愛の終わりを知っています

専業プウタ

第1話マレンマ・カスケードは地味顔で色気もない。

 暗闇に真っ白に浮かび上がる皇宮。


 荘厳なオーケストラの演奏が流れる夢のような時間。でも、今、私には自分の胸の鼓動しか聞こえない。舞踏会会場から飛び出し、私は今ひたすらに逃げ回っていた。


 黒髪にアメシストのような澄んだ瞳をした帝国の皇太子アラン・リオダールは本日の主役だというのに舞踏会会場を飛び出して私を追いかけて来た。


 今日は彼の18歳の誕生日で婚約者指名が行われ、明日は彼が皇位を継ぐ戴冠式が予定されている。


 風で纏めていた髪が解け、濃紺の夜空のような髪がなびく。地面に落ちたエメラルドのついた髪飾りを拾おうとすると彼に手首を捕まれた。


 アラン皇太子がが私の実家の領地であるモリアート子爵領の鉱山で採れたエメラルドでオーダーメイドで作ってくれた髪飾りだ。

 彼からのプレゼントを身につけて今日の場に来ることに迷いがない訳ではなかった。


 それでも私は商品の宣伝になるからと自分に言い訳して、この髪飾りを身につけてきた。

 

「マレンマ! 待ってくれ! 怒っているのか?」


 私は怒ってなどいなくて困惑していた。

 私は28歳で、離婚が成立したばかりのバツイチだ。


 アラン・リオダールの婚約者指名で、誰もがレオナ・アーデン公爵令嬢を指名すると思っていたのに彼は私を指名した。


 会場中がどよめきに包まれる中、私は居た堪れず外に飛び出したのだ。


 20歳でミゲル・カスケード結婚した私は8年間子供ができなかった。

 

 私は嫁いだカスケード伯爵家で居場所がなかった。

 夫であるミゲルは私に子供ができない事を理由に浮気三昧だった。


 そして浮気を指摘をすれば石女を妻にしたのだから、外で子供を作るしかないと侮辱された。


 そのような地獄の日々から抜け出せたのは、私が前世の記憶を思い出したからだ。


 前世で私は主に離婚案件を主に扱う弁護士だった。


 そして、前世で私が学んだことは愛には終わりがあるということだ。


 前世の私自身もバツ3で、離婚の際に親権を取られるという痛い経験をしていた。


 前世での経験を生かしても、男尊女卑が根付くリオダール帝国で私が離婚することは容易ではなかった。


「どうして僕を避けるのだ? 確かに2ヶ月前、僕とそなたは心を交わし合ったではないか」


 結局、アラン皇太子に追いつかれてしまって手首を掴まれる。


 離婚が成立し私はカスケード侯爵邸を出た。

 実家が全焼している為、ホテル暮らしをして家を探していた。

 もう、1人で人生を送る決意をしていた私に彼は熱い愛の告白をした。


 17歳の男の子の真っ直ぐな告白に私は撃ち抜かれた。

 私自身も恥ずかしい事に10歳以上も歳下の彼に惹かれていた事を認めざる得なくなった。


 そして、皇太子である彼から求められれば受け入れなくてはならないと自分に言い訳した。その際、彼と1度だけ関係を持ってしまったのだ。


(感情に流されるのがどれ程愚かなことか学んだはずなのに⋯⋯)


 この2ヶ月間、彼とのことは思い出にしようと決心して彼を避け続けた。

 他の女と結婚するだろう男のことは忘れないと辛くなるからだ。

 まさか、彼が私との結婚を考えているなんて思ってもみなかった。

 

 私よりも背が高い彼の顔を見上げると満天の星空が広がっていた。


 星の数のように多くの女を選択肢を持つ彼がなぜ年増のバツイチに引っかかってしまったのかを哀れんだ。


「アラン皇太子殿下、一時の感情に流されないでください! 周りの反応を見ましたか? アレクサンドラ皇帝陛下も私との婚約なんてお許しにならないでしょう」


「母上はそなたの事を気に入っている!」

「それは仕事上での話ですよね」


 アラン皇太子の透き通った紫色の瞳が揺れている。

 彼だって私が次期皇帝の妃に相応しくないと分かっているはずだ。


 彼の母親であるアレクサンドラ皇帝は私を行政部に取り立て仕事を与えてくれた。私は彼女に対して非常に恩義を感じている。彼女に溺愛する息子に手を出したと知られたら、殺される気がする。


 前世でバツ3だった私はおそらく結婚にも向いていないだろう。それ以前に、石女な上にバツイチの女を次期皇帝の妃だなんてありえない。


「母上は僕が説得する。僕はそなたと、このリオダール帝国を変えていきたいんだ。僕の隣にいるのはそなたしか考えられない」


 真っ直ぐに見つめてくる紫色の瞳から必死に目を逸らした。


 周囲を見ると私たちのやり取りを見に人が集まって来ている。

(もう、これ以上見せ物になるのは嫌!)


「アラン皇太子殿下、1度寝たくらいで私の男みたいな顔をしないでください⋯⋯アレクサンドラ皇帝陛下から以前に殿下の閨の指南役を頼まれたのを思い出し実行しただけですから⋯⋯」


 私が耳元で囁いた言葉にアラン皇太子が一瞬固まるのがわかった。


 アレクサンドラ皇帝から冗談めかして、アラン皇太子の閨の指南役を頼まれたのは本当の事だ。

 私は嘘に本当の事を混ぜて、彼を騙すことにした。


 私より身分が上である彼に対する言い方としては不適当だが、今はアラン皇太子を引き剥がした方が良い。


 尻軽で最低の年増女だと見做されて、彼が離れていけば良い。


 彼の為にも自分の為にも、それが良いと思ったはずなのに胸が苦しい。


 手首の拘束が緩くなるのを感じ、急いで彼から離れようとした時めまいがして地面が近づいてくるのがわかった。


 最近、貧血のようなめまいが良くする。


 好物の肉を前にしても、ムカムカして食欲が湧かず吐き気までする。


 なんだか前世でも同じような症状があった、あれは確か妊娠した時だ。


 遠くに私を呼ぶアラン皇太子の声を聞いたと同時に私は意識を手放した。


♢♢♢


 半年前、夫のミゲル・カスケードが不倫相手を邸宅に泊めた。


 外で浮気しているのは分かっていたが、引け目があり目を瞑っていた。

 しかし、自宅不倫はカスケード侯爵邸の女主人である私を侮辱する行為だ。


「ミゲル! 今まであなたの度重なる浮気を我慢して来たけれど、いくらなんでもこれは酷いわ!」


「浮気? 俺は子供も産めない出来損ないのお前の為に他で子作りして来てるんだよ。名門カスケード侯爵家の跡取りが必要だからな」


 運命の王子様だと思ったミゲル・カスケードは分かりやすいクズだった。

 下半身の管理もできないのに浮気するのを私のせいにする。


 彼の私を軽視する振る舞いのせいで、私はこのカスケード侯爵邸でメイドにまで軽んじられてきた。


 初めて彼を見た時はその美しさに見惚れた。まるで、御伽話の絵本から飛び出してきた金髪碧眼の王子様のような見た目をしていたからだ。


 両親の葬儀でどん底にいた私に手を差し伸べた彼はもういない。

 それなのに過去の幻影に囚われ、8年もクズ男の妻でいた自分をぶん殴りたい。


 結婚前に彼が女好きな噂を風の便りで知っていたのに、美しい花に蜜蜂がたかるものとしか思ってなかった。


 私は彼の見た目に恋してしまっていて、正常な判断ができていなかった。

 恋とは夢、結婚は現実だ。

 

「それでも最低限のルールは守って隠そうとしてよ。邸宅に不倫相手を連れ込むなんてありえないわ」


 私が思わず叫んだ本音に彼は平手打ちを返してきた。

 

 彼の平手打ちの威力はなかなかのもので、私は調度品の花瓶に衝突した。


 花瓶が割れて額に破片が刺さったようだ。流れる血が鼻の頭を伝っているのが分かる。

 口元まできたその血を舐めた時に前世の記憶が一気に蘇った。


 渉外弁護士として多忙過ぎてシャワーを浴びるだけに家に帰っていた1度目の結婚生活。夫より離婚を言い渡された時、養育実績がなく息子の隼人の親権をとられた苦い記憶。

 

 その後、過労を極め体を壊し、町弁に転職し給与は半分以下になった。

 私は人間らしい生活をしながら、離婚を主に扱うその事務所で様々な案件に触れた。


 2番目の夫は行きつけのバーのバーテンダー。息をするように浮気する男で、私から離婚を切り出した。


 バツ2になると、周囲は私に性格上の問題があると噂するようになった。私自身も自分は結婚に向いてないと思うようになっていた。


 それでも3度目の結婚をしてしまったのは、腰痛で訪れた整形外科で一目惚れをしてしまったからだ。


 相手は歳下の整形外科医で、彼の両親は私との結婚に猛反対だった。恋の盛り上がりのままに結婚したが、彼のナースとの浮気が発覚。


 慰謝料をガッツリ取り離婚した時は、彼の両親から泥棒扱いされた。


 3度目の結婚をしたのは43歳の時だった。

 そして、2年で離婚した。


 私が3度も結婚したのは自立した美人だったからだろう。

 昔から私は恋人が途切れた事がなく、燃え上がる恋愛をしてきた。


 一瞬で燃え上がる炎は消えるのも早い。

 結婚は一瞬ではなく継続だ。


 そして美しさは老化と共に一気に失われる。

 美しい花に寄ってきた蜜蜂たちも、花が枯れると共に見向きもしなくなった。


 マレンマ・カスケードは地味顔で色気もない。

 客観的に見て女としての魅力はゼロに等しい。


 このような見た目である事は実はラッキーかもしれない。余計な虫も寄ってこず、自分のことに集中できそうだ。


「ミゲル! 私と離婚して。もう、あなたにはうんざりよ」


 私は慰謝料をガッツリもらい財産分与をして離婚しようと決意した。

 私が言った言葉を彼は馬鹿にしたように笑った。



 


 


 

 

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