第12話 俺が鼻血を出す時、それは何かの始まり その1
「伊達はー――欠席かー?」
男の声が教室に響く――瞬間、男子からの爆笑。
声の主は、現国担当、室井。室井はいつもの様に出席確認を採っただけにも関わらず爆笑が起こり『どういう事だ』とばかりに教室中を見渡す。
すると、窓側から声が上がった――
「伊達君は、体育の授業で鼻血を出したので、今、保健室で休んでいます」
ニタニタとした顔で報告したのは杉本。
またしても、男子から爆笑が起こった。
「それで、伊達は大丈夫なのか?」
「はい。多分、大丈夫です」
それを聞き、室井はいつもの無愛想な表情に戻った。
だが、急に下品な笑みを浮かべ――
「また、どうせ女子のケツでも眺めていたんだろう」
今度は、大爆笑であった。授業開始早々、男子から大爆笑を取り、気を良くしたのか室井はウザい程のドヤ顔をする。
が――
「それ、完全にセクハラです!!」
突然、怒気を含んだ女子の声が教室中央から上がる。
声を発したのは、クラス委員長で学校風紀部の清水。彼女は立ち上がると、いつもの知的で穏やかな表情とは違い、眉を吊り上げ教壇に立つ室井を睨み付けた。
「先生! 先程の下品な発言、風紀部の刈谷先生に報告しますが、宜しいですか!」
そう彼女が言い終えると、一斉に女子達から拍手が起こった。
――たじろぐ室井
室井は自身の不用意な発言で、いつの間にか教室の女子全員を敵に回してしまっていたのだ。さらに学校風紀部、刈谷の名前まで出され五十がらみの、この男は大いに焦る。もう、先程までのドヤ顔はどこにもない。
数秒の静寂――
「すっ、すまん。本当に先生の配慮が足りなかった。以後、気を付けるので刈谷先生への報告の件は何とか穏便に頼む……」
中年教師が教卓に手を突き、薄くなった頭を深々と下げる……
そんな光景に教室は静まり返る。清水も含め生徒全員が呆気にとられ、誰も言葉を発しない。重々しい空気だけが教室を支配する。
―――ガラガラ
突然、重苦しい空気を破る様に前の戸が開き、教室中の視線が集まる。
そこに立って居たのは、半袖体操服姿の男子――想真である。
「遅れてすいません」と言いながら二、三歩、中に進み入ったのだが教室の異様な雰囲気に気付き、想真は立ち止まる。
(え……何……どういう事?)
そして、渦中の人物であろう二人に、視線を送った。
想真の視線は、数度、室井と清水の間を行き来したが、全く状況が呑み込めず、立ち尽くしていると……
「伊達君……身体の方は、もう大丈夫なのかな?」
(君?)
不意に室井から意味不明の敬称付きで名前を呼ばれ、思わず『くん?』と声に出しそうになったが、流石に今の状況では不味いと考え、言葉を飲み込む。そして短く「あっはい、大丈夫です」と答え、ドギマギしながら想真は自席の方へと進む。
席に着くと、前の杉本からニヤついた顔で「伊達君。もう大丈夫」と敬称付きで呼ばれ『こいつもかよ!』と怪訝な表情を杉本に向けた。
「わかりました。今後、気を付けて下さい」清水は座り。
「みんな本当に申し訳なかった」
そう言うと室井は残りの出席確認を行い、気を取り直すかの様に咳払いを一つして授業を始めた。
授業が始まったものの、全く身が入らない想真。理由の一つは室井がなぜ生徒達に謝っていたのか気になっていた事もあったが、それよりも……
体操着の胸部分を指で引っ張り、汚れを確認する。白い体操着には赤黒いシミが点々と付いていた。
(ホント、人前で良く鼻血を出すよなー……俺……)
――ピンっと服を離す。
想真が鼻血を出したのは五時間目、体育の授業、サッカーのミニゲーム。
四点目を取りに行った神山は軽妙なパスと巧みなフェイントで敵陣地を攻め上がる。
対する相手チームもこれ以上、神山にイイ格好をさせまいと必死にボールを奪いに行く。が、神山はそれを見透かしたように、ディフェンダーが来る前にいきなり強烈なロングシュートを放った。
皆がこれで四点目かと思った瞬間――間一髪、相手選手がボレーでシュートを蹴り出す。ギリッギリッで得点を阻んだのは、神山と同じサッカー部員。体育の授業とは言え、現役サッカー部のディフェンダーがこれ以上、バカスカ点を入れられる訳にはいかなかったのだ。
そんなサッカー部同士、グランド上で苦笑いしながら互いの顔をチラリと見る。
だが、次の瞬間、ある異変に気付き二人の視線はコートの外に向けられた。
二人が見詰めた先、そこには生徒達が慌てた様子で何かを取り囲んでいた。
その輪の中心にいたのは、手で顔を押さえている一人の男子生徒。
彼の指の間からは血がぽたぽたと垂れ、グランドへと落ちている。
「おい、大丈夫か――」
うずくまっている生徒に屈みながら声を掛けているのは杉本。そして鼻から血を流しているのは想真であった。
神山の放った強烈なシュートのクリアボールが、想真の顔面に直撃したのである。しっかりと試合を見ていれば十分に避けられたのだが、想真は後にいる八組女子を見ていた所為で避けられなかった。ただ当の本人からすれば、その様な状況は全く分からず、突然、顔面に強い衝撃を受け、気が付けば鼻血を出しながら地面にうずくまっていた。
少しして我に返った想真は自分の周りに出来た人垣に驚き、反射的に立ち上がろうとしたのだが・・・・・・ふらつく。
「――伊達! 無理に立つな、座れ、座れ」
そう促したのは、咄嗟に想真の肩を支えた男性体育教師。体育教師は、想真を座らせると、冷静に彼の状態を確認していく。
鼻と首を触り、痛みの有無を確認。また、頭痛、吐き気、手足の痺れなどないか、一つ一つ丁寧に問診を行った。想真が先程、立った際にふらついていたため、それが立ち眩みなのか、それとも脳震盪なのかを判断する必要があったのだ。
結果は、鼻血の量は多いものの骨折はなく、立った際のふらつきも急に立ち上がった事による立ち眩みと、このベテラン体育教師は判断した。とは言え、これ以上、体育の授業を続けさせる訳には行かず、教師は涼しい保健室で休むよう想真に指示を出した。
もうその頃には鼻血も止まり、想真は一人で保健室へ行こうとしたのだが、教師は直ぐに呼び止め、「悪いが誰か付き添ってやってくれ」と言うと、杉本が「俺、行きます」と手を上げた。
多くの生徒の目が集まる中、想真は鼻と口の周りの血を手で隠す様な事はせず、ゆっくりとした足取りで、杉本と共にグランドを後にした。
途中、水道で顔の血を洗い、体操着で顔を拭う。それまで会話のなかった二人であったが、口を開いたのは杉本。
「俺さー前から思ってたけど。お前ってビミョーに、運悪いとこあるよなぁ」
「……うるさいわー」
二人は小さく笑う……
保健室に入ると、杉本は直ぐにグランドへ戻って行き、想真は女性養護教諭にこれまでの経緯を説明した。養護教諭も体育教師と同じ判断をしたようで、しばらくベッドで休むように促した。
そしてベッドに横になった想真はすぐにウトウトし始め、自分でも気付かない内に浅い眠りに落ちてしまう。これが、この一時間程の出来事である。
(なにやってんの俺……)
自分の醜態を思い返し後頭部を掻く。
掻きながら、ふと、ある人物の顔が思い浮かぶ。
それは、喰代コウ――今回の原因はすべて彼女にあるからだ。
というのも、喰代コウを探していなければ顔面にサッカーボールが直撃する事もなく、想真が鼻血を出す事もなかったからだ。
ただ……鼻血を出したからこそ、図らずも、探していた彼女とまた夢の中で出会えたのも事実である。さらに一番腑に落ちないのが鼻血を出しながら一生懸命、喰代を探していたのにも関わらず夢の中の彼女は、どういう訳か想真の首をガッツリと噛んできた。
この何とも言えない、理不尽な流れに想真はカジられた首を押さえながら、ある思いが込み上げて来る。
ホント……納得いかねーぇー…………
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