第8話

 友達が増えた。

 友達が三人と、恐らく中学校のクラスメイトが四人。そしてエマと有栖で二人。合計で九人しか居なかった連絡先――そこに、西行透夜が加わったのだ。

 単純に嬉しい。俺は基本的に一人が好きなタイプの人間ではあるが、それでも新しい関係が増えるというのは普通に嬉しいものなのだ。一人が好きだからといって、孤独になりたいというわけではない。


「……コウちゃん、なんだか上機嫌ね」


 俺がスマホの画面を見てニヤついていると、エマがそんなことを言った。

 自覚はしている。だって、三か月ぶりの新しい友達だ。舞い上がらないわけがない。


「あぁ。新しい友達が出来たんだ」


「ふうん」


 興味を失ったのか、エマは自分の作業(夏休みの宿題)に戻っていった。

 少し安堵したような「ふうん」だった気がするが、気のせいだろう。


「それじゃあ、俺は出かけてくるから」


「行ってらっしゃい」


 俺はそう言って立ち上がり、部屋を出る。

 尻ポケットにそれぞれ財布とスマホ、右ポケットにイヤホンを入れたほとんど手ぶら装備だ。

 玄関を出ると、暑さで一瞬足が止まった。


「……もう少し涼しい格好にすればよかった」


 長袖長ズボンという、夏場には最悪な服装を選んだ俺は恐らく世界で一番頭が悪い。戻って着替えるのは面倒なため、俺はそのまま出発することにした。

 目的地の途中にコンビニがあるので、そこで水分を買うことにしよう。


「……暑い」


 歩いて三分。俺はとてつもない後悔に襲われていた。

 もはや、半袖短パンでも変わらないレベル。汗で気持ち悪いし、コンビニまであと五分はかかる。

 この気温じゃ、アイスを買っても溶けるだろうし、ジュースを買ってもすぐにぬるくなる。手痛い出費だが、仕方ない。ここは冷えピタを買おう――そう思っていた。

 それから五分してようやくコンビニに着いた俺は、そのまま流れるように冷えピタの置いてあるコーナーへと向かった。

 しかし。


「売り……切れ……ッ!?」


 冷えピタを頼る人間は思ったよりも多かった。それだけじゃない、冷えピタ以外の冷却ジェルシートも売り切れ。

 端的に言うと、俺は絶望した。

 四ツ谷サイダーの500mlペットボトルを買ってレジを後にする。暑苦しい外に出るのに一瞬だけ躊躇ったが、それでも待っている人がいるのだ。俺は覚悟を決めて一歩踏み込んだ。


「あつい……」


 十メートル先がなんだか歪んでいる。これがシュリーレン現象か。

 流石にこの暑さは頭がおかしいんじゃないかと言いたくなるぐらい、なんなら頭がおかしくなるぐらい暑い。

 あと十分もすれば俺は干からびて死んでしまうだろう。


「海外はもっと暑いのか」


 俺は自分とは全く関係のない海外のことを考えながら、そして時々サイダーを飲みながら歩いた。

 しばらくして、やっと目的地に着いた。目的地――それは集合場所。

 西行透夜との待ち合わせ場所の、日和駅である。

 日和駅というのは北海道、本州、四国のどこかにある都、または道、府、県の中にある市、もしくは町、村にある駅だ。勿論グ〇グルで調べても出てこない。

 辺りを見渡していると、遠くにやたらと目立つ美少女の姿があった。いや、それは美少年――西行透夜の姿である。


「……あれは」


 よく見ると、西行は誰かと話している。男二人組……俺よりデカいし怖い顔をしている。あれ、もしかしなくてもナンパなんじゃ……?


「っ」


 俺は急いで西行のもとへ急ぐ。

 そして――


「おい! 俺の女に何してる!?」


 そう言って、ナンパ男の内一人の肩をぎゅっと掴んだ。


「痛ッ!! な、なんだテメェ!?」


「い、一幡くん!?」


 ナンパ男二人組の視線が俺に移る。ナンパを邪魔されたことに怒っているのか、俺をとんでもない眼力で睨みつけている。


「コイツの彼氏かぁ? そりゃすまなかったな」


 一人は謝罪の言葉を口にしながら、しかしそれでも俺を睨みながら、顔をどんどん寄せてくる。メンチってヤツか?


「痛い、痛い、痛い!」


 残りの一人は俺が肩をぎっちりと掴んでいるので、痛い痛いと泣きそうになりながらも俺を睨んでいる。

 顔が面白過ぎて吹き出しそうになったが、吹き出すともう一人の男の顔に唾が飛ぶのでとりあえず我慢しておくことにした。

 にしても、この状況どうしよう。

 とりあえず俺は男の肩から手を離し、男と男の間にある隙間を強引にすり抜けて西行のもとへ走った。


「行くぞ!」


「えっ?」


 そしてそのまま西行の手をぎゅっと掴み、片手で西行を持ち上げて自分の背中に乗せる。


「わっ、わわわ……!?」


「落ちるなよ」


 これで、俗に言うおんぶのような形になった。


「じゃあな!」


 俺はそう言って男二人から逃げるよう全速力で走る。


「おい、待てよ!」


「逃がさねぇよ!」


 逃がさねぇとかなんだとかほざいてはいるが、あの巨体では恐らく走るのも遅いだろう。駅を出て、しばらく走って、先程行ったコンビニまで来たところで俺は足を止めた。


「……もういいか」


 俺は西行を降ろし、その場に座り込んだ。

 急に汗が噴き出し、頭に激痛が走る。胸も痛い……これって酸欠じゃね?


「い、一幡くん……大丈夫?」


 西行はへこたれる俺を見て冷静になったのか、心配そうな顔でこちらを見つめる。俺は西行の方を見ず「大丈夫」とだけ告げた。


「……冷却シート、持ってくるから」


 西行はそう言ってコンビニの中へと入って行った。

 しばらくして戻ってくると、西行の手には水のペットボトルが握られている。


「ごめん、冷却シート無かったから……」


 そう言って西行は俺のおでこに水のペットボトルを当てた。熱があるわけではないのだけれど……。

 少しして西行はペットボトルの蓋を開け、水を無理やり俺に飲ませる。

 酸欠の処置として適しているのかは分からないが、なんだか体が楽になった気がした。


「……ごめんね、一幡くん」


「?」


 西行の突然の謝罪に俺は頭にハテナを浮かべる。


「ボクが弱かったせいで、一幡くんは……」


「いや、俺が勝手にやったことだし」


 なんだか重い雰囲気になってきたが……別に死ぬわけでもないのに。日頃の運動不足が引き起こした、ただの酸欠だ。

 むしろ、勝手なことをしたのは俺の方だしな。


「ボクが怖がりなせいで、一幡くんは今こうやって苦しんでるでしょ。本当、どうしようもないよ……」


 ちらりと西行の顔をうかがう。目には涙が溜まっていて、今にも溢れそうだ。


「違うだろ」


 既に大分体調が回復していた俺は、少しもたつきながらも起き上がり、西行を見下ろす形になる。


「そもそも、こうなった原因はあのナンパ男二人だろ。自分を責めるなんて間違ってる」


「で、でも……ボクが、女っぽいから。ボクは男らしくないから……」


「男女関係なくあの巨体は怖えよ。正直、俺だって怖かった」


「……でも、一幡くんは動いてくれた」


「あぁ。俺が勝手にお前を助けた。もしかしたらお前には何か秘密の自衛策があったのかもしれないし、アイツらはただお前に道案内を頼んでいただけなのかもしれなかった。それでも俺は動いたんだ。勝手に、何の確認もせず。そして、それは正解だった……俺にとっては運が良かっただけなんだ」


「そんなこと……」


「そしてお前も運が良かっただけなんだ。だから、お前が言うべき言葉は、謝罪の言葉なんかじゃなくて、自分を救ってくれた運への感謝の言葉だけだろ」


「運なんかじゃないよ!」


「それなら言うべきはお前を助けた俺への感謝の言葉であって、謝罪の言葉じゃないんだよ」


「……あ」


 大分論理が破綻している気がするし、実は結構目が良い方なので、西行が困っているというのは遠目からでも見て取れたのだけれど、でも、バレなきゃ問題ない。

 それっぽいことを言った――それっぽいというのは、ぽくないことよりもそれに近いことなのだ。

 にしても、俺にしてはらしくないことを言った。だって、俺は西行に、自分を下げることをやめてほしかったのだ。

 久し振りの友達に、結構趣味の合う友達に。俺の友達に。


「……えっと、その」


 西行は緊張した様子で口を開き、一瞬で閉じる。

 そして、少し気恥ずかしげに、


「ありがとう、一幡くん」


 と言った。

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