第3話離婚したいのか?(アラン視点)
今日は朝早くから定例の貴族会議があった。
母が公式行事である儀典に参加していて貴族会議に出席しないのを良い事に、いつの間にやら議題は僕の結婚相手へとうつっていた。
最近の貴族たちの興味は誰が次期皇后になるかだ。
それにより貴族たちの力関係は大きく変わる。
皆自分の派閥から皇后を出したいと躍起だ。
「アラン皇太子殿下! レオナ・アーデン公爵令嬢を次期皇后として、ルトアニア王国の王女と聖女の力を持つマリア・ルミナス男爵令嬢を次期皇妃にするのが宜しいかと思います」
発言したのは貴族派のレスター・ケンタス伯爵。
おそらく、同じく貴族派であるキリアン・アーデン公爵にそのように発言するように促されたのだろう。
自分の言葉ではない言葉を堂々とマリオネットのように話す姿にため息が出る。
「アレクサンドラ皇帝陛下は僕に好きな相手と結婚するようにと言ったぞ。どうして今日の貴族会議の議題は僕の結婚相手についてなんだ? そのような事柄をそなたたちが議論するのはおこがましいぞ」
半年後には決定する僕の生涯の伴侶。
はっきり言って当事者である僕が1番興味がない。
女など皆同じで、僕の顔色を窺いご機嫌をとるばかりでつまらない。
リオダール帝国の害にならず発展に役たつ相手を選べれば十分だ。
母が僕に好きな相手を婚約者に選べと言ったのも建前だ。
リオダール帝国のことを第1に考えて相手を選べと言うのが本音だろう。
1人になって考えたくて、いつも人気のない皇宮の図書館に足が向いた。
窓際の席、見慣れない人物がいるのに気が付く。
濃紺の髪にエメラルドの瞳⋯⋯確か彼女はマレンマ・カスケード侯爵夫人だ。
リオダール帝国建国以来の美貌を持つと騒がれたミゲル・カスケード侯爵が目立たない彼女と結婚した時にはちょっとした話題になった。
それは当時、10歳の僕の耳にまで届いた。
彼女はブツブツ何かを言いながら帝国法の分厚い本を開き、何かを凄いスピードで書いている。
そっと近づいて彼女の手元を覗くと、リオダール帝国の問題点を書き出していた。
耳元にスッと髪をかける彼女のゆっくりした仕草に見惚れた。本を捲る指の先の動きまで艶かしくて目が離せない。
(このような綺麗な方だっただろうか⋯⋯)
彼女はミゲル・カスケード侯爵の相手としては身分差もある上に地味過ぎると言われていた。しかし、なぜだか今、僕は彼女に目を奪われている。
不意に彼女と会話したい衝動に駆られ声をかけた。
すると彼女が流し目で僕の方を見てきて、その色っぽさに心臓が跳ねる。
彼女とゆっくり話をする為に僕は彼女を自分の執務室に招いた。
気がつけば彼女を茶色の革張りのソファーに座らせ、隣に寄り添うように自分が座った。
彼女と少しでも近づきたくて、向かいではなく隣に座った自分に笑ってしまう。
「紅茶でも淹れさせようか?」
「いいえ結構です。私は皇太子殿下に失礼な意見を述べにきました。腹が立ったら無礼だと追い返してくださいね」
彼女の口元を見ると口角が上がり楽しそうに微笑んでいる。
薄ピンク色をした唇に見惚れていた自分が何だか恥ずかしかった。
皇太子である僕に対して堂々としている彼女が、次に何を言い出すのか楽しみで仕方がない。
彼女とまともに話すのは初めてだが、このような魅力的な方だとは思っても見なかった。
「単刀直入に言わせてください。帝国法ですが、やはり男性が考えてたものですね。特に離縁についてです。当然のように家の仕事は夫人のものとされるのに離縁したら財産が妻に分配されません。家への貢献が評価されないのは不公平です」
突然何を言い出すのかと思えば、彼女は帝国法の離婚についての項目について異議を唱えてきた。
「家への貢献⋯⋯」
「アラン皇太子殿下、サルボラ地方の豪雨被害、ルトアニア王国との問題など考えることが沢山あることは分かっています。しかし、今の私にとって重要なのは離婚問題なのです。殿下が守るべき帝国民の1人である私の為に法を改正してみませんか?」
急に目を細めて優しく微笑みながら伝えてくる彼女の言葉はめちゃくちゃだ。自分の為に帝国法を改正しろと言っている。
誰もが僕の前で気遣いある慈悲深い女のふりをしながら、強かな面を隠す。
彼女は明らかに他の女とは違っていた。
自分の要求を曝け出して、それでも僕が拒否しないという自信があるように見えた。
「離婚したいのか? あのミゲル・カスケード侯爵と⋯⋯」
「その通りです、殿下! 彼からとるものを取って離婚したいと思います。私は自由を勝ち取ります。あのような場所にいたら自分が勿体無いですから」
彼女は帝国一の美しく裕福な男と結婚したラッキーな女だと言われていた。
それなのに、今、彼女は夫といると自分が勿体無いと言っている。
強く輝くエメラルドの瞳を見ていると、確かに彼女のいう通りだと思わされてしまう。
「まあ、法改正はリオダール帝国の未来に生きる女性の為ですね。実現したとしても、1年以上は議論しそうですし⋯⋯。私は3ヶ月以内に離婚しますよ。時は金なり。愛の終わった相手と過ごす生活はお終いにします。こちらは私の意見書です。お手隙の時でもご覧ください」
彼女はそういうと持っていた書類を僕に渡してきた。
立ち上がって去ろうとした彼女を見て、思わず焦ってしまう。
(まだ、話したい! 一緒にいたい)
「その⋯⋯僕の話も聞いてもらえないだろうか?」
「もちろんです」
彼女はまたゆっくりとソファーに深く腰かけてくれた。
僕の話を聞こうとする彼女の姿勢に嬉しくなる。
背筋がスッと伸びて、まっすぐ僕を見つめてくるエメラルドの瞳が美しい。
「実は、半年後に婚約者指名をしなくてはならないのだ。帝国内の有力貴族、平民人気を取るために聖女、関係改善の為にルトアニアの王女など候補が挙がっているがどうしたものかと⋯⋯」
大して悩んでないのに、彼女との会話のネタに提供したのは僕の婚約者指名の話だった。
「アラン皇太子殿下はその中のどなたにも興味がないのですね」
言い当てられた本心に心臓が跳ねる。
「どうしてそう思うのだ?」
「迷われているからです。この人だと思って結婚しても上手くいかない事もあります。迷われているのならば、婚約をしない選択をしても良いと思います。縁は結ぶより、解く方が手間が掛かります。良かれと思った相手が10年後もそうであるかは分かりませんから飛び込んでみるの良いかもしれません。全ては殿下の選択です」
周囲からせがまれて先延ばしにしてきた婚約についてそのように言われるとは予想外だった。僕の選択に委ねると母が言っても建前だと片付けたのに、彼女の言葉は僕の心に届く。
そして、彼女の言うことは当たっている。結んだ関係が10年後に足枷になる事だって十分ある。
ふと、彼女のエメラルドの瞳が僅かに潤んでいる気がして気になった。先程までは流した前髪に隠れて見えなかったが、よく見ると額にはできたばかりの痛々しい傷痕がある。
気がつけば、僕はそっと彼女の傷痕に触れていた。
一瞬、余裕な顔をしていた彼女のまつ毛が揺れてビクついたのが分かった。
(不躾に触れてしまった⋯⋯でも、手が吸い付いて離れようとしない⋯⋯)
「その傷はどうしたのだ?」
「夫からの暴力によるものです。このような目にあっても離婚できません」
気がつけば僕は傷跡をそっと撫でながら、彼女の瞳をじっと見つめていた。
ふと視線を逸らされて、彼女の視線の先を追いかけると窓の外の空は燃えるように赤く染まっている。
先程まで強く見えた彼女が弱々しく見えて、守ってあげたい衝動に駆られた。
(離婚⋯⋯させてあげたい⋯⋯)
思わず抱き寄せようとしてしまった時に、彼女はスッと僕から離れた。
「では、失礼します」
彼女は立ち上がると颯爽と去っていった。
僕はその後ろ姿の残像をしばらく見つめていた。
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