第5話君が隣にいなくて驚いたよ。(ミゲル視点)
とりわけ美人という訳でもないマレンマを認識したのは、彼女の両親の葬儀の時だった。
「本日はお忙しい中お越し頂きありがとうございます。ミゲル・カスケード侯爵閣下」
凛とした表情で挨拶をしてきたマレンマの強いエメラルドの瞳に目を奪われた。
そして嫌な光景を目にした。
「モリアート子爵家の財産は全て娘のマレンマ・モリアートへ相続されるようですよ」
「エイドリアン、彼女と結婚なさい。莫大な財産が手に入るわよ」
「あんな地味女嫌だよ。腕なんて焼け焦げて爛れて化け物みたいだ」
葬儀の席だというのに、参列者の話題はモリアート子爵家の遺産の行方ばかりだった。
ふと、マレンマ・モリアートに目を向ける。
目を瞑ってひたすらに耐えているように見える彼女には、周囲の雑音が届いているように見えた。
彼女を傷つける全てのものから、彼女を守ってあげたいと初めての感情に囚われた。
「マレンマ・モリアート⋯⋯俺と結婚しよう。君に一目惚れしてしまったようだ」
気がつけば、彼女の両親の葬儀という似つかわしくない場でプロポーズをしていた。
「あのミゲル・カスケード侯爵閣下がついに身を固めるの?」
俺の場違いのプロポーズは聞き耳を立てていたその場を騒然とさせてしまった。それに散々浮き名を流してきて周囲の女は、常に俺に注目していた。
自分でもなぜこのような場で、衝動的にそのような事をしてしまったのか分からなかった。
「よろしくお願いします」
肩を震わせ、俺の胸に飛び込んできたマレンマは声を押し殺すように唇を噛みながら泣いていた。
彼女は一晩の火事で家族を失ったのだ。
とてつもない喪失感の中、どのような気持ちで場を仕切っていたのかを考えると胸が苦しくなった。
一生彼女を守ってあげたいと強く思った。
火事により彼女自身も腕に酷い火傷を負っていた。
貴族令嬢としては致命的である傷物と言える女を俺は妻にした。
彼女の喪が明けると同時に俺たちは結婚した。
「マレンマ?」
必死に俺に縋るマレンマに溺れた初夜の後、朝起きると彼女は隣にいなかった。
なんだか虚しい気持ちになりながら、ベッドから起き上がる。
執事に聞くと、彼女は朝食を済ませ執務室にいると聞いた。
(まだ、日も昇りきってないのに?)
執務室に入ると、俺の入室にも気が付かずマレンマが無表情で書類に目を通していた。
「マレンマ、おはよう。君が隣にいなくて驚いたよ。てっきり人攫いが忍び込んだのかと思った。あまり、心配を掛けないで欲しい」
彼女が隣にいなくて寂しくて虚しい気持ちになったとはプライドが許さなくて伝えられなかった。
「書き置きをするべきでしたね。今、カスケード侯爵家の財政について確認していたのです。向こう10年の収支報告を確認しましたが、数字が合いませんね。それと、この備品という項目⋯⋯具体的には何のことを示すのでしょうか」
数字が合わないというのは、おそらく使用人の誰かが金をくすねているのかもしれない。備品という項目で私用のものを購入している人間がいる可能性がある。そのようなものは俺にとってはさして重要ではなかった。
「カスケード侯爵家の仕事については、おいおい俺が教えていくよ。それよりも⋯⋯」
俺はマレンマと2人の時間が欲しかった。
2人で食事をしてベッドで愛を語り、取り留めもない時間を過ごしたかった。
彼女は話せば話す程、博学で会話もウィットに富んでいて面白い女だった。
やっと出会えた生涯を共にしたい女だと感じていた。
彼女は俺だけが見つけた原石だった。
彼女も確かに俺に恋する瞳を向けていたはずなのに、そのような時間は過ぎたようで今は仕事人間の男のように書類に向き合っている。
あの時、自分の心の内を正直に打ち明ければ良かったかもしれない。
それでも、女から縋られ求められることばかりになれた俺が自分に背を向けている女に縋る事などできなかった。
「大体把握しました。これは妻である私の仕事ですよね。カスケード侯爵閣下の手は煩わせません。過去の書類を見れば仕事内容は理解できるので大丈夫です」
柔らかな笑顔で俺を見るマレンマは俺への気持ちは冷めてしまったように見えた。
彼女は俺の自尊心を潰す為に生まれてきたような恐ろしい女だった。
地味で目立たないと思われたていた彼女は恐ろしく事務処理能力の高い女だった。一切の感情を挟まない合理的な判断に俺は不安になった。
彼女の両親が残したエメラルド鉱山まで売りに出してしまうのではないかと思い、俺は鉱山の所有権を自分名義に変更した。
毎晩のように彼女の部屋を訪れていたが、寝室を訪れた俺を見てため息をつかれたのは結婚1年後だった。
「ミゲル、ごめんなさい。今日は疲れているの。自分の部屋で寝てくれる?」
マレンマにそう言われた瞬間、頭の中が羞恥と怒りで沸騰するのが分かった。
(地味で火傷を負った傷物の女のくせに! この俺が妻にまでしてやったのに⋯⋯)
気がつけば、彼女に足りないものを咎めるように独身時代の女遊びを再開していた。
「ミゲル、リアナ嬢と浮気しているでしょう」
最初に彼女が俺の浮気に気づいて咎めてきた時は心が躍った。
仕事ばかりに目が向いた彼女の気を引けたような気がしたからだ。
「マレンマ、お前に子ができないから外で作らなきゃならないんだよ。この石女が!」
気がつけば、俺は彼女を1番傷つける言葉を吐いていた。
結婚して3年、彼女には子供ができなかった。
そのことで陰口を言われて彼女が傷ついていたことを知っていた。
彼女を傷つければ、俺の胸で顔を埋めて泣いた時が返ってくるような誤解をしていた。
「分かったわ。そういう事なら、仕方ないわね⋯⋯」
唇を震わせそう呟いた彼女は部屋に戻って行った。
追いかければ泣いていて俺に縋る彼女に会えたかもしれない。
それなのに、なぜだか俺はもっと彼女を傷つけたくなってしまった。
その後も俺は浮気を続けた。
マレンマとは違って、女を武器にするような女性を選んでいる自覚はあった。
そのような女を浮気相手に選ぶ事で、彼女を傷つけられる確信があったからだ。
女を売りにする娼婦のエミリアは本当に彼女とは真逆の女だった。
マレンマが俺とエミリアをくっつけようとしている事に気がついていた。
それは彼女が俺と本気で別れようとしているということだ。
これ見よがしに彼女は俺を名前で呼ぶことをやめ、他人行儀に振る舞うようになった。
(俺の気を引く為のポーズじゃない⋯⋯そのような遠回りはしない女だ)
「えっ? 部屋にいない? では、どこに?」
俺はマレンマに今の気持ちを伝えたくて彼女の部屋を訪れたが彼女はいなかった。
「分かりません。奥様は気がつけば姿を消していて」
俺は彼女が2度と帰ってこないのではないかという恐怖に襲われた。
「ミゲルー! どうしたの? 早くベッドに行きましょう」
マレンマの部屋で立ち尽くす俺にエミリアが縋ってくる。
俺は思わず彼女の手を振り払った。
大袈裟なまでに床に尻餅をついたエミリアが俺を一瞬睨みつけた後、微笑んだ。
「お腹の赤ちゃんが痛いって、泣いているよー。実は本当に妊娠しているみたいなの。あなたの子⋯⋯」
腹を撫でながら勝ち誇るエミリアにゾッとした。
気をつけていたから、彼女が妊娠しているとは考え難い。
それでも、もし本当に彼女が妊娠していたら産まれた赤子の髪や瞳の色を見るまで僕の子ではないと証明するのが難しい。
「だったら、部屋で安静にしてろよ」
俺はそう言い捨てるとカスケード侯爵邸を飛び出した。
娼婦に過ぎないエミリアが妊娠を仄めかしてきたのは、マレンマが知恵を授けたせいだ。
マレンマは急に恐ろしく魅惑的な女になった。
知性はあるが外見は地味で人目を惹かない彼女は、魅力を隠した俺だけの蕾だった。
それが、どうした事が開花してしまったようだ。
仕草、振る舞い、表情1つとっても、以前とは全く違う。
他の女など目に入らないくらい、目が彼女を追ってしまう。
今のマレンマなら、俺以外の人間も彼女の魅力に気がつくだろう。
浮気などしている場合ではない。
俺たち男は美しい花に群がるミツバチだ。
彼女の蜜は甘過ぎる。
俺はマレンマを取り戻す為に、行方の分からない彼女を探しに外に飛び出した。
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