帰還

 リゼが城壁まで辿り着いた頃には既に空は白み始めていた。仕方がない。リゼは馬なんて便利なものは持っていないのだ。徒歩にしては最速。とは言えども結構な時間がかかったので、時折意識を取り戻した男をまた気絶させる、なんて余計な作業が増えたのはご愛嬌。


 城門の、ちょうど裏側。街に住む大半の人々はこの街への入り口はたった一つしかないと思っているだろうけれど、どこの世界にも抜け道はあるものだ。今リゼの目の前にあるこれは、騎士団のごく一部の人間しか知らない通用門だった。いざという時の非常用。それから……こういった人目につきたくないことをする時用。


 壁に手を当てて魔力構築に干渉する。一種の鍵のようなものだ。特定の構築を知っているもの同士でないと解けないパズル。リゼはそれを難なく解錠すると、こっそりと街の中へと侵入する。


 数ヶ月ぶりの街内は、早朝なので当然静まり返っている。特にリゼの今いる建物の影の路地裏なんて、昼間だって誰一人立ち寄らない場所なのだ。

 

 湿気った砂を踏んだ。このまま裏路地を通っていけば騎士団本部の裏口へ着くことは知っていた。背中に担いだ男の呻き声を聞き流しつつ、リゼは久々の安全地帯に鼻歌を歌いながら歩き出した。


 かつん、と自分一人分だけの足音を響かせて歩き始めてから幾時か。太陽の位置からしてきっと三十分は経ったかという頃、やっと視界に古ぼけた煉瓦造りの建物が見える。縦に長く、屋上には申し訳程度のテラスがあるあたりにかつての貴族の栄華が見え隠れしないこともないのだけど、それも過去の話だ。今となっては苔むした、廃墟一歩手前といったところ。


 こんな街の隅の廃屋まで追いやられている騎士団の現状に思うことがないわけではないが、今はそれは主題ではない。リゼは人気のないことを確認しながらこっそりと裏口のベルを鳴らそうとして。ふと、視界の隅に人影が映る。


 どうやらリゼの思うよりもずっと、騎士団はきちんと機能しているらしい。

 

 リゼは朝日の逆光のせいで表情の読み取りにくいその人影に小さく手を振った。


「久しぶり、クロム。無事かい?」

「ええ。あなたは……今回は何本斬られたの?」

「腕が大体三回ぐらい? まあでも無事無事。今日も元気に五体満足だよ」


 そうへらりと笑えば、クロムは長い髪を揺らしながら一つ息を吐いた。普段は丁寧に結い上げられている紫髪がまだ下に落ちているあたり、寝起きのままここまでやってきたらしい。


「で、リゼ。こんな早朝にわたくしを起こしてどういうつもりなのかしら? 今日はお昼までベッドの上で転がっている予定だったのに」

「ごめん。起こすつもりはなかったんだけどな〜。なんで私が入ってきたって分かったの?」

「ヒースよ。裏門の鍵に誰かが干渉したってわたくしを叩き起こして来やがったんだから」


 ああ、とリゼは小さく頷いた。あの鍵はヒースとリゼが構築したものだ。ヒースはあれでいて繊細な魔力感知に長けているから、自分の魔法に誰かが触れれば気づくこともあるだろう。特に現状のような、常に外敵の気配を感じて敏感になっている時では。


 リゼはわざとらしくぐるりと周囲を見渡すと、二階の端の部屋のテラスに視線を向ける。目が合ったのでパチリとウインク。この距離なら気づかれないと思っていたなら舐められたものだ。


「ヒースねえ。その当のご本人はどこにいるのかな? クロムを叩き起こして自分は二度寝?」  

「裏でこそこそ働くのが趣味らしいの。まあ許してあげて。久々に正面からお師匠様と会うのは少しばかり照れ臭かったんでしょう」

「ふーん。……隠蔽魔法、まだまだ下手くそだって伝えておいて」


 リゼのそのこれ見よがしの言葉にテラスに潜んだ人物が何やら不満げな色を浮かべたのが見えた気がしたが、触れないでおいてやる。


 ともかく本題に移ろう、とリゼが肩に担いだ男を地面に落としてスカートを翻すと、クロムが分かりやすく眉を顰めた。

 

 クロムの溜息混じりの視線はリゼの衣服へと向けられている。ワンピースは黒色のおかげで目立たないが、乾いた血がたっぷりと染み込んでいるのだ。リゼのものも、それ以外のものも含めてたっぷり。


「酷い匂い」

「レディにそんなこと言わないでよ? っていうかまず触れるべきは私の服よりこの男でしょ。どう考えても」

「新しい服、後でヒースに持って行かせるから着替えて行きなさい。そんなエルフより、あなたが人間の尊厳を手放しかけていることの方が大問題だわ」

「仮にも第一部隊隊長が言うこと? それ」


 足先で未だ微睡の中にいる男を軽く転がす。だから本題はこっちだ。そのリゼの無言の抗議を受けて、やっとクロムの意識がリゼの衣服から、男へと向く。


「……エルフ、ね。10年ぶりの再会じゃない。感動で泣けるわ」

「はいはい。で、こいつらが街の近辺で何かごちゃごちゃ動いてたからとりあえず一人生かして連れて来た。君たちの方がこういうの得意だろ? 拷問とか。ほら、私ってばどこまでやれば死んじゃうのか最近わかんなくなってきててさ」

「不死もなかなか大変ね。……とりあえずコレはわたくしが引き取るわ」


 そうクロムが乱雑に手を振ると、男の両腕が手錠型の氷で拘束される。なかなか便利そうな力だ。クロムの力はただ氷を出現させるだけのものだが、その分応用性がある。一つのことしかできないリゼとは大違い。


「じゃああとの細かいことはヒースと……ニーナちゃんがもう起きてるかしらね。二人に報告しておいて」

「ニーナちゃん?」

「ヒースの飼育係」

「へえ?」


 説明に一切なっていないが、少なくともその子のことをリゼは知らない。リゼは口を尖らせてわざとらしくクロムを睨んだ。リゼが極力街の人間と接触しないようにしていることを知っているくせに。ここ10年、リゼの存在を知っているのはずっとヒースにクロム、それからセレナの3人だけだったのだ。つい最近イレギュラーが発生したとはいえど、リゼはなるべく他者と関わることは避けたかった。

 

 さもなければ、また神に見つかってしまうリスクも高まるわけだし。


 そんなリゼの内心の抗議を読み取った上で綺麗に無視をしたクロムは、その細い体に見合わない筋力で意識のない男を担ぎ上げた。


「ねえクロム、」

「リゼ、知っていると思うのだけど、わたくしって魔法とか策謀とか歴史とか過去とかそういう事はからっきしなの。得意なのは剣を振ることだけ。だから難しい話はわたくしではなくて、ヒースとニーナちゃんに投げて」

「だから、ヒースはともかくその知らない子まで私に関わらせるわけにはいかないって」

「あら、ケイとレオは良いのにニーナちゃんは除け者にするの?」

「……あー、もう!」


 言い返せずにリゼが唸ると、クロムはくつくつと笑い声を上げる。確かにケイとレオにリゼの存在を認識させたのはイレギュラーだった。でもあの場面ではそうしなければ、ヒルバニアはいつまで経ってもエルフの脅威に気付かなかっただろうから仕方がなかったのだ。

 

 リゼはじっとりとクロムをまた睨んだ。今度は若干本気の色が載っている。リゼに掛けられた加護のろいがどのようなものか知らないわけではないだろうに、可愛い部下をリゼの近くに置くなんて正気の沙汰とは思えない。


「私は、極力人間と関わることは避けないと……」

「もうそんなことを言っている段階じゃないわ。エルフがこうして押し寄せて来ている以上、市民に真実がバレるのも時間の問題。そうなれば秘匿だの神罰がどうだの言っている場合ですらなくなる。……リゼ、そろそろわたくしたちの元に帰ってくる時間じゃない?」


 クロムの透き通った薄青の虹彩がじっとリゼを見つめた。凍りついたような眼球。けれどもその奥には温かい、柔らかい色が見え隠れしていた。まだリゼのことを仲間だと思ってくれている、そんな目。


「……少し、考えさせてよ」

「ええ、もちろん。でもひとまず中に入りなさい。考え事はヒースとお茶でもしながらで良いわ」


 クロムが古びた煉瓦に手を触れれば、がちゃりと音を立てて裏口の扉が開く。暗い部屋に朝日が少しだけ差し込んで、室内の埃がきらきらと舞って見えた。


「お帰りなさい、リゼ」

「……ただいま、クロム」


 そう呟いて一歩足を踏み込めば、思ったより街の空気は肌に馴染んだ。

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