第3話 『ビジネス』の話

 純子はイライラしながら2杯目のレモンサワーを注文した。耳には盗聴用のイヤホン。向かいの席で同じイヤホンを付けている燈は、枝豆をつまんでいる。中本さんの証言(妄想?)による疑わしい人物の盗聴は、週に1~2回の定例業務になりつつあった。純子の斜め後ろのボックス席では、いつもの白いジャージの男が、これまたいつもの舎弟風の男2人と飲んでいる。

 この日も特に収穫はなさそうだなと思っていたところに、聞きなれない声の男が入ってきた。

 「西川の兄貴、お久しぶりです。」

 「おー、久しぶりだな立花、まあ座れよ。ビールでいいか?」

 燈が鋭い目つきで一瞬ボックス席を確認したのを、純子は見逃さなかった。

 「燈くん、知ってるヤツ?」

 しゃがれた妙に高い声、身長160cmで小太りのスキンヘッド。立花と呼ばれるその男は、メガネの男に『お茶っ葉』を売りつけた男に間違いなかった。

 「純子さん、今来た立花って男、何者か分かりますか?」

 純子は背伸びをするフリをして、ボックス席を確認した。

 「いや、初めて見る顔ね。どうかした?」

 「人違いかも知れませんが、別件で聞いた男と特徴が一致してるんです。」

 「それって、何の件?」と純子は聞いたが、燈が目を閉じてイヤホンの会話に集中していたので、純子もそれに従った。

 「最近立花はいい仕事見つけたって噂だぞ。相当羽振りがいいみたいじゃねーか、一体何やってんだよ?」

 「いやいや、そんなの根も葉もない噂ですよ。」

 「それにしちゃあ、せっせとやってるようには見えねえが、車が随分いいのに変わってるよなあ。ありゃあ、どういうことだ?なあ、俺にも一枚噛ませてくれよ。」

 「いやあ、西川の兄貴にはかないませんね。今日の用事ってそれだったんですか?」

 西川と呼ばれる白いジャージの男は、しつこく立花に迫った。立花は西川に恩か弱みでもあるのか、のらりくらりと交わしていたが、痺れを切らした西川が凄んで詰問すると、「・・・分かりました。でも、ここじゃあアレなんで、後で兄貴の家でじっくり話しませんか?」と、立花は切り出した。

 その後しばらくいつものくだらない話が続いて、立花がビールを3杯ほど飲んだ後で、西川は舎弟の一人に会計を、もう一人には車を回して来るよう指示した。

 「純子さん、盗聴器ってどのくらいの大きさですか?」

 「この枝豆一粒くらいかな。」と言って、純子は皿の上の枝豆を指さした。

 「どこにセットしたんですか?」

 「あいつらのテーブルの裏側よ。」

 「あいつらが店出ようとしたら、声かけて気を引いてもらえませんか?」

 「えー、面が割れるとこの後やり難くなるから嫌なんだけどなあ。一つ貸しだからね。」

 「ありがとうございます。」と言って、燈は西川と立花が席を立つと、4人がいたテーブルから盗聴器を回収して店の出入り口に向かった。立花はトイレに行き、出入り口に向かって歩く西川を燈はスルスルっと追い越して先に店を出ると、店の暖簾の下で電話をかける振りをした。

 「兄貴、どうぞ。」と言って、会計を済ませた舎弟が店の戸を開けた。

 「立花は便所行ってるから、お前ここで待っててやれ。」と西川は言った後、「逃がすなよ。」と小声で言った。

 西川が片手で暖簾をまくって外に出ようとした時、純子が素っとん狂な声で「あのー、これ落しませんでした?」と言って、人差し指と親指でハンカチをつまんでブラブラさせていた。床に落ちていたハンカチを拾ったという演出なのだろうか。

 西川と舎弟は、恥ずかしそうにハンカチをブラブラさせている純子を見て黙っている。見るからに女性用のかわいらしい花柄のハンカチを落としたのかと、一目でガラが悪いと分かる自分達に聞いているのか?と、若干戸惑いながら見ている様子だ。お陰で充分なスキが出来たので、燈は後ろを振り向いた状態の西川の上着のポケットに盗聴器を入れた。

 西川と舎弟が何か言う前に、トイレから戻った立花が、「おー、ねえちゃん悪いな。それ、探してたんだわ。」と言って、トイレから出てきて濡れたままの手でハンカチを純子から奪い取ると、手をゴシゴシとハンカチで拭きながら暖簾をくぐって出て行った。


 4人の乗った黒いセダン車を追うタクシーの中で、純子が燈に噛みついた。

 「もーう!何なのよ、あいつ!絶対『違う』って言うと思ったから、お気に入りのハンカチを囮に使ったのにー!」

 「まあ、お陰で盗聴器は仕込めましたから、ありがとうございます。」

 「それで?あの立花ってやつは何者なの?」

 燈は、事の経緯を純子に説明した。

 「確かに、変ね。立花が『お茶っ葉』を売る目的も、メガネ君にしつこく質問するのも意味不明ね。ただの頭おかしいヤツなんじゃない?」

 「それにしては、サイト使って足跡消したり、薬包紙の作りも緻密だったし、ただの頭おかしいヤツにしては巧妙っていうか、引っ掛かるところが多いんですよね。」

 「組織的ってこと?それにしては、やってることがセコイわね。」

 「ええ、それにさっき西川は、立花が結構稼いでる。みたいな話をしてましたし。」

 二人が黙り込んで考えていると、西川の家に到着したのか、前を走っていた黒いセダン車がマンションの駐車場らしきところで停まった。西川と立花が車を降りてマンションの方へ歩き、舎弟二人は車から降りて挨拶だけすると、すぐにまた車に乗り込んで行ってしまった。

 燈と純子はタクシーを降りて、イヤホンから聞こえてくる声に耳を澄ませた。

 「だんだん聞こえなくなってきましたね。バッテリー大丈夫ですか?」

 「多分距離の問題ね。」と言って、純子はマンションを見上げた。「あそこの階段の踊り場なら行けそうね。」と言って、隣の年季の入った集合住宅を指差した。確かに西川のマンションとは違い、セキュリティーは問題なく入れそうだ。

 二人は西川の部屋が何階か分からないので、集合住宅の階段をイヤホンからの音声を頼りにゆっくり登って行った。6階の踊り場付近でやっと音声が聞こえた。

 「兄貴は親兄弟いるんでしたっけ?」

 「なんだよ、そんなのお前も同じだろ?もう20年以上連絡も取ってねえよ。」

 「じゃあ、今の交友関係は、昔の組仲間だけってことですかね。他に身寄りとかは?」

 「だから、お前も一緒だろ。そんなもんいねえよ。なあ、さっきから何の質問だよ。さっさとお前のやってるシノギが何なのか教えろよ。」

 「いや、これがその話をする上で大事な話なんですよ。もう一つだけ教えてください。この仕事に手を出したら、もう後には引けませんが、その覚悟はいいですかい?」

 「なんだよ、脅かすじゃねえか。そんなの仕事の内容と稼ぎ次第に決まってんだろ。話を聞いてから決めるよ。」

 「いや、それがダメなんです。話を聞いた後は、もう『YES』しかねえんです。」

 暫しの沈黙の後、「分かった。やろうじゃねえか。やってやるよ。さあ、話せ。聞いてやる。」と、西川が腹を決めた様子で言った。

 「じゃあ、話を通しますんで、ちょっと待っててください。」

 「おい、お前から聞くんじゃねえのかよ。話を通すって誰にだよ?」

 「それは言えねえです。でも、話を通したらもう決まりですからね。やっぱりやめるは通用しねえですよ。」

 「分かったよ。話を通すなら、さっさとしろ。」

 「・・・あ、立花です。・・・はい、すいません。・・・すいません。・・・はい、分かってます。・・・いや、そういう訳では、・・・はい。・・・はい。」

 立花がどこかに電話を掛け、西川はその様子を見守っているようだった。終始立花は謝り続け、言われた仕事以外の用件で電話したことを責められているようだった。何とか西川のことを切り出せたのは、10回以上「すいません」を言った後だった。

 「今から、ここに来るそうです。」

 「何?ここにか。場所は分かるのか?」

 「GPSを持ってるんで、俺の居場所は常に把握されてます。」

 しばらくイヤホンからは何も聞こえて来なかったが、妙な緊張感は伝わってきた。イヤホンからインターホンの音が聞こえてきたのは約15分後だった。西川がインターホン越しに対応してエントランスの自動ドアを開け、部屋の番号を告げた。その男が部屋に到着するまで、西川も立花も黙ったままだった。

 「あなたが西川さんですか?」

 「ああ、そうだ。あんた名前は?」

 「鈴木と呼んでください。」「ところで立花さん、あなたはどうもこのビジネスがまだ理解できていないようだ。お友達を紹介して欲しいとは依頼していませんよ。」

 「すいません。分かってます。でも、西川の兄貴には食えない頃世話になって、うちらの世界じゃ恩を仇で返すようなことは許されねえんです。」

 「その『うちらの世界』というのは、最初に捨ててもらったはずです。あなたはこのビジネスを危機にさらしています。」

 「おい、ちょっと待ってくれよ。頼んだのは俺なんだ。何の仕事か知らねえが、腹は決まってんだ。半端な事はしねえから仲間に入れてくれよ。」

 暫しの沈黙。

 「西川さん、私がここに来た時点で、あなたは既にこのビジネスの一部です。仕事の内容は単純で、仕事で使う道具はこちらで準備します。報酬は満足頂ける額です。制約は3つ。西川さんがいなくなった時に騒ぐ人間との縁を絶つこと。失敗は自分で責任持って対応すること。このビジネスを他言しないこと。」と、鈴木はメガネのブリッジを、人差し指の先で丁寧に持ち上げながら言った。

 「分かった・・・。それで、仕事はいつから始めるんだ?」

 「今からです。立花さん、西川さんと最初の仕事の話をするので、席を外してください。」

 立花が部屋の外に出たのか、ドアの締まる音がした。

 「西川さん、仕事の内容は1つだけです。人を指定された場所へ連れて行くことです。ただし、連れて行く人には条件があります。その人がいなくなっても、すぐに騒ぐ人間がいないこと。人の探し方や、連れてくる方法や場所は別途指示します。連絡は基本的に私から西川さんへの一方通行。西川さんが私に連絡するのは、人の捕獲ができた時と道具が必要になったときだけ。何か質問は?」

 「やり方と道具は用意するから、後は上手くやれってことだな。分かった。」

 「では、最初の仕事です。立花さんをこの場所に連れて行ってください。場所はメモしないで記憶してください。これを飲ませれば3日は起きないので、車に乗せて運んでください。車は必要ですか?」

 「おい、ちょっと待ってくれ!立花って、たった今ここにいた立花か?!」

 「そうです。通常ターゲットはこちらから指定しませんが、立花さんなら顔見知りですし、これを飲ませるのも簡単でしょう。彼がいなくなっても騒ぎ立てる人間もいないので大丈夫です。」

 「いや、そうじゃなくてよお。あいつは仲間だろ?なんであいつを眠らせて連れて行くんだよ?」

 「さっき3つの制約を説明した通りです。立花さんはこのビジネスをあなたに話してしまった。おっと、話したのは私ですね。でも私が話さざるを得ない状況を作ってしまったので同じことです。」

 「そんな・・・、俺のせいであいつが・・・。あいつはそこに連れてったらどうなるんだ?」

 「それは、あなたが知る必要のないことです。でも『我々』は、彼を殺したりしませんから、安心してください。我々のビジネスはあくまでも人を調達することで、調達した人間をどうするかは別のビジネスの範疇になります。私も含め、立花さんも西川さんもただの歯車なんです。たとえ西川さんが今この場で私を殺しても、すぐに私の代わりが今度は西川さんを連れて行きます。それだけのことです。」

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