あの曲は表題曲だったらしい。その後、教えたメールアドレスにカップリング三曲分のデータが届き、無事、僕は仕事を断ろうにも断れない状況になってしまった。

 しかし僕は書けないでいた。まず、どこからどうとっかかればいいのかが分からない。作詞のイロハも分からないし、なにかしてはいけないことがあるのかもわからない。あまり音楽も聴く方では無かったから、イメージも持てない。どうしたらいいのだろうと途方に暮れて、だらだらとスマートフォンを触っていると、ふとある記事が目に止まった。

『剣と鞘次回作、作家が作詞』

 ――!?

 僕はがばりと起き上がり、ばくばくと震え、口からこぼれ出そうになる心臓をなんとか抑え込んでその記事をタップした。

『人気バンド、『剣と鞘』の次回作の作詞を、作家の野見修保さん(26)が担当することが、本誌の取材で分かった。野見さんは芥川賞の候補にも二回なった人気作家で、作詞をするのは初めて。『剣と鞘』にとっても、ボーカルの田伏剣(26)さん以外が作詞をする作品は初めてになる』

 ご丁寧にウィキペディアのリンクまで貼ってある。

 僕は頭がおかしくなってしまったのか、『人気作家』の文字に爆笑が止まらなくなってしまった。人気作家。人気作家。僕の頭の中をその文字がくるくる回って、僕は笑い転げた。

 記事にはコメントがたくさんついていた。大方、僕の予想通りの反応だった。


『誰?』

『つるぎくん作詞じゃないの(泣)』

『っていうか、誰?』

『売名乙w』

『で、誰? 有名なの、この作家は?』

『誰得コラボ』

『次回作はスルーかな』


 最初は『人気作家』の余韻で笑って見ていた僕も、さすがに悲しくなってきた。スマートフォンを消して布団に潜り込む。しかし、ああして記事になってしまっては、尚更もう断れない。しかし、このダメージから立ち上がるのはもう無理かもしれなかった。

 そうしていると、僕のスマートフォンが震えた。


「そういうやつらをあっと言わせるくらい素晴らしい作詞をすればいいじゃないか」

 僕は小森に呼び出されて居酒屋へ向かった。なぜかそこには田伏がいて、田伏しかいなかった。何が起きてそうなっているのか全く理解できなかったが、とにかくどうやらそういうことらしい。田伏は堂々とお通しのたこわさを食べている。明らかに時折、他の客が田伏の存在に気づきひそひそと話をしているのが目に入る。田伏はそんな視線を全く気にもしていないようだった。やっぱり世界が違う。

 僕は頬杖をつきながらたこわさをタコとわさびに分解させようとするが、うまくいかない。

「何やってんだ」

 呆れる田伏に、

「簡単に言ってくれるよ、本当に」呆れたいのは僕の方だ。「作詞なんてしたことないっつーに」

「おお、言葉が悪いな!」田伏は快活に笑い、僕のおちょこに酒を注ぐ。「まあ、無理を言ってるのは理解してるよ」

「だからさあ」

「でも、お前ならできるって、俺は信じてるから」

 田伏がそう言い、爽やかに微笑む。僕がその言葉に脱力していると、二人の女性がおずおずとこちらに近寄ってきた。見た感じ十代の女子二人組だ。

「あの、……もしかして、『剣と鞘』の田伏さんですか?」

 そう話しかけられ、田伏はにこやかに答える。

「ああ、うん。そうだよ」

 その返事に、女子二人は色めき立った。一人など、瞳を潤ませて今にも泣き出しそうな勢いだ。

「あの、これしか持ってなくて。ここにサインしてもらっても、いいですか」

 女子が可愛らしく分厚い手帳と、ボールペンを取り出し田伏に渡す。田伏は爽やかにそれに応じる。田伏がサインしている間にも、女子二人は嬉しそうに会話を交わしている。「すごいね」、とかなんとか。

「あの、これからも応援してます。頑張ってください!」

 そう二人は言い、田伏と握手をし僕たちの前から去っていった。

 その後、なんとなく気まずい空気が流れる。

「あの曲、今聴いていい?」

 僕はスマートフォンを取り出し、最近買ったワイヤレスイヤホンを接続する。田伏は頷いて、肘をついて顔を手に乗せてこちらを見つめた。

 曲を聴きながら僕も田伏を見つめる。短めの茶色い毛が柔らかく頭部を覆っている。真っ黒いつぶらな目と相まって、まるで大型犬みたいだ。

 耳元で鳴る曲。この男が作ったんだ。

 不思議な話だ、と思う。この曲が、こんなにかっこいい曲が、人間が作ったもので、しかも、それは目の前のこの男だということが。

 しかも、それに詞をつけるのは、僕だという。

 本当に、冗談みたいだ。

 僕はしばらく目を閉じ、曲に聞き入った。居酒屋の喧騒が遠ざかり、僕とこの曲だけが世界に存在する感覚になる。僕は目を開く。

「――最初にもらった曲はさ」

 俺が話すと、田伏は真剣そうな眼差しで聞いている。

「大まかな方向性は決まってるんだ」

「へえ! どんなのか聞かせてくれよ」

「だって、あの曲は僕の小説をイメージして書いたんだろう? だから、僕もあの小説で一番伝えたかったことを、そこに籠めたいと思った」

 うん、うんと肯く田伏。

「だから、そのタイトルは、……」

「なんだよ、恥ずかしがってないで教えろよ」

「『世界は輝く』。そういうタイトルにしようと思ってる。彼らがラストシーン、一緒に演奏したときに感じた気持ちを、そのままに歌にするんだ」

「そうなんだよ! 俺もあのシーンを想像して曲を書いたんだ」

 田伏が興奮する。

「それで、そのシーンについてこの世で一番わかってるのは、やっぱりお前だろ? だから、お前に作詞を依頼したんだ。……実は俺も、いくつか作詞案は作ったんだ。だけど、しっくり来なかった。今お前からタイトルを聞いて、そうだ、その言葉だと思ったよ。この曲が求めてるのは、やっぱりお前の言葉だ。大丈夫、うまくいくよ」

 田伏が机の向こうから手を伸ばし俺の肩をぱしんと叩いた。

「他の三曲も、具体的にシーンをイメージして作曲したんでしょう?」

「おお、さすが。わかってるねえ。当ててみろよ」

 田伏がニッと、挑戦的に笑う。

「あの、ベースから始まる、ちょっと陰鬱な感じのする曲……あれは、主人公が初めてあいつに会って、自分の才能のなさを痛感したときのイメージ、なのかな」

 田伏は、焼き鳥を無言で食べている。その顔には、微かに笑みが浮かんでいる。嘲笑的なものではない、優しい笑みだ。

 僕はあとの二曲についても回答した。田伏は串に残った最後の鶏肉を食べ終わると、

「大正解」と口元で串をぶらぶらさせながら言った。「やっぱり、お前に頼んで正解だったよ――って、どうした?」

 僕は顔を抱えていた。僕は改めて嬉しかったのだ。田伏が、本当に僕の小説を読み込んで曲を作ってくれたことがわかったから。だってこんなの……まるで、サウンド・トラックみたいじゃないか。

 田伏がその大きな手で、僕の目の前の、僕の手をゆっくりとどける。向こう側から光が差し込んで、視界が明るくなる。僕は田伏の手を握って、言った。

「田伏。改めて、ありがとう。こんな素敵な曲を作ってくれて……ちゃんとお礼、言ってなかった。僕、頑張るよ」

 田伏も、ニカッと笑う。

「おう! 頑張れ!」


 それから僕は、一日中その四曲を聴いていた。曲のあらゆる部分が、何を表現したがっているのか、どこのシーンなのか、それを具体的にイメージし、そしてそこで僕が言いたかったことはなんなのかと改めて向き直って、言葉を探していく。そうは言っても、小説を書く作業とは全く違う種類の言葉の探し方をしなければならないことが分かった。それからが、勝負の始まりだった。曲には、当たり前だが音程がある。そうすると、その音程にあうような響きの言葉を選ばなければならない。とにかく字数がハマればなんでも良いという訳ではないのだ。

 それに、田伏の作る曲をいくつも聴き込んでわかったことだが、田伏の作る曲には独特のクセがあって、それが、『剣と鞘』の作る曲の強烈な個性になっていることも分かった。この曲では田伏のクセと、僕の表現した小説の世界が混じり合っている。作詞によって、それをさらに僕の方に寄せるのか、それとも田伏の、『剣と鞘』の世界観に寄せるのかも問題だった。

 また、なるべく聞いていて心地よい言葉を、そしてかつ、大衆に伝わりやすい言葉を使わなければならないとも思う。『剣と鞘』は人気バンドだ。僕の読者のような、普段小説ばかり読んでいるような層じゃない人も、この曲を聴くことになる。だから、普段自分が使っているような言葉よりは、もっとキャッチーな言葉を選ばなければならない……。

『それはあんま気にしなくていいとも思うけどな』

 そう言ったのは田伏自身だった。電話口で田伏は、

『せっかくお前が――小説家が作詞するんだし、他の人じゃ出てこないような言葉遣いも見てみたい。別に無理やり難解な言葉を使えとは言わないけど、自然体のお前から、するっと出てくる言葉で構わない』

 ぬう。簡単に言ってくれるなあ。こっちは必死だって言うのに。

『大丈夫、お前ならできる』

 いい声で電話で言われると、本当にそうかもしれないという気がしてくる。本当に、こいつは人をコントロールするのがうまい。多分、その自覚も無いんだろうけど。

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