくる。思ったより本気のやつだ。ヒースの緑かかった瞳が真剣にこちらを見据える。

 

「傷は塞がってるだけで中身はまだ修復できてない。僕の神気全部突っ込んで魔力すっからかんにして、それでも外側をそれっぽく治すのが限界だったんだから」

「最初に医務室担ぎ込まれてきた時とか酷い有様だったんだからな、お前。全身血塗れで固まってるし、ヒースさんが見たことねえ顔で汗ダラッダラで神気と治癒魔法の二重掛けしてたし、ニーナは半泣きだったし」

「……それは悪かった」


 素直に首を垂れる。確かにあの時のケイの有様は相当なものだっただろうし、ニーナのトラウマになったかもしれない。し、ヒースがそこまで全力を注ぎ込んでくれたから今ケイはこうして息ができているのだろう。文字通り命の恩人だ。


「ヒースさん、本当に助かりました。この恩はいつか必ず」

「はいはい、本当にそう思ってるなら大人しく病人面しててよね。あとこれ飲んで」


 そう目の前に突きつけられたフラスコの中身を見て、ケイは表情を強張らせた。思わずヒースの顔を見上げるが、飲んで?なんて言葉で唇は固まったまま柔らかい笑みを崩さない。


「内臓がめちゃめちゃになってるって言ったよね。水の神気があったから偶然生きてただけで、もう中身はぶっ壊れてたんだよ、君。だから外側から神気を送り込むだけじゃ足りないの」

「……はい」

「そこで僕が今日の朝からアトリエに篭ってこのポーションの調合をしてあげたわけ。しかも仕上げに僕の神気を限界まで混ぜ込んでる。まあこれを毎日飲んでれば、二週間後にはベッドから出れるんじゃない?」

「に、しゅうかんご?」

「少なく見積もってね」


 はい、とフラスコの口を突きつけられて、強制的に口の中に緑色の液体が流れ込んでくる。途端鼻に強いハーブの刺激が襲って反射的に吐き出しそうになる、が、そんなことヒースが許すはずもない。相変わらずのいい笑顔のままでケイの後頭部を押さえつけたまま液体を流し込んでくる。


「が、まっ……って」

「ほーら飲んで飲んで。大丈夫大丈夫死にはしないから。死ぬほど不味いだけ」

「うわー、拷問」


 レオのその他人事の感想に死ぬほど苛立ちつつもケイはなんとか最後の一滴まで飲み込んで、思いっきり咽せた。目元を拭えばなぜか涙が出ている。そんなケイの様子を見たヒースは、興味深そうに首を捻った。


「痛みは不感症ってぐらい無視できるくせに苦味はダメなんだね。君の感覚器官ってどうなってるの、ケイ?」

「戦場と医務室は違います!」

「心理的な要因のみであれほどの激痛と損傷を押して活動してたってことか。本当化け物だよねえ」

「ですねえ」

「俺だって好きであんな真似したんじゃないですよ」


 そう恨めしく呟く。あの状況下で、目の前の双子のエルフを自由にすればどんな被害が出るかもわからなかったのだ。確実に彼女たちは残りの潜伏していた四人のための陽動だったから、少なくともリゼがその四人を倒し切るまではケイがあそこに足止めしておく必要があった。


 何度か左手を握り込む。じくりと神経が引き攣れる痛みが走った。完全に消し飛んだと思ったが、まだ残っているだけ幸運だろう。もしケイに神気がなければ、手がなくなるどころか確実に死んでいた。


 そんなケイの様子に溜息一つを吐き出したレオは、ケイの隣に腰掛ける。ついでにケイへのお土産に持ってきたはずのリンゴに齧り付いていた。


「……まーとにかく生きてて良かった。エルフがそこまでのバケモノだとは思ってなかったけど、正直今回の戦いで一人くらいはいなくなるんじゃねえかって思ってたし」

「そうだな。お前とクロムさんも相当だっただろ」

「まあな」


 レオの指先が自身のざっくりと切れた頬の傷をなぞった。きちんと布で覆われてはいるがまだ生々しい。他にも身体のいたるところに裂傷が見えるあたり、相当な激戦であったことが窺える。


「お前も、生きてて良かったよ」

「どうも」


 ざくざくとレオがリンゴを噛み砕く音だけが響く、奇妙な沈黙が続いた。ヒースはぼんやりと壁に身体を預けて窓の外を眺めていて、ケイも口を開かなかった。やっと何日かぶりに緊張の糸が途切れたような、そんな感覚。


 やっと取り戻せた平和な午後を誰ともなく味わっていた時間だった。

 

 けれどもこの騒がしい城内でそんな時間はそう長くも続かない。


 ばりん、と何かが割れる音。次いで重いものが倒れたような重量感のある振動と、何かが叩きつけられたような轟音が響く。ケイは咄嗟に肩を振るわせると真上を見上げた。明らかに今の音はこの部屋の真上から――セレナのいるうちにも団長室から聞こえてきている。


「な、んですかね?」

「セレナのところだよね? 侵入者?」

「まさか……ってか万が一侵入者だとしてもセレナさんならワンパンっしょ」

「それはそうだけど」


 三人の内心は一致していた。明らかに真上の部屋でなんらかのトラブルが起きていることは確か、だが正直関わりたくない。今はもう少しこの暇な時間を享受していたい。そんなところ。


 けれどもそんな身勝手な願いが叶わないのは世の常である。


 ふわりと空気が揺れたかと思えば、ヒースの足元に水色のネズミが現れてヒースの周りをくるくる回り始めた。うわあ、とヒースの絶望の呻きが隠さず漏れる。束の間の休息は終わりらしい。


『ヒースさん、ちょっと、早く!! 早く来てください本当にもう大変なんです!!』

「来るってどこに?」

『団長室です!! 早く!! 私もう抑えきれなくて、あ、まってセレナさんそれはダメ……』


 とそこでネズミは沈黙した。ニーナからの感覚共有を切られたらしい。また勝手気ままにヒースの身体に登って遊び始めたネズミを横目で見ながらレオは天井を指差した。


「ですってヒースさん。行ってきたらどうっすか?」

「は? 上官に面倒ごと丸投げして自分はサボるつもり? ここはレオくんが自ら僕のために働くべきでしょ」

「でもニーナが呼んでたのはヒースさんなんで」

「じゃあ俺が行きましょうか?」

「お前は黙ってろ」


 そう取り付く島なくレオに切り捨てられたので、ケイは諦めてごろりとマットレスに身を投げた。天井を見上げれば一層騒音は大きくなっていく。多分部屋の中で喧嘩でも始まったとかそんなところだろう。ケイは苦笑いを浮かべると、二人を追い払うように手を振った。


「いいから早く行ってあげてくださいよ。ニーナが巻き込まれて死ぬ前に」

「……なーんでこんな面倒ごとばっかりなのかな、最近。祟り神でも憑いてる?」

「お祓い行きましょう今度」

「塩買おう塩」

「いいから早く行けって」


 ケイの投げやりなその言葉を受けて、やっと二人はもそもそと医務室を退室した。

 

 


  

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