第2話き、綺麗な男の子だ⋯⋯ツルツルだ⋯⋯。

「離婚? ここを出てどうするつもりだ? マレンマ⋯⋯」


 不敵な笑みを浮かべながら、私の髪で遊び始めるミゲルが悪魔に見えた。

 しかし、彼の言う通りだ。


 私は、モリアート子爵家の1人娘だった。

 両親は子爵邸で起こった火事により他界。


 当時、19歳だった私を助けるように現れた王子様がミゲルだった。

 彼の目当ては私が受け継いだモリアート子爵家の遺産だ。


 モリアート子爵家は領地にエメラルド鉱山を持っていて非常に裕福だった。

 その財産は結婚相手のカスケード家がごっそりくすねていった。


 私は無知な女だった。


 結婚するのだから、財産は共有するのが当たり前だと思っていた。  

 そして、他の貴族令嬢と同じように結婚したら家を切り盛りするのが仕事だと思っていた。


 いわゆる専業主婦だ。

 1番離婚し辛い我慢を強いられる辛い立場だ。


「それでも、離婚してください」

 私は深呼吸すると彼に訴えた。


 一瞬、彼がに怯んだのが分かった。

 リオダール帝国では離婚しても、財産分与もない。

 財産が夫婦の共有財産として見做されていないのだ。

 

 不倫もDVも離婚する理由にならないリオダール帝国。


 もし、ここが日本であれば私は額の傷の診断書をとり、彼の寝室で寝ている浮気相手を叩き起こして不貞の証拠を記録する。

 しかし、男尊女卑の極みであるリオダール帝国ではそれらの行動は無意味だ。


 夫の同意がなければ離婚は成立しない。


「遊びだよ、遊び⋯⋯本当に愛しているのは君だよ。マレンマ」


 私の髪を1束とり、口付けて微笑む彼は嘘をついている。

 どうやら私と離婚すると彼にとってマイナスな事があるようだ。


 私も少し頭を冷やした方が良いかもしれない。

 この世界でマレンマ・カスケードは職歴もなければ、身内も亡くなっている。

 離婚するにしても、今のままでは見ぐるみ剥がされてカスケード侯爵邸を追い出されるだけだ。

 

「遊びー? 酷いわ。奥さんには興味ない。愛しているのは私だけだって言ったじゃない」

「エミリア⋯⋯」


 どのような女を邸宅に泊めたのかと思えば、明らかに貴族令嬢ではない。

 乱れた髪にバスローブ姿で甘ったるい声をあげながら、寝室から出てきた彼女は見るからに商売女だ。


 赤いロングヘアーをかきあげながら、自分には私にない色気があるのだと見せびらかすように近づいてくる。


「もしかして、エミリア様は娼婦でいらっしゃいますか?」

「私の仕事をバカにしてるみたいだけど、カスケード侯爵夫人⋯⋯あなたの方がずっと惨めよ。夫人も少しは私みたいに男を楽しませられるようになれば?」


 妻が侮辱されていると言うのに、ミゲルは黙っていた。

 むしろ、エミリアの言葉に少し笑っているようにさえ見える。

 

 どうやら、ミゲルの今の不倫相手は娼婦のようだ。


 世間体を考えて彼女を妻にする事は難しいのだろう。

 そして、明らかに夜の相手はできても、彼女にこの侯爵邸の管理ができるとは思えない。

 (言葉の通り遊びね⋯⋯私を侮辱する最低の遊び⋯⋯)


 前世の記憶を取り戻す前の私なら彼女の言葉に落ち込んでいた。

 自分自身に問題があると考え自分を変える努力をし、ミゲルの不快な行動に対しては我慢していただろう。


 しかし、今は空っぽの癖にイキがっている彼女を憐れみの目で見る余裕を持てている。そして、私は彼女を最大限に利用させてもらう。


 不倫する男はもれなくクズなのに、不倫相手の女は妻に勝ったという優越感だけでそれに気づけない。


 彼女にミゲルを押し付け私は自由になる。


 今の私は彼女の存在も、私を尊重しないミゲルも許せない。


 私は浮気を許さないし、我慢もしない。

 そして、上手に離婚する術を知っている。


「エミリア様、貴方様は主人の大事なお客様ですもの。どうぞ、心ゆくまでここでゆっくりしてくださいな」


 私は柔らかな笑みを作り、彼女に貴族らしい挨拶をして見せた。

 私の対応にミゲルが驚いているのが分かる。

 

「カスケード侯爵閣下、私が至らないところを彼女で埋めていたのですね。今後も彼女の活躍に期待したいですわ。きっと、跡取りも彼女が産んでくれる事でしょう」

「なっ」


 あえて彼を爵位で呼び、他人行儀な口調を使った。

 私が本気で彼と他人になる覚悟をしていることを伝える為だ。

 私は一礼をして、邸宅を出た。

 ミゲルが後ろから私を引き止めようと声を掛けているが無視をした。


 彼も私が石女である事を理由に浮気をしていたが、実際に娼婦に跡取りを生まれては困るのだろう。


 今の私の発言はミゲルではなく、エミリアに聞かせたものだ。


 野心の隠しきれない彼女の燃えるような赤い瞳と、貴族である私への発言で確信した。

彼女は隙あらば私にとって代わりカスケード侯爵夫人の座におさまりたいと思っている。

 


 そして、ミゲルが女を邸宅に泊めたのは彼女が初めてだ。

 私と揉めるのが分かってて、そのような事をしたのは彼女から強く請われたのだ。 

 女性に強く出られれば、外面だけは良い彼は断れない。


 きっと彼女は私の発言からミゲルとの間に子ができれば、自分が侯爵夫人になれると思っただろう。


 私が邸宅を出てまず赴いたのは皇宮だ。


 立法、行政、司法、全てがこの皇宮で、貴族の男たちによって取り決めがなされている。


 そして、リオダール帝国の法律を変えることで私は自分が少しでも離婚に有利になるようにしようと思っていた。


 アレクサンドラ皇帝に謁見申請をしたが、予定が立て込んでて2週間は待たなければならないと言われた。


 私は帝国貴族なら使用可能な皇宮の図書館で皇帝陛下に提案する法案を作成した。


 窓際の席に座り、ひたすらに帝国法の問題点を洗い出す。


 この帝国の法律は貴族会議によって決められる。

 貴族会議はリオダール帝国の伯爵以上の貴族が主に出席する。


 侯爵夫人でしかない私に参加する権限はない。

 私が帝国の法律について意見するのであれば、アレクサンドラ皇帝に直々にお会いするしかない。


「帝国法⋯⋯最悪だわ⋯⋯」

「どのようなところが最悪?」


 少し低めの柔らかい声に顔をあげると、澄んだ紫色の瞳と目が合った。

 このリオダール帝国に暮らす人間なら誰でも知っている。


 彼は帝国で皇位継承権を唯一持っている皇太子アラン・リオダールだ。


 初めて見たけれどサラサラの黒髪に陶磁器のような白い肌をしている。紫色の瞳は澄んでいて宝石のように日の光を吸い込みキラキラしていた。

(き、綺麗な男の子だ⋯⋯ツルツルだ⋯⋯)


 真っ白な礼服姿が、レフ板のようになってより彼を輝かせている。


 前世から面食いである自覚は合った。

 そして、面食いであるが故に中身を見る前に外見で惚れて自爆してきた自覚もある。


「アラン皇太子殿下に、マレンマ・カスケードがお目に掛かります」

「成程、カスケード侯爵夫人からすると帝国法は問題点ばかりなんだね」


 私が帝国法の問題点を論った紙を手に取って読んでいるアラン皇太子を見て一瞬焦った。


 しかし、今、彼と話せる好機を逃さない方が良いかもしれない。


 崩御された先皇陛下に代わり、現在彼の母親であるアレクサンドラ・リオダールが女皇帝として帝国を治めている。


 それはあと半年後にアラン皇太子が18歳になり、成人するまで期間限定の話だ。

 半年後にこのリオダール帝国の頂点に君臨し、多くの裁量を現在も持っている彼に意見できる機会は逃すべきではない。


「はい! 宜しければ、アラン皇太子殿下にお聞き頂きたい事がございます」

「帝国法に問題点があることは、否定しないんだね。場所を変えようか話を聞くよ」


 優雅な所作で差し出された彼の手に手を重ねた瞬間、柔らかく微笑んだ彼に見惚れてしまった。

 




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