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「私、変になってるのかな」


 ベッドの中で何度も寝返りを打つ。シーツの冷たさが肌に触れるたびに、現実感が戻ってくる。


 スマートフォンの画面を見ると、深夜の2時を回っていた。暗闇の中で浮かび上がるその絶望的な数字。

 明日の授業はきっと起きていられないだろう。こんなに寝られないのは久しぶりだ。

 ……明日のことを考えるのはやめた。


 *


 翌日、授業が始まったが、瞼が重くて、私の頭の中は鏡のことでいっぱいでそれどころでは無かった。黒板に書く音も、先生の声も、何キロメートルも遠い場所から聞こえるように感じられる。

 ノートを開いても、ペンを持っても、手が勝手に動いているような感覚がして、なんだか薄気味悪い。


 *


 待ちに待った10分休憩タイム。眠たい授業をどうにか乗り越えて、欠伸をしていると、横の席から


「おい、紫藤、大丈夫かよ」


 見ると、普段あまり話すことのないクラスメイト、石井だった。彼は野球部に所属している。

 2年生になってもベンチで、授業はあまりまじめに受けている所を見た事がない。授業中にもチラチラと目配せして来ていたが、私は気にする余裕もなかった。


「大丈夫」


 石井の言葉は、私の耳を半透明の幽霊のように通り過ぎていった。大丈夫かと訊かれれば、大丈夫だと返してしまうのが人間の性だ。例えそうでなくとも。


「なんかあったのか?生徒会長さんがそんなんじゃ、張り合いがでねぇよ」


 私は聞き流すようにして、教科書を押入れに押し込むが如く机に詰め込む。



「おれだって最近はお前の隣だから、内職とか辞めてたのに」


 石井は頭の後ろで腕を組んで、ぐーっと伸びをしながら冗談めかして言う。

 私は思わず深いため息をついてしまったが、今更抑える気にもなれなくて、そのまま隣の石井に向き直った。


 鏡の話は、変に思われるかもしれないと思った。しかし、家族にも友達にも言えないことは、普段あまり喋ったことのない石井になら、なんとなく打ち明けられると思った。


「あの、馬鹿にしないで聞いて欲しいんだけど」


「紫藤の話だったらまじめに聞くよ」


 石井は椅子の背面を私の方に向けて、逆さに座った。行儀が悪いなと思ったが、指摘する気持ちにもなれなかった。私は仕方なく口火を切った。


「昨日、生徒会室で古い手鏡を見つけたんだけど、その鏡が変なんだ」


「変って、どう変なんだよ」


「初めて見たときは普通の鏡だと思ったんだけど、普通なら私が映るでしょ。でも、その時、知らない制服を着た男子が二人映ったの」


 すぐに、石井にこの話をしてしまったことを後悔した。

 彼は、私の顔を穴が開くくらい、眉毛を左右非対称にして、怪しげにまじまじと見てくる。唐突にこんなファンタジーな話をされても困る、といった顔だ。

 私はこの生き地獄の雰囲気に耐えられる気がしなくなって、石井から目を逸らして、校庭の銀杏が風に揺れるのを眺めた。



 その時、石井の声が、私の思考を現実に引き戻した。


「よくわかんねえけど、おれも手伝ってやるよ。その鏡、見に行ってやる」


 意外な返答だった。私は素っ頓狂な、裏返ったような声を出してしまった。


「え、いいの」


「いいよいいよ。おれ、ベンチだから、練習もすっぽかしても大丈夫だし」


 だからといって練習を放棄して良いなんて事は一切無いだろうが、とりあえず、石井に話を聞いてもらえて、喉がすっと軽くなった気がした。


 *


 数時間の長い長い、午後の授業を終えた後。ついにチャイムが鳴る。私たちは教室を出て、生徒会室に向かった。廊下を歩く足音が、妙に大きく響く。


  石井が、私が渡した鍵で生徒会室の扉を開ける。石井がずかずかと中へ進んでいく中、私は入口の方で縮こまっていた。足がすくんで、体がそれ以上立ち入るなと警告していた。埃っぽい空気が鼻をくすぐる。

 石井は口笛を吹きながら、奥の方から箱を引っ張ってきた。テープでぐるぐる巻きになっているので、ひと目で例の段ボールだとわかる。


「お前、これ厳重にしすぎだろ」


 石井が鋏を使って、手際よく箱の封を解く。

 私は踏ん切りをつけて、恐る恐る石井に近づいた。彼の肩越しに段ボールの中身を見る。



 ――鏡にはまた、昨日と同じ二人の青年の姿が、映っていた。

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