『謎特1課』未解決事件簿-謎の島-

シカタ☆ノン

第1話 消えた高校球児

 九条燈(くじょうあかり)が勤務する西署は、「何も知らない人が、目隠しをされてエントランスまで連れて来られて、そこではじめて目隠しを取られたら、きっと名のある建築家が設計した、美術館か博物館だと思うに違いない。」という説明が相応しい建物で、事実、燈もはじめて来た時はそう説明されて、その通りだと思った。

 そんな豪華で煌びやかなエントランスを項垂れながら出てきた中年の女性に、燈は軽く会釈をしてエントランスを通り抜け、『謎特1課』と書かれた部屋のドアを開けた。

 「純子さん、さっき入口で中本さんとすれ違いましたけど、何か言ったんですか?かなり落ち込んでたように見えましたが・・・。」と、燈は相談デスクで書類をトントンとまとめていた新居浜純子(にいはまじゅんこ)に聞いた。

 「燈くん、ここに来る人みんなに感情移入しちゃダメよー。中本さんにはいつも通りの回答をしただけ。そしたら突然キレて、その後泣いて、落ち着いた後ご帰宅頂いただけよ。」と、純子は事も無げに答えた。


 中本さんの息子が行方不明になったのは5年前で、息子は当時17歳だった。

 その夏の甲子園で目玉選手になると注目を集めていた彼は、大会前に突然姿を消した。

 甲子園の注目選手。だが小さい頃には大病を患い、彼とその母親を支えたのが、当時県知事を務めていた伯父であったため、県の好感度アップも兼ねて地元メディアでは美談として語られていた。

その為、行方不明のニュースも大きく取り上げられ、連日夕方のニュースで報じられた。

 結局行方不明の原因と、その後の足取りはつかめず、時間の経過と共に人々の記憶からは消え去ったが、中本さんは定期的に捜査の進捗を尋ねに訪れ、甲子園の時期になると地元では当時の話が小さな話題になることがあるため、警察としても体裁を保つため露骨に捜査を打ち切る訳にもいかず、この『謎特1課』の預かりとなっている。


 「燈ぃ、飲み行くぞー。」と声を掛けたのは、課長の杉本だった。

 「あー、課長の奢りなら、あたしも行ってもいいですよー。」と言った純子を、露骨に残念な顔で杉本は眺めた。

 「そんなに嫌そうな顔しなくてもいいじゃないですかあ!今の時代、ぴちぴちギャルが飲み会に参加してくれるなんて相当ラッキーなんですよ?」

 「最近の若い女の子は、自分の事『ぴちぴちギャル』なんて言わねーよ。なあ、燈?」と、杉本は小声で燈に言った。

 「あの、オレまだちょっと仕事が残ってるんで・・・」と言う燈の言葉を遮って、純子が「そんなの明日にすりゃいいんだから、さっさと帰る準備する!課長ぉ、今日は『美食亭』行きませんかあ?」と、カバンに荷物を押し込みながら言った。

 「えー、あの店高いじゃん!って、やっぱ純ちゃんも行くの?俺の奢り確定か・・・、あーあ、また奥さんに怒られちゃうよ。」と、杉本も上着を羽織りながら答える。

 燈は「はぁー、またこのパターンか。」とつぶやきながら、仕方なく帰宅の準備を始めた。


 杉本が3杯目のビールを飲み干して、店員にハイボールを注文した後、純子がトイレに行ったタイミングを見計らって燈は切り出した。

「課長。純子さんって、何やらかして『謎特』に来たんですか?」

「お前、純ちゃんはあの調子だから、職場で浮きまくって飛ばされた!とか思ってんだろ?」と、杉本は笑いながら言った。「でも、実はそうじゃないんだ。純ちゃんも燈と似たような事情でな、ある事件の加害者の親が権力者で、金に物言わせて示談にしようとしてな、被害者の女の子は絶対に許さないって言ってたのに、金に目がくらんだ被害者の母親が勝手に示談に応じちゃってな、その事件を担当してた純ちゃんが、『お前なんか母親失格だー!』とかあの調子で言っちゃて、今度は被害者側が警察を名誉棄損で訴えるって大騒ぎになったわけよ。それで刀を納める形で純ちゃんは『謎特』送りって感じかな。」と、杉本はやり切れないといった表情を浮かべてハイボールのグラスを眺めた。

「ちょっと、なんかしんみりしてない?何の話ですか?」と、トイレから戻った純子が言った。

「いや、純ちゃんってよく見ると素敵な女性なんだ!って、燈にトクトクと説いてたとこだったんだよ。」と、杉本がすかさず誤魔化して言うと、「課長、それハラスメントですよ。」と、純子が薄目で杉本を見ながら言った。

「えっ!?一体、何ハラスメントよ?」

「ジロジロ観察し過ぎハラスメントです。」

燈が思わず笑うと、「そうやって笑ってる燈くんは、人に言われなきゃ素敵さに気付かない鈍感ハラスメントよ。」と、バッサリ切られた。


 「次はお洒落なバーに行くんだー!」と騒ぐ純子をタクシーに押し込んで、何とか発車させたタクシーを歩道から眺めている燈に、「ちょっと酔い冷まして帰ろうぜ。」と、杉本は良く冷えた缶コーヒーを手渡した。

 「純ちゃんってさ、中国で猟師やってた親戚の家で育ったそうで、子供の頃から普通に鹿とか打ってたらしくて、大学には射撃の推薦で入ったんだってよ。信じられるか?」

 「ホントですか?でも、それ聞くと純子さんがちょっと変わってるのも納得できるかも。」

 「お前、それ純ちゃんに聞かれたら、また何とかハラスメント!って、怒られるぞ。」と言って、杉本は笑った。

 飲み屋街を流れる小さな川の両側には、季節に関係なく提灯がぶら下げられていて、水面をオレンジ色に染めていた。

 「燈はさ、なんで自分は『謎特』に来たんだと思う?」

 「それは、課長も良く知ってるでしょう・・・。」

 「いや、燈が捜査に感情移入し過ぎて、犯人を病院送りにしちゃった。なんて事実の話じゃなくてさ、運命の話だよ。」

 「・・・はあ、運命・・・、ですか。」

 「俺、調べたんだよ。あの犯人さ、またやるよな。反省とかそういう次元の話じゃないんだよな。そもそも違う生き物っていうか、人間の常識で裁けるような代物じゃないっつーか・・・。だから、自分の手を離れる前に何とかしようとしたけど、その方法が分からないから自分なりにもがいて、結果としてあんなことになっちまって、結局『謎特』にいる。そうだろ?」

 「まあ、その通りですけど。」と言って、残った缶コーヒーを飲み干す燈を、杉本は黙って見ていた。

 「ああいう輩を、また何年か後に世の中に開放していいと思うか?」

 燈は、黙ってオレンジ色に輝く水面を見つめた。

 「俺はさ、『謎特』って、ただ未解決事件をいかにも捜査続けてます!って、警察の体裁を保つためだけの課じゃ勿体ないと思ってんだ。純ちゃんや燈みたいな人間が集まってくるのも運命で、俺たちに出来ることをやれって言われてる気がするんだよな。」

 川沿いのベンチに腰掛けて夜空を見上げる杉本の横顔を、燈はしばらく見つめていたが、杉本から次の言葉は出てこなかった。


 燈が立花薫に辿り着いたのは偶然だった。

 木曜日の夕方、外回りから戻った燈は西署のエントランスでハンカチを見つけた。スウェーデン国旗のような色合いのそのハンカチには見覚えがあった。行方不明になった息子の捜査状況を確認に来るたびに取り乱して泣く中本さんが、そのハンカチで目頭を押さえていたのを何度か見たことがあった。

 腕時計で時刻を確認すると、午後4時を少し回ったところだった。中本さんはいつも午後2時頃に署にやってくるので、3時から4時頃に帰ることが多かった。燈は「中本さんがまだ近くにいるのでは?」と思い、西署を出ていつも中本さんが帰宅する方向に少し歩いてみたが、残念ながら中本さんを見つけることはできなかった。燈は仕方なくハンカチを上着のポケットにしまい、目の前にあったコンビニにコーヒーを買いに入った。

 コンビニの自動ドアを潜り、雑誌の棚の前を通って右手奥のトイレに向かい、トイレを済ませると冷蔵棚からパックのコーヒーを取って、また雑誌の棚の前を通ってレジに向かった。

 違和感・・・。

 燈はレジで会計をしながら、本棚の前に立って雑誌を読んでいるメガネの男の様子を、頭の中で反芻していた。「2度すれ違ったが、雑誌のページが進んでいない。」「この短時間に少なくとも3回は窓の外を確認している。」「どこか挙動不審・・・。」

 燈はコンビニを出ると駐車場でパックのコーヒーを飲みながら、スマホをチェックするフリをして男の様子を伺った。歳は20歳前後、身長は170センチくらいの細身。長く垂らした前髪は、顔を隠すためと見えなくもない。10分ほど粘ったが、男に動きがないので、燈は仕方なくスマホでこっそり男の写真を撮って西署に戻った。

 『謎特1課』のドアを開けると、純子が中本さんに書類を見せて何かを説明しているところだった。

 「あ、中本さんいらっしゃったんですか。こんな時間にめずらしいですね。これ、エントランスに落ちてましたけど、中本さんのハンカチじゃないですか?」と、燈はポケットからハンカチを取り出して渡した。

 「ええ、今日は日中に用事があったもので・・・。ハンカチありがとうございます。ぼーっとしてたんでしょうね、落としたのに気づきませんでした。」と、中本さんは顔を上げずにボソボソと礼を言った。

 15分ほどして、中本さんと純子の話が終わりそうなタイミングで、燈は「まさかな・・・」と思いつつも、先ほどのコンビニに先回りした。

 コンビニの中にメガネの男の姿はなく、雑誌棚の前には誰もいなかった。「やっぱり考えすぎだったか。」と燈はつぶやいて、雑誌の棚からメガネの男が見ていた雑誌を取ってページをめくったところで、駐車場の白い軽自動車の中にメガネの男を見つけた。

 男は車の中から歩道をずっと見ていて、そこに西署から自宅に向かう中本さんが通りかかると、男は軽自動車を降りて中本さんの後をつけて歩き始めた。燈も手に持っていた雑誌を棚に戻し、コンビニを出て軽自動車のナンバーを控えて男の後を追った。

 男は横断歩道で立ち止まった中本さんの斜め後方に立つと、中本さんが肩から提げたトートバッグの中をさり気なく覗き込んだ。信号が青に変わると、また少し距離を取って中本さんの後ろを歩き出した。やがて大空公園裏手の人通りの少ない路地に差し掛かると、男は足早に中本さんとの距離を詰めてトートバッグに手を伸ばした。

 「中本さん!」と、男の後方から燈が声を掛けると、中本さんは振り返った。男は伸ばしかけた手を引っ込め、何事もなかったように中本さんの横を素通りした。中本さんが燈に「刑事さん、どうかしたんですか?」と聞くと、『刑事』という言葉に反応したのか男は走り出した。

 走り去る男の後ろ姿を見ながら、「いや、さっき渡したハンカチの間にメモが挟まってたんじゃないかと。大事なメモなので。」と、燈は適当な嘘をついた。

 中本さんはトートバッグを開いてハンカチを取り出した。「ハンカチには何も挟まっていないようですが・・・」と言いながら、中本さんはトートバッグの中を手探りで、あるはずのないメモを探してくれた。

 「あの、これですか?」と、中本さんは白い薬包紙を指でつまんで見せた。

 その様子から、中本さんの持ち物ではないと察しを付けた燈は、「あー、それだったかな。メモじゃなかったか。ちょっと見せてもらってもいいですか?」と言って薬包紙を受け取り、じっくり観察した後、軽く臭いを嗅いだ。「はい、確かにこれです。でも一つだけだったかな?すみませんが、他にもありませんかね?」と言って、燈は中本さんと一緒にトートバッグを覗き込んだ。トートバッグの中には、財布とエコバッグと手帳とペンケース。それらと一緒に、悲壮感が入っていた。それらはずっとバッグの中に入れっぱなしなのだろうと想像できた。

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