不死の呪い

 300年前のある日のことだったという。当然当時のことを覚えている者など一人も生き残っていないが、確かにその伝承は今まで伝えられてきていた。


 まず初めに、空が瞬いた。白色の目を焼くほどの光が天球を覆い尽くして、次に音が響いた。落雷のようだとも、炎の爆ぜる轟音のようだとも。とにかく、分かっているのはそれだけなのである。光が弾け、音が鳴った。そしてその次の瞬間には、この地球上に存在する全ての知的生命体が消え去った。――この街、ヒルバニアを除いて。


 それがケイの知る真実であり、神々の言葉であった。そうであったはずだった。



「エルフ、ですか……?」


 ケイがそう訝しげに呟けば、ヒースは分かりやすく肩を竦める。説明の必要はないと言わんばかりのその仕草に、ケイは今日何度目かも分からない嘆息を零した。


 ケイとレオが街へと帰還すれば、城門から中央通りまでの活気溢れる通りからひとっこひとり残さず消えていて、まるでゴーストタウンのような有様となっていた。人気のない街のそこら中をニーナのネズミが駆け回っていて、何の非常事態だと慌てて騎士団本部へと駆け戻ったのが三十分前のこと。そしてケイとレオはヒースから昼間の事件のあらましを一通り聞かされて、今こうして間抜け面を晒しているわけだ。


「あー、ヒースさん。一個質問なんすけど」

「どうぞ、レオくん」

「エルフって今も存在してる生き物なんすか? 300年前にすっかりさっぱり残党も含めて滅ぼされたって聞いてるんですけど」

「誰から?」

「誰からって……神から?」

「そう、その通り。僕たちは神から『聞いた』だけだ。誰一人として世界中を駆け巡って本当に他の生き残った種族がいなかったか探したことはない。300年間、この街の内側に引きこもって、ちまちまと下級種族と戦って生き延びてきただけ」


 ヒースのその言葉が空虚に響いた。人払いを済ませた修練場はケイたちの3人には広すぎたらしい。

 

 ケイは落ち着かなげに腰の剣に指を這わせた。新しく齎された情報はケイが抱えるにはあまりにも大きすぎる。だってそれは、ものが上から下へと落ちることぐらい当然の常識だったはずだ。エルフも人魚も妖精も何もかも、全て御伽話の存在へと変わったはずなのだ。なのに。


「……信じられません、が、信じないと辻褄が合わない。確かにゴブリンは何らかの高位種族によって操られた痕跡を残していたし、中央広場に現れたフード姿の奴は明らかに人間じゃない」

「そうだな。そもそも純粋な魔力を操って攻撃力に昇華するなんてことできんのはそれこそ伝説上のエルフぐらいのもんだし」


 レオのそれに頷いたヒースは、くるくると短杖を指先で回し始めた。ヒースが考え事をしている時の特有の癖。短杖の先端からは緩やかに水色の光が発せられたかと思えば、小さなマッチの炎が浮かび上がる。


「レオくんの言う通りでさ、僕たち人間が魔法を行使する時は空間に存在する魔力――マナを一度体内の器官に格納して自分自身に馴染ませる必要がある。この特定の個人に親和した魔力のことをオドって言うんだけど、エルフはこの変換の過程を必要としない種族、であると記録されている」

「ま〜オレら人間よりよっぽど魔力と親和性が高い生き物らしい、けど、そんなのただのファンタジーだって思ってたんすけど」

「じゃああの中央広場に残った魔力痕はどう説明する?」


 ヒースはそうレオに静かに問いかけた。

 

 ケイとレオが騎士団本部へと帰還する途中、レオは中央広場に残されていた強大な魔法の残滓を確かに感知していた。そしてこう言ってはいなかっただろうか。

 

 純粋なマナが弾けた形跡がある、と。


 今のヒースの言葉と組み合わせて考えれば答えは一つしかないのだ。今日、あの広場で幾人もを殺傷した何者かは人間ではなく、エルフなのだと。

 

 そして今この瞬間も、エルフは壁の外のどこかで生き長らえている。


 ケイはぼんやりと一人の少女のことを思い浮かべた。リゼはこのことを知っていたのだろうか。知っていたに違いない。何せ彼女はヒルバニアの内部でぬくぬくと生きることを許されず、魔物蔓延る屋外へと蹴り出された『例外』なのだから。恐らく初めから、ケイがあの異常なゴブリンと接触したあの日から彼女は黒幕のエルフの存在を認識していただろう。

 

 ならば次に問題になるのは彼女は敵か、味方か、という点だ。


「……リゼさんはエルフとはまた別で、外の世界で生きている人、なんですよね?」

「ああ、リゼのこと? あの人はそう、例外。神によって僕たちともエルフ共とも隔離された存在。ね、やっぱり神なんて信用できる生き物じゃないでしょ?」

「え、っと」

「僕たちの目線からじゃ神が何を意図して行動しているのかなんて分かりやしないけど、大概身勝手だとは思わない? ケイ、君のその加護だって君が欲して与えられたものじゃないだろ」


 何と返すべきか分からず言葉に詰まる。確かにヒースの言う通り、神気はこちらの意思に関わらず授けられるものだ。そのメカニズムも対象の選別理由も一切不明の奇妙な力。この力を使うことで生じる危険性も一切不明。それでもこれがなければ人間は到底魔物たちには勝てないのだから、ケイたちは理屈もわからずこの力を振るっている。


 それはリゼも同じだろう。


 あの黒い靄。リゼは神気だと言っていた。決して死ぬことを許さないなんて加護は、不死の呪いと等しいのではないだろうか。そうして不死の化け物に彼女を変えて、人間の枠から外して、この街で生きる権利を奪った。そう考えてみればヒースの言わんとすることもわからないではなかった。


 ♢


 そう、まさしくこれは呪いだ。切り落とされた右腕がゆっくりと黒靄の中で再生していく様子を見送りながら、リゼは残った左手で最後の一匹の首を刎ねた。


 一匹、一人か。いや、大した違いではない。ごとり、と音を立てて胴体が転がり、緑の下草に鮮血が流れ落ちる。リゼは切り落としたそれの首を持ち上げて、まじまじとその表情を見やった。命の抜けたビー玉みたいな青色の瞳、黒髪。リゼと少しばかり違うのは、この尖った耳だけ。フードで隠してしまえば容易く人間の隙間に紛れ込める、そういう生き物。


「1、2、3、4……9体か。一匹たりな〜い、なんてね」


 口走ったジョークは残念ながら誰の耳にも届かない。何故ならばリゼが全て殺したから。まあもし彼らが生きていたとてその意味を理解してくれたとは思わないけど。エルフの世界には旧世界の遺物は一つとして残っていない。ましてやこんな、何の役にも立たない怪談なんて。


 用済みになった首を蹴り飛ばす。リゼの身体に見合わない膂力で吹き飛ばされたそれは、城壁から遠く離れた地面へと墜落する。ぐしゃり。いい音だ。


 深夜の平原。ヒルバニア城からおおよそ馬で駆けて3時間はかかりそうな地点にこの集団のキャンプは存在した。リゼがその存在に気づいたのは偶然である。いつも通り魔物を片っ端から滅ぼしながら街の外を揺蕩っていれば、強力な転移魔法の気配を察知したのだ。


「まー、なんとなく想像するに斥候班なのかな? 作戦開始前にヒルバニアの戦力がどんなもんだか確認したかった、っと!」


 咄嗟に右に跳ぶ。ああ、失敗。今のはいい一撃だったから喰らっておけば死ねたかもしれなかったのに。自身の動物的本能を恨む。


 半分取れかけた左手をぷらぷらと揺すりながら、リゼは今の一閃が飛んできた方角へと振り返った。月明かりしかない夜更けにしては妙に明るく、その男のシルエットが見えた。フードを被って、手には長杖。


「こんばんは、いい夜だね」


 今度は連続で2閃。的確にリゼの右腕を穿ちにくる。正しい判断だ。大剣使いのリゼを無力化するならばその両腕を潰せばいい。良い判断だっただろう、相手がリゼでなければ。

 

 リゼは避けることなくその攻撃を――不可視の魔力の刃を受けると、綺麗に切り落とされて地面に転がった右腕を拾い上げた。既に回復し終わった左手で。


「痛いんだけど。私さ、確かに死にたいんだけどマゾってわけじゃないんだよね。死ねないなら痛いのなんてごめんなの」

「……貴様、何者だ」

「あー今更自己紹介フェイズ? 名乗りは攻撃前に、なんて美学は君にはないわけ?」

「答えろ」


 長杖に再び魔力が込められる。先程と同じ切断魔法。芸がない。あれではリゼは死ねないどころか、まともな負傷を負うことだってできないのだ。溜息一つ。本日の自殺の試みも失敗。


 リゼはやっと繋がり切った両腕でいつも通り大剣を構えると、こてりと首を傾げた。

 

 目の前の男はフードを被っている。ということは間違いなくエルフだ。その赤い瞳が復讐の恨みで燃えていることからして、恐らくつい数分前にリゼが鏖殺した集団の生き残りだろう。最後の一皿は見つかったわけだ。そんな冗談はともかく。


「貴様が、彼らを殺したのか?」

「そりゃそうでしょ。私以外に誰がいるの」


 男の手により一層の殺気が籠った。わかりやすい直情型。けれどもリゼの関心は既に男自身ではなく、男の手に握られた杖に向けられていた。


「ね、それ何?」

「……」

「私は君の質問には親切に答えてあげたっていうのに、そっちはだんまり? 等価交換の原則はエルフにはないの?」


 返答、なし。男はより一層杖を握る手に力を込めると、強く息を吸った。これは悪手。攻撃の前兆なんて敵に見せるものじゃない。


 強く踏み込む。途端驚いたように男の魔力が霧散する。


「……よっわ。今日は初陣?」


 敵の挙動に驚いて魔力の制御を失った。ならばもうこの男がリゼに対してできることは一つだってない。

 

 話し合いの時間は終わりだ。リゼは再生したばかりの真新しい筋肉で思いっきり大剣を男に向かって振るうと、剣の腹で殴打した。避けることさえできない可哀想な男は、内臓を強く打たれて悶絶して崩れ落ちる。


「かっ……ぁ、ぎぃ――」

「あ、まだ立てそうなの? 案外粘り強いじゃん。でもごめんね、今は寝てて」


 鳩尾に追加で一発。今度はこちらを睨みつけることさえできず白目を剥いて気絶する。気絶、だ。多分。殺してはいない。何せこいつにはまだまだ聞きたいことがたくさんあるのだから、今は生かしておかなければ。


 リゼは気絶した男を足で転がして、からんと地面に落ちたその長杖を手に取った。軽い……と感じるのは普段大剣を握っているからだろうが、さほど重厚感のない代物だ。魔術触媒としても大した効果を持たないだろう。簡単に言えば粗悪品。


 適当に魔力を通して一閃させてみれば、半自動的に透明の刃が先端から射出された。ふむ、と考え込む。つまりはこれは、魔力を注ぐだけで魔法の発動を可能とするような補助具であろう。それ自体はよくある技術。


 問題はエルフがこれを必要としているという事実。


「うーん、もしかしてこれ結構マズイ状況? とうとう滅びの日は近い的な? だから焦って侵攻してきたってこと?」


 ねえどうなの、と足元に転がる唯一の生存者に問いかけてみるが答えは返ってこない。絶賛気絶中だし。ああ、めんどくさい。

 

 ひとまずリゼは気絶した男を担ぎ上げると、少しだけいつもより駆け足で来た道を……城壁の方へと向かって走り出した。これはヒースかクロムに適当に投げれば勝手に情報を引き出してくれるだろう。とにかく今は、エルフの現状に対する情報収集がどう考えても必要だった。


 派手な舌打ちが夜中の空に響き渡った。とんでもない厄介ごとだ。


 だってエルフがこんな補助具を必要としているということは、すなわちこれなしではエルフはもう魔法を使えないのだ。人間より繁殖力も弱く、力もないエルフが唯一優っていた点がその魔法の腕だったというのに。

 

 ……少なくともこの男のようなエルフの末端側の存在は、自力での魔法の発動すらも苦しいほど追い詰められているらしい。一体何があった。また神の身勝手に巻き込まれたか。


 まあ、だとして同情の余地はない。リゼは八つ当たり気味に肩に担いだ男の腹をもう一度膝で蹴り飛ばした。


 所詮神の都合の良い手駒だ。神と共に滅びてしまえばいい。


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