懐古
職員室の名簿や当時の記録を観る限り、僕と彼女は入学式で初めて出会った。
断言できないのは僕が周囲の顔を覚えていないからだ。入学当時、僕は知り合いのいない環境に怯えてしまい、学校に馴染むまでに大変な時間を要したのだ。誰だって初めは互いを知らないのが当然なのに、全く情けない話である。だから、彼女を明確に認知したのは入学式から随分経った課外学習の日のことだ。
僕らの学校では、毎年入学したての学生を対象に海岸での課外授業がある。海岸に流れ着く
縒り代を空へ還すのは神聖な儀式だ。だが、その説明を真面目に受け取る学生はいない。教師たちも窮屈な校舎での生活から解放された反動だろうと学生を指導せず、宮司たけが儀式の説明に呼ばれ割を喰う。
宮司の経験がある叔父の言葉を聞いて育った僕は、海岸に並び儀式の説明を聞く間も私語が絶えない同級生たちに嫌気がさしていた。加えて、僕はこの頃になっても未だクラスに馴染めていなかった。
独りで海岸を歩き、縒り代を拾う。儀式の趣旨からすれば何ら問題がないのに、なぜだかとても恥ずかしくてどこかへ逃げたかった。
彼女を見つけたのはそんな気持ちでいっぱいのまま海岸線をうろついたときだ。思い出づくり、夏を感じよう、適当な理由をつけて携帯で写真撮影をする同級生に混じり、しゃがみ込み流れ着いた縒り代をフィルムカメラに収める少女。それが僕が初めて認知した彼女の姿だ。
「人が良い写真を目指しているのに時代錯誤だって評するのはどうかと思ったよ。何より、普段話したことがない女子を盗み見て、一言目がそれってセンスがない」
2階から降りてきた彼女は、庭に面したリビングの窓辺に座り、庭をうろつく僕に向かって当時を語る。初対面の印象が悪かったのは覚えているが何もそこまでいわなくてもいいじゃないか。
「いいや、こういうのは何度だって指摘するべきなの。男の視線は怖いんだよ」
彼女はあのときと同じように大きな身振りで、男を怖い理由を説明する。理屈はわかるが、海岸で説教されたこちらの立場にもなってほしい。
「……まあそれはそうかも。ちー、無害だしね」
褒めてる?
「褒めてる。でもさ、私の話ばっかり指摘するけれど、君だってあのとき変な話をしてなかった? えっと…なんだっけ」
「無理に思い出さなくていいよ」
思い出さなくていい。恥ずかしいから。彼女の目を正面からじっと見据えると、彼女は根負けしたのか目を逸らして笑った。
「わかったよ。思い出さない。それで、最近のちーはどうなの?」
「変わらないよ。いつも通り。今日は残りの授業をサボってきた。今は腹痛で保健室にいることになってる」
「そうなんだ。少し変わったんじゃない?」
「どこが?」
僕の日常は海岸沿いの校舎と家の往復でできている。ようやくクラスには馴染んで、同級生も教師の顔や話し方の癖、考え方もわかってきた。けれども、そこまでだ。僕には彼らを理解したあとがない。
「そうかな。少なくても、今日ちーはここにきた。あの頃の君は学校を抜け出して私に会いに来るタイプではなかったじゃない」
それはそうかもしれない。でも、それは学校生活で変わったことではない。
変わった瞬間があるとすれば。
彼女が僕を、僕が彼女を認知した経緯こそあまり褒められたものではなかったけれど、躊躇いなく自説を語る彼女の姿は、僕にとっては大きな救いだった。他の同級生とどうやって関係を作ればよいかわからなかったけれど、彼女の前でなら話ができて、彼女が笑ったりすねたり、そういう態度をみせてくれることに安心した。
自然と一緒にいる時間が増えて、彼女の友人関係に混ざるようにして、僕は同級生たちのことを知っていった。あのころ、彼女は僕の世界を確かに広げてくれたのだ。
だから、僕はあの日、彼女に会いに行かなかったことを後悔している。僕が変わったとすればそれが原因だ。
「会えてよかったよ。この家も何年も放置されていたから、懐かしいけど寂しくもなっちゃってね。何年戻らなかったんだろうと思ったら、ちーの顔を思い出した」
「何年って……そんなに経つかな」
彼女が身を包む衣服が制服からスーツに変わるほど、手に持ったフィルムカメラが一眼レフに変わるほど、自分の車をもって運転するほどに年月が経ったのかもしれない。けれども、具体的にどれくらい時が経過したのかはよくわからない。
「いや。何年振りかはわかるかもしれない」
僕はふと思い出して携帯の画面を出した。彼女と交流を始めてから日課が増えた。それは、毎日、学校で起きた出来事を記録して、気になった風景を撮影することだ。
きっかけは彼女が写真を趣味にしていると聞いて、自分も真似たいと思ったことにある。けれども、被写体なんて易々と見つかるものではない。1週間も経たぬ間に根を上げた僕に、彼女は毎日の風景を撮影することからだと助言をした。
僕は助言に従って、毎日かけた風景を撮影するようになった。毎日起きたことを記録するのもその一環だ。彼女がいなくなって、写真を見せる相手がいなくなって、撮影の習慣は消えたけれど、毎日の記録だけは今も続いている。
生活に彩や変化はないため、朝・昼・夜の食事と学校の授業の記録に過ぎないが、彼女を忘れないための縒りどころだった。その記録は、一日も絶やさず続けている。今日であの日から3025日。
「3025日?」
そのカウントに違和感を覚えた。これは紛れもなく僕の記録だ。けれども、そんなに記録があるのはおかしいのではないか? 僕は何年この学校に通っている?
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