第2話 『お茶っ葉』の謎

 燈は中本さんにお礼を言うと、来た道を走って戻った。

 燈はコンビニに到着するとペットボトルの水を2本買って、駐車場に停めてある白い軽自動車の前で男が現れるのを待った。

 3分後、息を切らしてメガネの男が戻ってきた。大空公園をあの方向に逃走して、このコンビニまでこの短時間で戻ってきたのなら、ずっと走り続けたことになる。顔面を覆っていた男の前髪はキレイに左右に流れ、メガネは熱気で曇っていた。

 男は燈の姿に動揺しながらも、平静を装って軽自動車に乗り込もうとしたが、燈がペットボトルを差し出して、「ちょっと車の中で話を聞かせてもらおうか」というと、一瞬動きを止めた。車を捨てて再度逃走を考えたようにも見えたが、「もうヘトヘトで走れないでしょ?」と燈が言うと、逃走は観念したのか、「はい?誰かと間違ってませんか?私が何かしましたか?」と開き直った。

 燈は黙ってポケットから薬包紙を取り出して男に見せて、「じゃあ、署まで来る?」と言うと、男は諦めたのか、燈の差し出したペットボトルを受け取って車の中に入り、グビグビと水を飲んだ。

 助手席に乗り込んだ燈は、「さて、全部話してもらおうか。こっちの調べと違う場合は、署にご同行頂くことになるからね。」と言って、自分もペットボトルの水を一口飲んで手帳を開いて男の話を待った。

 「刑事さん、買ったのは初めてで、まだ使ったこともないんです。それでも罪になりますか?」と言う男の手は震えていた。

 手帳の上に載せた薬包紙を見ながら、燈は先ず「この男が本当に、ただの買う側の人間なのか」を確かめようと考えていた。

 「まあ、中身が分かってて買ってる訳だからね。とりあえず、ここに至るまでの一部始終を君の口から聞かせてもらおうか。」

 「はぁー・・・」と、長いため息をついて、男は話し始めた。このタイプの人間は、先ず自分が何故麻薬に手を出したのか、動機部分を、いかにも自分が悪いわけではなく、悪いのはその状況を作り出した周囲の人間で、自分は被害者であることを延々と語る。燈は、心から同情するという表情と相槌で、ある種の信頼関係のようなものを構築したところで、入手経路の方向に話を誘導した。

 「インターネットで検索したんです。」

 「そのサイトは?」と燈が聞くと、男は携帯を操作して、あるサイトを表示して見せた。

 「でも、そこはもう閉鎖されてます。やり取りは、指定されたチャットルームでした。」

 「読んだら消えちゃうチャットルームだね。スクショもできないやつ。」と燈が言うと、男は黙って頷いた。この手の取引に良く使われるやつだ。

 「それで指示された場所に行ったらアイツがいて、それを1万で買ったんです。そしたら、しつこく免許証見せろとか、車に乗れとか言うから怖くなって、隙を見て逃げ出したら追いかけられて、つかみ合いになってるところを通りかかった警官に助けてもらって、事情聴取で西署に同行したんです。アイツは逃げましたけど。」

 「西署で事情聴取を受けた?」と思いつつ、燈はボロが出ないように何も言わずに話の続きを促した。

 「西署で受付みたいなところに座って順番を待ってた時に、偶然隣にさっきの女の人がいて、バッグの口が開いてたから、それをこっそり入れたんです。警察署の中でそんなものを持ってるのが怖かったんです。」

 「それはいつの話だい?」

 「今日の午後の話です。」

 「さっきは、あの女性からバッグごと奪うつもりだったのかい?」

 「はい・・・。でも、取り返して使おうとか思った訳じゃなくて、ただ怖くて、誰かに見つかる前に処分したくて。もう二度と買いません。信じてください。」

 メガネの男は、念のため売人とのやり取りをスマホで音声だけは録音したとのことで、恐る恐るそれを燈に聞かせた。

 「あんた、はじめてだろ。俺は長くやってるから良く分かるんだ。使い方とか分かるのか?」

 「はい、ネットで調べたんで大丈夫だと思います。」

 「へぇー、そうかい。ところで、あんた家族とかいるの?家族に見つかって、こっちまで厄介事が来るのはご免だからな。」

 「一人暮らしなんで、大丈夫です。」

 「職場は?同僚とかに見つかる可能性はある。あと友達とかな。」

 「学生です。友達もいません。」

 「学生ならバイトとかしてんだろ?どうなの?」

 「バイトもしてないですけど、・・・あの、もういいですか?帰りたいんですけど。」

 「まあ、そんなに焦んなって、長い付き合いになるかも知れねえだろ?おい、待てって、コラ、逃げんじゃねえよ!・・・・」

 しゃがれた妙に甲高い声。売人の男は30歳くらいで、身長160cm前後の小太りのスキンヘッドだったと、震えながらメガネの男は言った。

 燈は直感で、この男は嘘をついていないと思った。魔が差して買った。今回がはじめて。これに懲りて二度と同じことはしないだろうし、そもそも薬包紙の中身は・・・。


 燈は西署に戻ると、薬包紙の中身を署の同僚に成分調査を依頼して、本日午後のメガネの男の調書を調べた。調書の内容は『突然知らない男に絡まれた。服をつかまれたので、逃げようとしているところを警ら中の警官に助けられた。』となっており、相手の男の特徴はメガネの男の話した通りで、メガネの男の名前と住所も本人が話したものと一致した。


 18時を回って、休憩室の自販機の前で、燈がコーヒーを片手にぼんやり今日起こった出来事を思い返していると、純子がカバンを抱えてやって来て、「あ、いたいた。燈くん、暇ならちょっと付き合ってよ。」と言った。

 「いや、飲み会なら今日はちょっと・・・」

 「飲み会じゃないの。仕事よ、仕事。」

 「ホントかな・・・」と燈は小声で言ったが、純子はそれを無視して燈の背中を押して、「早く帰る支度してきて」と急かした。


 居酒屋に着くと、純子は直ぐにビールを2杯頼んで「トイレに行く」と席を立った。

 「やっぱり飲み会じゃないか。」とブツブツ言いながら、燈が運ばれてきたビールとキュウリの漬物をつついていると、トイレから戻った純子が、席に着くなり小型のイヤホンを耳に着けて、同じものを燈にも渡した。

 「私の右後方の白いジャージの男よ。」と、純子は小声で言った。

 燈は取り合えずイヤホンを付けて、聞こえてくる男たちの話に耳を傾けた。盗聴器は、純子がトイレに行った際に男たちのテーブル下にでも取り付けたのだろう。

 ギャンブルの話、夜の店の話、夜の店の女の話、知人の悪口、下品な笑い声・・・。純子はウンザリした様子で、ビールを飲みながらその話を聞いていた。

 やがてジャージの男たちが店を出ると、純子はイヤホンを外してレモンサワーを注文した。

 「一体何者なんですか?」

 「中本さんの証言って言うか、妄想って言うか・・・。この人たち調べてくれって良く言われるんだけど、中本さんの話だけじゃ捜査許可なんかもらえそうにないから、ちょっと独自に調べてんの。」

 「てっきり純子さんは中本さんにはウンザリしてて、適当に取り合ってるもんだと思ってましたけど、しっかり考えてるんですね。・・・って言うか、勝手に盗聴とかって、完全にNGじゃないですか。バレたらどうするんですか?」

 「そん時ゃ、そん時よ。別に今の仕事に未練もないし、潔く辞めるかな。」

 「いやいや、たった今オレも共犯にしましたよね?」

 「あら、燈くんもてっきり今の仕事に未練なんてないと思ってたけど、違うんだ?」と言われて、燈は少し考えた後、「まあ、確かにその通りか。」と、ビールジョッキを持ったまま椅子の背もたれに寄りかかって呟いた。


 数日後、「薬包紙の中身の成分調査が終わった」と、同僚から内線で電話があったので、燈は「お礼に奢るよ」と言って、その同僚を休憩室の自販機に招いた。

 「ご丁寧に包装してあったけど、中身は『お茶っ葉』だったよ。」

 「やっぱりそうか。」と言って、燈は缶コーヒーを手渡した。

 その同僚には、何かの事件の調査かと聞かれたが、燈は「平日の昼間に公園でたむろしてた高校生に声を掛けたら、慌てて逃げ出したんだけど、その場にこれが落ちてたんだ。本物じゃないと思ったけど、一応ね。」と、誤魔化した。

 「そいつらそれを大麻に見せかけて売って、小遣い稼ぎでもする気じゃないのか?大怪我する前に何とかした方がいいな。」

 「ああ、そうだな。少年課に相談してみるよ。」

 同僚が「職場に戻る」と去った後も、燈はほとんど飲んでいない缶コーヒーを持ったまま、大きな窓から外を眺めながら考えていた。「お茶っ葉で1万円。麻薬と思って買ってる訳だから、客側から被害届が出ることはない。小遣い稼ぎには悪くない手口だが、固定客は出来ないから継続性はないし、そうそう客も引っ掛からないだろう。何より、本物を捌いてる連中が黙ってないだろう。メリットが見つからないな・・・。」

燈は、「何か妙だな」と思いながら、残ったコーヒーを一気に飲み干した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る