第18話 一人、朝チュン
朝の光がカーテン越しにやさしく降り注ぐ。
「んっ……うーん」
眠そうな声を上げ上体を起こす人物。その人物は、ゆっくり両腕を上げ、伸びをする。
続けて、今度は軽く首を回した。
しきりに首と肩を気にする人物――それは想真である。
昨夜、慣れ親しんだ自分のベッドではなくリビングのソファーで寝たため、想真は首と肩に若干違和感を覚えていた。
「ふぁ~~」
大きな欠伸を一つして立ち上がると、何かがするりと落ちた。見ると床には薄手のタオルケットが一枚。昨夜、寝るときには無かった代物である。
それを漫然と拾い上げ、ソファーへと投げる。タオルケットがなぜ、そこにあるかについては考えを巡らせず……
そして、ただただ眠そうにキッチンへと向かった。
指定席に座り、寝ぼけ眼で壁に掛かった時計を見る。時間は七時二分、いつもより大分早い。時計を確認する間、想真はしきりに二の腕あたりを反対の手で摩る。
すると――
「――あんなところで半袖、反パンで寝ていたら、寒いに決まっているでしょう。もうすぐ六月だからって油断していると、そのうち風邪をひくわよ!」
声の主は、キッチンカウンターで想真の朝食を用意する小町である。
「…………」
小町はヤレヤレと言う顔で息子を見る。
「もぉー……ホットミルクでも飲む?」
「お願い――」
朝一、母からの小言には反応せず、ホットミルクには反応する、その息子。
しばらくすると『ピー』という電子音が響き、その後「アツっ」という男の声がした。
「ふーう」
「とん」っとテーブルに置いたマグカップのミルクは半分程無くなり、寒さも人心地つく。舌は火傷したが身体の方は随分温まった。
だが……心模様は昨日から寒々としたまま。寒々となる原因は彼自身の身から出た錆なのであるのだが……
そんな想真は昨日から一つ気に掛かっている事があった。
「あのさー」
「なに?」
「新潟に住んでいる従姉って、名前何て言ったっけっ?」
「どうしたの? 突然」
唐突な問い掛けに洗い物をする手を止め、想真の方を見る小町。
「いやー大した理由はないけど、名前なんだったかなぁーって、ちょっと思って」
「えっ、あおばちゃんでしょう。結城青葉ちゃん」
ドン――
手を木槌の様にしてテーブルを打つ。打ったのは想真。
その意は、納得と自分への苛立ち……半々。
(……そうだよ。あおいちゃんではなく……あおばちゃんだよ。くそー二文字はあってるじゃん…………いや、まーそういう問題ではないな。そもそもの問題は俺が事前に従姉の名前を、お母さんに確認しなかったところだよ……なんであの時こんな事に気が付かなかったかなぁー……あーもぉー俺はー……)
低く唸りながら、想真は両手で顔を覆う。
そんな息子を、小町は可哀相な子でも見る様な表情で見詰める。
対して息子は、母親から、そんな憐れみの視線を向けられているとは露知らず、昨日の自身の失態を思い返していた。
「本当にすいませんでした」
想真は正座で座り、膝に手を乗せ深々と頭を下げる。彼が頭を下げる先、それはテーブルの向かいではなく、いつも寝ている自分のベッド。
もう彼女は、テーブルの向かいには居らず、その代わりベッドの上の布団がこんもりと盛り上がっていた。
「申し訳ありませんでした」
謝罪は、これで四回目。
それでも反応はない。仕方なく彼は頭を下げながら続ける――
「あおいさんが、御立腹なのは、本当に御もっともでございます。俺……いや、私があおいさんの事を覚えている、と言っておきながら実際には覚えておらず、さらには人違いまでしておりました。これにつきましては全くもって弁解の余地もありません。本当にごめんなさい、本当にすいませんでした。……当然、あおいさんは、今むちゃくちゃ腹も立っているだろうし、非常に悲しい気持ちにもなっていると思います。なので……あおいさんが御納得頂けるまで何回でも謝ります。そして償え、と言われるのであれば僕に出来る事であれば出来うる範囲で何でもします。……ですから……もう一度、僕にチャンスを頂けないでしょうか? ……」
「…………チャンス?」
想真がダメ元で言った言葉……ではあったが以外にも布団の中から弱々しく篭もった声が帰って来る。
「あっハイ、チャンスです。僕にあおいさんを思い出すチャンスと、あおいさんが誰なのかを答えるチャンスを、もう一度頂けないでしょうか。今更、思い出したところで全く謝罪にはなっていないことは重々分かっています。それにこんな事を言う事自体が、失礼である事も分かっています。……そもそもクイズでもありませんし…………ただ、分かって頂きたいのは、俺はあおいさんの事を全く覚えていない訳ではないと言う事なんです」
「……そうなの……」
「……はい。さっきあおいさんと抱……いや、間近で……お顔を拝見して『あっ、この人とは、以前に逢った事がある』と確信したんです。ただ、それが何時、何処で逢ったのかまでは思い出せなくて……だから、俺……過去にあった人とか、あった出来事とかを思い出して、それを繋ぎ合わせて、必死で推理って言うか考えたんです……結果は……違う人と勘違いしていましたが……。でも勝手な言い分かもしれませんが、もう一度チャンスを貰えれば、俺、あおいさんの事、思い出せる気がするんです。だから思い出す猶予は一日で構わないので、もう一度、俺にチャンスを頂けないでしょうか。あおいさんが誰なのか思い出し、答えるチャンスを……」
「…………想ちゃんって……本当、肝心な時、いつもダメだよね」
想真は顔を上げる。
そこには寝たままの姿勢で布団から顔だけを出す、あおいの姿。
「私、言ったよね! 見ているだけじゃダメだって、ちゃんと観察をしないとって!」
「……えっ」
「じゃー分かった、もう一回だけチャンスをあげる。でも……」
目を赤くした少女がそう言った。
昨日のあおいの顔を思い浮かべながら想真はトーストを頬張る。
「早く起きたからって、ゆっくり御飯食べていると、学校、遅れるわよ――」
「分かってます……もーろくに自己嫌悪も出来ないよー」
「なに!」
「いえ、何でもないです」
想真はそう言うと、パン、スープ、今日の弁当の残りと思しきおかずを急いで平らげた。
朝食を済ませた想真はバスルームへと向かう。
そこで何時もよりも入念に身支度を調えると、次に二階へ。
階段を上り自分の部屋の前までやって来た想真であったが、ドアを目の前にして悩む様な表情を浮かべた。
しばらく逡巡した後、想真は意を決した様にノックしようとする。が、寸止め。
そして、『イヤイヤ』とでも言う様に頭を振る。結局、ノックせず、想真はコソ泥が他人の家に忍び込むが如く態で、自分の部屋に入って行った。
部屋に音を立てず侵入したコソ泥。上手く侵入できたと胸を撫で下ろした――直後、目が合う。合ったのは、ベッドの下で寝そべっている番犬のブサイク犬。ブサイク犬は、頭だけを起こしコソ泥が部屋に入って来てからの一部始終を冷ややかに見ていた。
コソ泥は一瞬、胆を冷やしたが、深呼吸して冷静を取り戻す。
そしておもむろに口の前に人差し指を立て、『しー』と呟く。が、ブサイク犬は『フン』と、ソッポを向く。
(なんだぁコイツはー!)
小馬鹿にする様なその態度に無性に腹が立ったのだが、『まぁー吠えられないだけましか』と、想真は自分自身を納得させる。
気を取り直したコソ泥――抜き足、差し足、忍び足で、お目当てのお宝に忍び寄る。
そして覗き込んだ――
スヤスヤと眠る、ベッドの中のお宝。
その寝顔はまさに宝の中の宝、秘宝中の秘宝。それ程、彼女の寝顔は清浄で無垢で、綺麗で可愛らしかった。
――そのため、しばらく見惚れる。
そして、こんなカワイイ子が、いつも自分が使っている布団で寝ているかと思うと、何故だか想真の顔は赤くなった。だが、そんな邪な心に気付いたのか、それともサービスタイムが終了したのか、いきなりブサイク犬が立ち上がり、コソ泥を睨み付けて来る。仕方なく、想真は両手を前に出しドウドウとでも言う様に、犬を宥めながら後ずさりした。
ここでようやく、ここに来た本来の目的である学校へ行く準備を想真は静かに始めた。
昨日、殆ど用意をしていたため準備に要した時間は二分少々。
必要な物を手に持ち部屋を出ようとしたが、ふと丸テーブルを見る。その上には、昨夜、想真が買ってきたサンドイッチとおにぎりが手付かずで置かれていた。封が切られているのはドッグフードの袋だけ。それらを見た想真は何かを思い出した様に机に向かうと、付箋を取りペンを走らせる。書き終えると、財布から札を一枚取り出し付箋とともに丸テーブルの上に置いた。
そして、今度こそ荷物をもって音を立てない様に部屋を出た。
一階に下りた想真は、バスルームで制服に着替える。
これで学校へ行く準備はすべて整った。少し時間は早いがキッチン居る母親に一声掛け玄関に向かおうとしたのだが――
「ちょっと、お弁当」
振り返るとドアの前に弁当を手にした小町が立っていた。
そんな母親を見ながら想真はイタズラっぽい表情で、両手を少し上げる。都合の良い、手塞がっていますアピールである。
小町はヤレヤレと言う様に息子が背負うリュックに弁当を入れてやった。
「今日は荷物多いのねー」
「まっ……まあーね……」
右手にはレトロな黒のマジソンバッグ、左手には制服のブレザーを抱えていた。
右手のバックは想真が父親からもらった代物でバックの両サイドにはカタカナで『ファック・オフ』と書かれていた。ただ中の荷物が多いためなのかファスナーは半分ほど開いている。
別れ際、仲の良い親子は一言ずつ言葉を掛け合い、想真は家を出た。
本日も昨日と同様、自転車で高校へ。
家を出てしばらく自転車を漕ぎ進めると、住宅が立ち並ぶ道路の脇に場違いなようにポツンとある田が目に入った。
そこには青々とした早苗が整然と苗付けられている。
そして、その前の歩道を、こちらも整然と並んで登校する小学生の列。
その集団登校する列の中には、今年入学した新一年生であろう姿も見受けられ、その手を上級生が引いていた。
ほんの四年程前まで想真も同じように集団登校していたはずなのに、それが随分と昔の様に思われた。
想真は小学校時代の懐かしい思い出を思い返しながら、さらに自転車を漕ぎ進めた。
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