第6話もう、会わなくてよい? 

 リオダール帝国にある夜の平民街に出るのは初めてだった。


 街を歩いている人を振り返っても貴族令嬢やご婦人はいない。

 歩いているのは平民の男性ばかりだ。

 

 夜風が顔をくすぐり、少し生温いが気持ち良い。

 どの店に入って飲もうかと物色しつつ、私は散策を楽しんだ。


 ふと手首を掴まれ、路地裏に連れ込まれたのが分かった。


「姉ちゃん、いくらだよ。いくらでやれるの?」


 気持ちの悪い小太りの醜男の言葉にため息をついた。  

 ボサボサの髪に疲れた顔をした男は、私を商売女だと勘違いしたのだろう。


 私はパンツルックに白いシャツを着た、さっぱりした格好をしている。

 決して売春婦と間違われるような服装ではない。

 しかし、確かに夜の街には男と客引きの商売女しかいなかった。

 

 私が目の前の醜男を追い払おうと口を開こうとすると、黒いポンチョを被った茶髪に茶色の瞳をした青年が醜男の手首を捻った。


「その女性から離れろ」

 青年の威圧感に醜男は舌打ちをしながら去っていった。


「助けて頂きありがとうございます」

 頭を下げて、見上げた時、青年と目が合う。

(あれ、この方って⋯⋯)


「このような夜遅くに女性の1人歩きは感心しないな。家まで送らせてもらおう」

「それはお断りします。実は飲み友だちが欲しくて出てきたのです。助けて頂いたお礼にご馳走するので付き合ってください」


 私の申し出に明らかに戸惑った青年の手を握り、私は近くの酒場に入った。


 酒場は、程よく空いていて私たちはカウンター席に座った。


「私はマティーニで、隣の方には葡萄ジュースを」

「葡萄ジュースって? 飲めないのかよ、兄ちゃん」

 店主は笑いながらオーダーを受けてくれた。


「飲んではダメですよ。未成年なんだから、お酒は半年後に成人してからです」

「えっ? なんで⋯⋯」

「殿下⋯⋯人を形成するものは外見だけではありませんから」


 私が耳元で囁いた言葉に、正体を見破られたアラン皇太子は顔を赤くした。

 魔法で姿を変えているのだろうが、彼の特段の高貴さや持っている柔らかな雰囲気は隠せるものではない。


「正体が見破られたから、焦らなくてはいけないのに嬉しいな⋯⋯」

 伏せた目でつぶやく殿下をなぜか愛おしく感じた。


 彼がなぜ姿を変えてまで、このような所にいたのかは分からない。

 誠実だと評判の彼だから、おそらくお忍びで遊びに来たのではないだろう。

(自ら姿を隠してまで調査をしている機密事項がありそうね⋯⋯)


 彼がここにいる理由を詮索する事はやめた。

 そのような事をするよりも、今はこの偶然の出会いを楽しみたいと思った。


「あら?」

 私はマティーニを頼んだのに、目の前に置かれたのは琥珀色のマンハッタンだ。

「あちらの方からです」

 店主の視線を辿ると、いかにも遊び人の男がいて私に手を振っていた。


「殿下、店を出ましょうか」

 私は殿下の耳元で囁き、チップを置いて店を出た。


「あの男とカスケード侯爵夫人は⋯⋯」

「初対面です。今日は殿下の言う通り帰ることにしました」


 私はチャラチャラした格好をしていたつもりはないが、夜遅くに出歩くだけで軽い女だと見られたようだ。

(私が飲みたいとも言っていない酒を薦めてくる男とは話さないわ)


「そうなのか⋯⋯カスケード侯爵邸まで送っていくよ」


 殿下は近くに馬車を停めていて私をエスコートして乗せた。

 馬車で殿下と2人きりになる。

 皇室の馬車のソファーはふかふかで、座った瞬間に体が沈み込んで快適だった。


 なぜだか、向かいではなく隣に座った彼と距離が近い。


「殿下、魔法を解いてください。ここには私しかいません」

「分かった⋯⋯」


 目の前で変身魔法が解けて、私の好きな殿下の紫色の瞳に出会えた。


「殿下、今、何か悩んでますか?」


 私を見つめる紫色の瞳がなぜか揺れていて、おせっかいな事を聞いてしまった。


「悩みのない時などないかな⋯⋯今は婚約者指名のことが1番の悩みどころだ。母上は僕の好きな相手を選べと言うけれど、それは建前だ」


 自嘲的に笑う彼は自分に自由がないと思っているのだろう。


「建前でしょうか⋯⋯それはアレクサンドラ皇帝陛下の心からの願いだと思います」


 アレクサンドラ皇帝は元レケルバの王女で、両国の友好関係の為に第2皇妃として嫁いだ。

 黒髪に赤い瞳をした彼女は血も涙もない冷血の女と呼ばれた。

 

 皇后も第1皇妃が産んだ子も成人を待たずに原因不明に死んだ。

 それなのに彼女の子であるアラン殿下だけ存命で彼が皇太子となった。

 

 誰もが皇妃アレクサンドラが子を殺しているのではないかと疑った。

 皇帝さえも彼女を疑っていて2人の仲は冷え切っていると噂された。

 

 彼女の立場は針の筵だが、アラン皇太子殿下は唯一の皇位継承権を持つ子として大切にされた。

 アラン皇太子殿下が16歳の時に、先皇陛下が崩御し彼女はアラン殿下の成人までの期間限定で皇位を継いだ。


 彼女の瞳は彼女が殺してきた人間の血の色だと今でも陰口を言う人がいる。


 確かな証拠はないが、もしかしたら彼女は本当に疑いの通りに殺しをしてきた人間なのかもしれない。


「アレクサンドラ皇帝陛下はアラン皇太子殿下の生まれた瞬間から殿下に全てを捧げています」


 私は気がつけばアラン皇太子殿下の髪に手を通していた。

 アラン皇太子が私の目をじっと見つめている。


(本当に綺麗で澄んだ瞳⋯⋯)


 この澄んだ瞳を守る為なら何でもしてしまう気がする。

 それが、彼の母親なら尚更だ。


 ルケルバ王国は当時、リオダール帝国と敵対関係だった。

 その関係改善の為に嫁入りしたのがアレクサンドラ・ルケルバ姫だ。


 嫁入りした時から厳しい環境だっただろう彼女は、今はリオダール帝国の皇帝にまでなった。


 おそらく全ては息子であるアラン皇太子の為だ。

 自分が矢面に立ち批判を浴び、愛する息子を守り抜き皇位につかせようと動いたのだ。


 私は前世での初めの結婚を思い出していた。


 大学時代の同級生との結婚は、私が多忙である為に彼の実家の両親と同居生活から始まった。


 子が生まれて仕事も絶好調でうまく言ってると思っていたのに、ある日離婚を言い渡された。


 確かに仕事で忙しくて息子の隼人は義理の母親に預けっぱなしだった。

 でも、一緒にいる時は全力で愛情を注いできた。


「そんなに仕事が好きなら、仕事だけしてろよ。君は母親に向いてない。子供が可哀想だ」


 愛した夫は私と別れる事を既に決めていって、疲れ切った顔をしていた。

 確かに子供の寝顔を見るだけの生活だった。


 私は他の誰より隼人を愛していた。

 仕事で辛いことがあっては隼人の写真を見て気を取り直していた。

 

 夫に親権をとられても、隼人との面会の時を楽しみにしていた。


「もう、会わなくてよい? 父さんも再婚したしさ。俺も面倒なんだよ。プレゼントとか毎回用意して買収でもしているつもり?」


 隼人が14歳の時に息子とデートと浮かれて水族館に連れて行った時かけられた言葉は忘れられない。


 隼人が何が欲しいか、何をしたいか毎日のように考えていた。私が彼のためにと思っていたのは迷惑でしかい自己満足だった。


「泣かないで、マレンマ⋯⋯」


 過去を回想していたら突然現実に戻された。

 無意識に頬を伝った私の涙をアラン皇太子が唇で吸っている。


「おやめください!」

「すまない。不快だったよな。突然、カスケード夫人の名前を呼んだりして。どうかしていた⋯⋯」

 気がつけば私はアラン皇太子に抱き込まれていた。

 彼は私の予想外のことばかりして、目が離せない男だった。

 

 



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