第五話 曇天の下

 俺が礼拝堂の一番前の席で祈りを捧げていると、目の前にいた牧師が尋ねた。

 

 「クラウディくん、やはり騒音の現象がひどいの?」


 俺は閉じていた目を開けて顔を上げた。彼女の表情は曇っている。


 「いや、今回は違います。確かに、雑音の問題が解決した訳ではないんですが……。実は今日は亡くなった母の命日で」


 「まあ、お母さまの?」


 牧師が目を丸くして尋ねる。

 俺はただ頷いた。


 「俺には二人の母親がいるんです。一人は生みの親、もう一人は育ての親。今日は俺を育ててくれた母親の命日なんです」


 「もしかして、今祈っていたのは……」


 「母親の冥福です。あの世で、天国で穏やかに過ごして欲しいと祈りました。それから、俺を見守っていてくれと」


 俺がそこまで話すと、牧師は微笑んで、


 「そうだったのね。クラウディくんの気持ちはきっとお母さまに届いていると思うわ」


「はい」


 牧師と見つめ合う格好になり、顔には出さなかったが少し緊張した。

 それでも、こんな風に穏やかに同じ時間を過ごせるのがたまらなく嬉しい。

 もう少しこの時間が続いて欲しいとさえ思う。

 少しの間沈黙が流れて、再び彼女が口を開く。


 「これからお墓参りに?」


 「そうです。これから墓地に寄ります」


 「そうなのね。お母さま、きっと喜ぶわ」


 牧師は柔らかな笑みを浮かべてそう言った。

 俺が「はい」と答えた時、聞き覚えのある少女の声が聞こえた。


 「牧師先生、お客様がお見えです。お話を聞いて欲しいそうです」


 瑠希るきの声だ。

 彼女の後ろには一人の年老いた男性が見える。少々腰が曲がった七十歳を過ぎたようなじいさんだ。よく見ると杖をついている。


 「分かりました。お近くの席にどうぞ」


 牧師の声を聞いて、すぐに俺は立ち上がった。牧師がそれに気付いて、俺に顔を戻す。


 「俺はこれで失礼します。話を聞いていただいて、ありがとうございました」


 「ええ、またいつでも来てくださいね」


 「はい。それでは」


 俺は軽く頭を下げて、扉に向かって歩いていく。

 礼拝堂を出る時に背後に瑠希の鋭い視線を感じたが、気が付かない振りをしてそのまま出た。

 教会を出ると、やはり曇天が広がっている。

 俺は天気が変わらないうちに、足早に墓地へ向かった。


 ♦


 教会を出て十分ほど歩いていくと、墓地が見えてきた。

 辺りを見ても、他に人はいない。どうやら俺一人のようだ。

 母親の墓に向かって歩みを進める。

 一基の墓の前で立ち止まると、見下ろしたまま、


 「母さん、来たよ」


 そう声をかけても、もちろん返事はない。

 俺を赤ん坊の頃から育ててくれた母親は、俺が十八の時に亡くなった。

 明るくて優しい女性ひとだった。脳裏に快活に笑う姿が浮かぶ。


 屈んで墓石をよく見てみると、少しだが汚れている箇所がある。

 この前掃除したばかりなのだが。

 今日はあいにく掃除道具を持って来ていない。


 俺は屈むのをやめると、元の姿勢に戻った。

 手を合わせて目をつむり、母の冥福を祈った。二度目のお祈りだ。


 ゆっくりと目を開ける。

 少しの間、墓石を見下ろした後、


「じゃあな、母さん。また来るから」


 別れを告げて歩き出そうとした時、ぽつりと水滴が頬に落ちた。

 見上げると、曇天はさらに黒々としていて、完全に天気が変わったことを知らせていた。

 本降りにならないうちに、さっさと自宅のアパートへ向かった。

 


 


 

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